2010年12月29日水曜日

惜別の歌~Cleo Laine

Artist:クレオ・レーン
Album:At Her Finest
SongI :He Was Beautiful(Cavatina)

 今年もあと数日で終わろうとしています。突然、長く連絡のなかった高校時代の友人から電話。開口一番「あんまりいい話じゃないんだけど・・」と前置きして、「実は昨日、同級生のU君が亡くなったんだ」。名前を聞いたとたん、走馬燈のようにその頃の思い出が頭の中を駆け抜けた。元々、体が丈夫ではなかった彼のことは高校卒業後ずっと気になっていましたが、連絡もとれないままになっていた。こうなる前に、会ってもっと話をしておけばよかった。あの8ミリ映画の話を・・。

 高校2年の頃、迷っていた。自分の進路や将来のこと、当然、授業にも身が入らず、成績も下降。高校時代に自分のやりたいことは、勉強以外にもあるんじゃないかと、太宰治の小説と音楽ばかり聞いていたように思う。

そんな、暗い私に、彼が、クラスみんなで映画をつくらないかと持ちかけてきた。彼とはそれまでそんなに親しくはなかったけど、持病を抱えていたため、一年遅れて、高校に入ったということは聞いていた。その為か、彼は、僕らより随分大人びて見えたし、実際、当時の僕等より、しっかりした意見をもっていた。何もしないまま、ダラダラと一年間を終わりたくなかったので、その話に乗ることにした。一人1000円を寄付してもらい、まず映画の資金にする。10月の文化祭で上映する。エレキギターの演奏も禁止という規則にうるさい学校だったので、映画の内容は、先生達に文句を言われないまじめなものにすることにした。テーマは「長崎歴史散歩」自分達の街を、僕らの視点から映像に残そうというものだった。長崎の開港から、西洋への窓の時代、そして原爆投下という人類史上、もっとも悲惨な事実を自分達なりに考えてみようと。

それぞれテーマごとに班をつくり、街へ取材に繰り出し、見よう見まねでインタビューをおこない、一台しかない8ミリカメラを、持ち回りでつかい、フィルムの時間も限られていたため、失敗がないように何度も撮影のリハーサルを繰り返した。
夏休みの数週間はそうやって過ぎていった。
彼はその間、映画のナレーションの原稿を一人で書き上げ、同級生の中で誰が一番、読むのがうまいかオーディションまでやってくれていた。私には音楽へのこだわりがあったので、映画の音の部分をオープンリールのテープレコーダーに録音し、映像と一緒に、同期させ上映することを提案した。それなら、迫力のある音で映画をみることができるし、学校で演奏することのできないロックの音楽も大音響で聞けるからだった。今はデジタルの時代なので、映像と音楽を同期させるのは簡単だが、なにせ、アナログの時代、映像の時間をストップ・ウォッチで記録し、その時間にナレーションと音楽を合わなければならない。何度も失敗を繰り返し、音響班はコツをつかんでいった。

私にどうしても忘れられない一枚の写真があった。原爆資料館でみた一枚の写真。亡くなった少女を家族で見守りながら、焼け跡で火葬している瞬間を切り取ったものだった。夜の闇にぼーっと燃え上がる炎を、うつむきがちに見つめる家族。炎の向こう側の顔はすべて霞んでいた。この写真をフィルムが残っている時間ずっと撮り続けた。
少しずつズームしながら、炎のなかの家族を。
彼にこの写真をラスト・シーンにしたいと言うと、それはいいかもしれないと言って、撮った8ミリのフィルムを編集し始めた。私のイメージを伝えると、彼は、手際よくフィルムを切ったり貼ったりしていく。思ったとおりの映像に仕上がっていく過程は、まるで魔法のようだった。

 すべての作業を終えたのは、文化祭、当日の朝だった。徹夜明けだったけど、あまり眠たくはなかったのは、早く完成した作品を上映したかったからだと思う。いつもは活気のない教室が、暗幕を窓に張り、バンドをやっていた友人から借りたPA装置を設置すると、たちまち自主映画室へ変身した。一度目の上映。やはり、はじめは映像と音がどうしてもずれてしまう。何度も上映するうちに、テープのスピードを変えることを憶え、完全に映像と同期できるまでになった。最後の頃は、教室は満席の状態となり、先生達も見に来るようになった。「炎のなかの家族」のラストシーンでは目頭をハンカチで押さえる女の子達が沢山いた。上映会は大成功だった。

