2010年1月25日月曜日

Tokyoの奇跡~Peter Gallway


Artist:ピーター・ゴールウェイ
Album:Tokyo Sessions July 11,1989
Song:Decidedly Fun









2010年1月14日の記事、「グリニッジ・ヴィレッジの奇跡~The Fifth Avenue Band」の続編になります。”フィフス・アヴェニュー・バンド”の中心メンバーであったピーター・ゴールウェイはその後もソロでマイ・ペースな音楽活動を続けていました。
1976年頃のある日、小さな町のコンサートを終えたピーターの元に一通のエアーメールが日本から届きます。その中にはアルバム「Peter Gallway」を携えた日本人の青年の写真が同封され、「東京で多感な時期を過ごした自分にとって、あなたの音楽がどれだけ大きな意味を持ち、自分の人生にどれほど重要か」が熱く手紙に綴られていました。 彼の誠実さと思い入れに感銘を受けたピーターは、取り急ぎ、日本の彼に返事を書き、当時バンドと共に録音した何曲かのデモ音源と共に発送しました。「パイドー・パイパー・ハウス」という、今では伝説となってしまったレコードショップの店長だった長門芳郎さんとピーター・ゴールウェイの交流は、こうしてはじまったのでした。その後、長門さんの熱意で日本で「On The Bandstand」と銘打たれた、ピーターのアルバムがリリースされ、ジャパン・ツアーも組まれました。ピーターはこう述べています。「親友であり、非凡なソングライターであったラリー・ジョン・マクナリーと成田に降り立った私達は、その後の数々の素晴らしい展開など予想すらしていなかった」と。
 
 こうして、そのファースト・ジャパン・ツアーで出会った、ブレッド&バター、細野晴臣、大貫妙子など以後、ピーターを何度も日本へ呼びもどしてくれることになります、そして1989年東京で、ピーターを敬愛してやまないアーティストたちと、待望のセッションがおこなわれることになります。1969年”フィフス・アヴェニュー・バンド”のアルバムが発表されて、20年目の出来事でした。そして今回この音源とその当時に名古屋のボトムラインでおこなったステージを収めたDVD(今までこんなものが眠っていたんですね!)がめでたくリリースされました。このセッションがおこなわれてさらに20年、”フィフス・アヴェニュー・バンド”のアルバムから40年目、私にとっては、まさに「Tokyoの奇跡」というべきアルバムです。
 フィフス・アヴェニュー・バンドのメンバーだったマレイ・ウェインストック(Key)に加え、日本から参加したのは今や日本で一番忙しいギタリスト佐橋佳幸(g)、シュガー・ベイブやセンチメンタル・シティ・ロマンスのドラマー、野口明彦、オリジナル・ラブの田島貴男(B.vocal),ソロで活躍中の鈴木祥子(B.vocal)、湯川トーベン(b)、そして後にピーターとアルバム「Missing Link」を作ることになる、ブレッド&バター(B.vocal)など今でこそ錚々たる顔ぶれですが、その当時は、まだ駆け出しの頃の人もいて、ライナーに書かれている当時の思い出話が、ほほえましくもあり、そして皆が口をそろえて、自分の人生の中で「何より素晴らしい、体験だった」と語っているのが、印象的でした。
DVDなども、発売を前提にとられた映像ではないため、画質もよくありませんが、そんなことはどうでもいいぐらい、感激したアルバムです。

 一通の手紙が出会いを生み、一つの出会いがさらなる出会いを生み、一つの音楽が生まれる。
そんな、奇跡がおこるからこそ、音楽から一生離れられないのだと思います。

(Song:Decidedly Funのオリジナル・ヴァージョン)

2 件のコメント:

  1. 有り難や・・・有り難や・・・という感じですか・・・
    先日、とっても尊敬する方のパーティーの挨拶で「ありがとう」の語源に関する挨拶で感激!そのことを思い出しました!!「”ある”ことが”難い”で、”ありがとう”まさに奇跡に近いことに対する感謝の表現・・・そして、この”有り難い”ことが、今、ここに おきている。」
    ところでこの輝きを失わないベースラインは細野さん?「どんなにアレンジしてもベースはこうなっちゃうんだよね・・・」とでも言いたげ・・・。

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  2. その当時フィフス・アヴェニュー・バンドやピーター・ゴールウェイを聞いていた人にとっては、こんな貴重な音源と映像を表にだしてくれて、唯々「ありがとう」の一言ですね。残念ながらベースは細野さんではなく、湯川トーベンさんのようです。ベースラインはオリジナルどおりですね。

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