締め切った部屋での上映、汗だくになりながら、僕らの文化祭は終わった。みんなで作り上げた映画がこんなにも人を感動させたことに、言葉で表せない充実感を感じた。それと同時に自分がちっぽけな存在でないことも知った。創造する力が、人の心を動かすことができるという事を、人生において初めて、彼は私に教えてくれた。
後片付けをしながら、彼はぽつりとつぶやいた「僕はシナリオを書いて、映像の仕事がしたいんだ。」

そして高3になって彼は文系、私は理系にクラスが別れたため、あまり会う機会はなくなった、卒業後かれは早稲田大に進学し、大学時代の夏休みに、映画づくりを手伝ってくれないかと誘われたことがあった。私はあの高校での8ミリ映画のことを、彼と話したくて手伝うことにしたが、彼の大学のサークルの仲間達の映画に関する専門的な会話の雰囲気に気おくれして、あの上映会がどれほど自分の支えとなったか、そして、失っていた自信を取り戻したかを、ついに彼に伝えることはできなかった。その後、彼に会うことはなかった。
幾度か手紙のやりとりしたことがあり、その中で彼は「ディアー・ハンター」という映画を絶賛していていた。私も同じ時期にそれを観て、すごい衝撃をうけた。他のことも沢山書いたような気がするが、今では、その映画の事しか記憶にない。

彼との惜別には、その映画の中で使われていた、この美しい音楽が一番ふさわしいと思う。U君、素敵な思い出をありがとう。

 最後にこのブログを覗いてくれた皆さん、一年間ありがとうございました。
今年の締めくくりとしては、ちょっとしんみりした話になってしまいましたが、来年も体と気力が続く限りは、このブロクを続けていこうと思っています。来年も、どうぞ、ご愛顧のほど宜しくお願いいたします。

(He Was Beautiful(Cavatina) by Cleo Laine)

(”Cavatina” from "The Deer Hunter")

2010年12月20日月曜日

からっぽの椅子~Woodstock All Stars

Artist:ウッドストック・オールスターズ
Album:Woodstock Holidays
Song:I Shall Be Released

 食べたい物が、食べれない、見たい物が、見れない、聞きたいものが、聞けない~戦争や、貧困、そういう状況でなくとも病気などで、色々な理由で人々に色々な苦痛がのしかかってきます。そんな中で、一番つらいことは、自由に発言できないことです。
主のない空っぽの椅子、その上に置かれているのは、ノーベル平和賞のメダルです。この一枚の写真は人々の心を動かします。











TVのニュースなどでご存じでしょうが、今年のノーベル平和賞は中国の人権活動家、劉暁波(りゅう ぎょうは)氏が受賞しました。劉氏は、2008年に民主的立憲政治を求める零八憲章を起草して拘束され、2020年6月21日までの懲役刑の判決を受け錦州監獄で服役中です。(この先10年間もあります!)
零八憲章は「前言」、「我々の基本理念」、「我々の基本主張」、「結び」の4部分と、一次集約段階で303名の実名による署名からなります。「前言」では、その時点での中国を「党の天下」と表現し、「党が政治、経済、社会の資源を独占し、大躍進や文化大革命、第二次天安門事件を生みだし、国民と国家が極めて大きな代価を払った」と批判し、その上で、以下の「我々の基本理念」と「我々の基本主張」を挙げています。
基本理念
自由 - 言論、出版、信仰、集会、結社、移動、ストライキやデモ示威等の権利
人権 - 人は国家の主体であり、国家は人民に服務し、政府は人民のために存在する
平等 - 公民は、社会的地位、職業、性別、経済的状況、種族、皮膚の色、宗教や政治思想にかかわらず、その人格、尊厳、自由はみな平等である
共和 - 「皆による自治と平和な共生」、分権制と利益バランスを求める
民主 - 主権は国民と国民が選んだ政府にある
憲政 - 法治によって政府権力を制限し行為の境界を主張する

 彼が求めているものは、我々が小、中学校の社会で習ったような、民主主義の基本の基本を主張しているだけです。なにも国家を転覆させるような、過激な思想でもなんでもありません。日本に育った我々は当然思います、決して間違ったことは言ってないと。なのに12年も服役しなければならない、誰が考えても異常なことです。
中国は今後も経済的には発展していくでしょうが、経済的に発展すれば、必ず、貧富の差が生まれてきます。その富を、どのように分配していくのか、どんなことにその富を使えばいいのか、それは、国民同士で話し合って決める必要があります。
自由に発言してはじめて、理解なり、批判が行われるべきで、決して一握りの特権階級が決めるべきことではないのです。そういう意味では中国の民主化の波は止められないと思います。民主化への声を、弾圧という防波堤でなんとか食い止めているかもしれませんが、一つでも小さな穴が開けば、やがて途方もない力となって流れ出すことでしょう。その小さな穴が今回の出来事だったと思います。

 もうすぐクリスマスです。劉氏はどんな思いで、今年のクリスマスを迎えるのでしょうか。
十年ぐらい前でしょうか、ウッドストックに在住しているミュージシャン達が、素敵なクリスマスアルバムを作ってくれました。最後はこの曲で締められています。
 
I Shall Be Released

They say ev'rything can be replaced,
Yet ev'ry distance is not near.
すべてのものは置きかえられるという
でも、すべての距離ははっきりしていない
So I remember ev'ry face
Of ev'ry man who put me here.
だから,すべての顔を覚えている
私を、ここに置いたすべての人の顔を
I see my light come shining
From the west unto the east.
Any day now, any day now,
I shall be released.
私が放つ光が輝いているのがみえる
西から東へ
もうすぐ、すぐにでも
私は自由になれるんだ

They say ev'ry man needs protection,
They say ev'ry man must fall.
だれもが、保護が必要だという
だれもが、堕落するという
Yet I swear I see my reflection
Some place so high above this wall.
だけど、自分の分身が見えるんだ
この壁よりもっと高いどこかに
I see my light come shining
From the west unto the east.
Any day now, any day now,
I shall be released.
私が放つ光が輝いているのがみえる
西から東へ
だから、もうすぐ、すぐにでも
私は自由になれるだろう

Standing next to me in this lonely crowd,
Is a man who swears he's not to blame.
この孤独な群集の中に
自分は悪くないという奴が立っている
All day long I hear him shout so loud,
Crying out that he was framed.
一日中、大声で叫ぶ声もきこえる
自分はめられたと泣き叫ぶ声が
I see my light come shining
From the west unto the east.
Any day now, any day now,
I shall be released.
私が放つ光が輝いているのがみえる
西から東へ
だから、もうすぐ、すぐにでも
私は自由になるだろう

風には国境がありません。
数年前、ウッドストックから発信されたこの曲は、日本の私のもとへ届きました。
そして、こんどはクリスマスの頃に風にのって、中国にいる孤独な彼のもとへ届くことを祈りつつ・・。

(残念ながらこの音源はありません)

(Joe Cocker - I Shall Be Released (Live at Woodstock 1969))


2010年12月14日火曜日

師走の挽歌~渡辺貞夫

Artist:渡辺貞夫
Album:I'm Old Fashioned
Song:Gary

 今年もいよいよ、残り少なくなってきました。師走は何か、もの悲しいですね。
街には沢山の人が行き交い、一年の中でも、華やかなハズなんですが、冷たい風が頬を突き刺し、冷気で耳が悴んだりすると、気持ちまで、こごえるようです。ため息などつきつつ、ふと思い浮かぶメロディーがこの”Gary"です。
そんなわけで、今回はこのブログで取りあげるのは初めてのJazzのアルバムです。

 ”ナベサダ”こと渡辺貞夫さんは日本を代表する、サックス、フルート奏者。それだけではなく優れた作曲家でもあります。1933年生まれですから、御年77才、バリバリの現役です。18才で上京し、21才の時、横浜のジャズクラブ「モカンボ」で秋吉敏子(ちなみ日本人でただひとり、ジャズ殿堂入りしました。)率いるコージー・カルテットに加入、その当時から、すでに卓越したテクニックを持っていたと言われています。

若き”ナベサダ”さんに大きな影響を与えたと言われるのが、守安祥太郎というピアニストでした。若くして夭折したため、幻のピアニストと言われていますが、その当時まだ、浸透していなかった”ビバップ”のジャズの手法を理論的に解析し、周囲の日本人ミュージシャンにレクチャーするなど、指導者的立場にあったとされます。あのチャーリー・パーカーのめまぐるしい超絶演奏を正確に採譜して、若き日の”ナベサダ”さんを驚かせたというエピソードがあるぐらい天才肌だったようです。守安祥太郎に関しては、ほとんど録音が残されていないとされていましたが、最近「モカンボ」でのセッションを記録したテープが発見され、その斬新な演奏は、今後、再評価されることと思います。ちなみにその「モカンボ」でのセッションを仕切っていたのが、ハナ肇、会場のもぎりをしていたのが植木等だったそうです。みんな夢を追っていたんですね。幻のピアニスト守安祥太郎は、その後、31才の若さで、電車に飛び込み自殺。極度のノイローゼが原因だったと言われています。

”ナベサダ”さんは、秋吉敏子が渡米したのち、代わってバンドを引き継ぎましたが、33才の時に自らも渡米、ボストン市のバークリー音楽院(現バークリー音楽大学)に留学します。そしてここで、その後の音楽人生に影響を与えた2人目のミュージシャン、この曲の題名にもなっているゲイリー・マクファーランド(Gary McFarland )と出会います。ヴィブラフォン奏者だったGaryは”ナベサダ”さんにその当時まだ新しい音楽だったボサノバを教え、彼にさらなる世界を指し示したようです。ゲイリー・マクファーランドはポピュラーの曲を積極的に取りあげ、Jazzは聞きやすく、より身近な音楽なんだということを主張していきました。個人的にも晩年近くに録音した「バタースコッチ・ラム」や「トゥデイ」などはJazzというよりは、ソフトロックのアルバムとして聞いていたほどで、Jazzの王道からすると、かなり異色のミュージシャンだったと思います。このJazzをより身近なものにする手法は、その後の”ナベサダ”さんに、サックスのフレージングだけでなく、作曲法においても大きな影響を与えたのではないでしょうか。(Garyは残念ながら1971年没。)ゲイリーに捧げられたこの曲でも歌心あふれるメロディーを、噛みしめるように演奏しています。バックはこれ以上のメンバーは望めなかったであろうリズムセクション、ザ・グレイト・ジャズ・トリオ〜ハンク・ジョーンズ(p)、ロン・カーター(b)、トニー・ウィリアムス(ds)です。

この曲の胸を締め付けるメロディーは、マル・ウォルドロンがビリー・ホリデイに捧げた”レフト・アローン”やトム・スコットの代表作、映画”タクシー・ドライバー”のテーマ曲にも匹敵すると思います。
師匠ゲイリー・マクファーランドだけではなく、若き日々に、切磋琢磨した幻のピアニスト守安祥太郎に捧げる鎮魂歌であったとも言えます。

「師走の挽歌」はすべての悲しみを包み込んでくれるようです。

(”Gary" by 渡辺貞夫withグレイト・ジャズ・トリオ)

(幻のピアニスト守安祥太郎さんの貴重な録音。54年当時、パーカーやパド・パウエルのビバップを自分のものにしていたことがわかります。)

2010年12月8日水曜日

失われた週末~Harry Nilsson & John Lennon

Artist:ハリー・ニルソン
Album:Pussy Cats
Song:Many River To Cross

 12月8日はジョン・レノンの命日だそうです。今年は30周年目にあたるそうで世界各国で追悼コンサートやイベントが催されているようですね。えぬえいちけーのニュースなんかでも盛んに取りあげられていました。「ジョンの魂を歌い継ぐ」とか「ジョンの願いを世界に」とか、そこまで神格化されると「なんか違うんじゃないかな」と思ったりします。そんなこと考えつつ、ふと、思いだしたのがこのアルバム。
今回はそんなお話をひとつ・・・・。
 
 1970年にビートルズ脱退を表明したジョンはソロアルバム「ジョンの魂」1971年に「イマジン」をそして、シングル「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」などのメッセージソングを相次いでリリースすると同時に、ヨーコと共に泥沼化するベトナム戦争へのアメリカ政府の介入を、公然と批判するようになります。この影響力を恐れた政府は、72年3月には、68年の麻薬不法所持の有罪判決を理由にジョンに対して国外退去を命じます。逆にジョンはFBIによる盗聴や二人の行動の監視などを理由に政府と、居住権をめぐりこのあと4年も裁判で争うことになります。1973年3月にはふたたびアメリカ移民局から国外退去の命令。この時期、居住権をめぐるアメリカ政府との闘争などが原因で精神的ダメージを受けたジョンはヨーコとの仲も次第にギクシャクしていき、ついに1973年10月別居することになります。二人の結婚生活にとって最初で最後の危機だったそうです。
ジョンはヨーコの秘書だった中国系のメイ・パンを同行し、ロサンジェルスへ移り住むことになりますが(ヨーコがメイ・パンに同行を依頼したとも言われています。)ハリー・ニルソンやリンゴ・スターらと毎晩飲み歩き、暴力事件を起こすなど、すさんだ生活をおくります。出入り禁止になった店もあったとか。

1973年10月からヨーコとニューヨークで復縁する翌1974年の11月までの、このロサンジェルス時代をビリー・ワイルダーが監督した、すさみきったアルコール依存症作家を主人公にした映画の題名に擬えてジョン自身が「失われた週末」と命名しています。(ちょっとカッコ良すぎでしょう・・。)

メイ・パンは一緒に過ごしたこの「失われた週末」時期のことを、後に一冊の本にしていますが、前妻シンシアとの間に生まれたジュリアンと再会したり、ビートルズの元メンバーとも交流したりして、ほんとうにジョンにとって最悪の時期だったのかは、甚だ疑問です。独身時代に戻ったように、羽を伸ばせたのではないか、なんて思ったりします。また、この時期にはフィル・スペクターとともにアルバム「Rock'n'Roll」の制作に取りかかっていますが、ヨーコとの別居で荒れていたジョンと、ロニー・スペクターとの離婚問題で神経衰弱だったスペクターは、事あるごとにぶつかり合い、レコーディングは順調には進まず、真偽のほどはさだかではありませんが、あまりのジョンの傍若無人な振る舞いにキレたスペクターが、スタジオのトイレで発砲事件を起こしたなんて話も残っています。結局この時期のレコーディングはマスター・テープとともに行方不明となります。(後にフィル・スペクターからこのマスター・テープを取り返しますが。)嬉々として進まない レーコディングの間に作られたのが、タイトルを呼ぶのも憚れるこのアルバムでした。ジョンが全面的にプロデュースしていますが、あの澄み切ったニルソンの歌声は、アルコールによって聞くも無残なしゃがれ声になっているため、このアルバムはあまり評価されたことがありませんが、このジミークリフ作の”Many River To Cross”は数あるカヴァーの中でも、一二を争うぐらいの出来だと個人的には思います。その叫びは歌詞と相俟ってダイレクトに心に響きます。まるで、ジョンのその頃の心境を代弁しているかのようです。

越えるべき幾多の河
私には往くべき道がわからない
途方に暮れ
ドーヴァーの白い崖をあてもなく彷徨う

越えるべき幾多の河
わずかな意志だけで、生きながらえている
幾多の歳月を荒波が私を洗い続けてきた
私はただプライドだけで生き残ってきた

この孤独は私を離れようとしない
一人の力でやって行くのはこんなにも難しい
女は私から去った その理由を告げずに
私は努力しなければならないのだと思う

越えるべき幾多の河
だが始まりの場所は何処だ
私はただ無為に時を過ごしている

かつて私には暗い牢獄に繋がれたままの
時代があっただめだ、だめだ
一生こんなことでは

越えるべき幾多の河
私には往くべき道がわからない
途方に暮れ
ドーヴァーの白い崖をあてもなく彷徨う

ストリングスのエコーなどは、スペクターの影響でしょうか、後の”マインド・ゲーム”のサウンドにも通じるものがあります。ちなみにDr:Jim Kelter,Ringo Starr,G:Danny Kootch(Jame Taylorの相棒),Jesse Ed Davis(伝説のインディアン系のギタリス),Bass:Klaus Voorman(ビートルズと縁の深いベーシストでリボルバーのジャケットを手がけた画家としても有名)Piano:Kenneth Ascher(ポール・ウィリアムズの共作者として数々の名曲あり→素晴らしい虹~Kenny Loggins参照)など、ライナーをよくよく眺めるとすごいメンツです。

「失われた週末」はジョン・レノンの人生のなかで、暗闇の時代とされていますが、すべての呪縛から解き放たれた時間でもあったのではないでしょうか。でも、完璧なジョン・レノン像 を求める人にとっては消し去りたい時代でしょうね。この世で神様みたいに崇められてるのを尻目に、今頃、天国でニルソンと二人飲み歩いて、今夜も出入り禁止の店を増やしているなんて想像する方が人間味があっていいと思うのですが・・・・。

(”Many River To Cross”by Harry Nilsson ,Produce By John Lennon)

2010年12月2日木曜日

忘れられた名盤~Joanna Carlin

Artist:ジョアンナ・カーリン
Album:Fancy That
Song:Dancing In The Dark

 その当時は、日の目を見ることなく、うち捨てられたようなアルバムの中に、思わぬ宝が隠されているということがあります。所謂、「忘れられた名盤」。今回は、そんなレコードのお話です。

 二十数年前の話になりますが、福岡市に住んでいた頃、1軒のレコード屋さんと巡り会いました。「山兵」とちょっと古風なネーミングのその店は、狭い店内に堆く、アナログレコードが積まれ(その頃はまだ、CDより、レコードが主流だったように思います。)、雑然とした中に、独特の雰囲気があって、何回か通う内に店長のY氏とも親しくなり、Y氏を通じて、同じ趣味のお客さんを紹介して、もらったりしておりました。話が盛り上がると、今度気に入った音源を持ち合いましょうということになり、それぞれが架空の音楽番組を作るように、カセットテープ(まだ、カセットテープの時代でした。)に録音し、さらに1曲、1曲に解説をつけて、数人の間で交流を深めていきました。当時、そんな時間と情熱が何処にあったのか、今でも不思議ですが、さして苦になったりした記憶がないので、よっぽど、その作業が楽しかったのかもしれません。そのお陰で、自分の知らない分野の音楽を知ることができ、音楽に対する視野も段々広くなったような気がします。「音楽の道場」私にとって、そんな所でした。

 そうして情報を交換していた時期に、店長のY氏に、このアルバムを教えてもらいました。今ではもらったカセットも何処にいったかわかりませんが、一曲目の”Dancing in the dark”を聞いた時の衝撃は今でもはっきり憶えています。まるでマリア・マルダーのファースト・アルバムの”真夜中のオアシス”を彷彿とさせる、ちょっとノスタルジックなイントロに絡みつくようなリード・ギター、このギターは、大好きなエイモス・ギャレットで、エンディングにかけてのコーラスのスイング感からして、これはUSAのアルバムに違いないと思い込んでいました。それからこのアルバムを探し続けましたが、ついにそのレコードを手にすることはできませんでした。

 そして、このアルバムの事さえ、忘れかけていた2006年、なんと日本のみでCD化され、ひっそりとリリースされました。邦題「夢見る歌姫」。ちょっといただけない邦題で、ジャケだけみるとまるで1980年代のディスコ・アルバム、内容を知らない限り、まずジャケ買いはあり得なかったでしょう。
ライナーから色々なことがわかってきました。
1)リリースは1979年、USAからではなくUKからだったこと。
2)リード・ギターは、エイモス・ギャレットさんではなくフェアポート・コンヴェンションのギタリスト、ジェリー・ドナフュー(Jerry Donahue)だったこと。
(でもソックリなんです。エイモスさんのギターがお好きな方なら誰だってそう思うはずです。)
3)当時もまったく売れず、在庫が倉庫に山積みされていたようで、市場に出回った枚数が極端に少なかったこと。(だからあまり見かけることがなかったのですね。)

もし、このアルバムが1970年代の前半にリリースされていたら、もっと評価されていたかもしれません。時期が遅すぎました。Joanna Carlin名義では、たった一枚しかリリースされなかった「忘れられた名盤」。

そんなわけで、この曲を聞くたびに、今はなきレコード・ショップ「山兵」を思い出します。店長だったY氏が、もし、今でも、このアルバムの貴重なアナログ盤をお持ちだったら、このアルバムをターン・テーブルに乗せ、当時の思い出を飲みながらでも、語り合いたいものです。

("Dancing In The Dark" by Joanna Carlin)

2010年11月25日木曜日

誕生~Beach Boys

Artist:ビーチ・ボーイズ
Album:Studio Session 61-62
Song:Lavender

at 3701 W. 119th Street, Hawthorne, California
L.Aの一角にあるこの住所は、Beach Boys Fanにとっては忘れられない場所です。そう、ここでBrian, Dennis, CarlのWilson3兄弟が「誕生」し、生まれ育った家があった場所です。今では、高速道路の沿線となっているため見る影もありませんが、1940年の後半、家の前に芝生があり、平屋の、アメリカのごく一般的な家にWilson一家は住んでいたのでした。












(自宅の前ではしゃぐBrian,Dennis,CarlのWilson3兄弟)


長男のBrianが多感な思春期に夢中になったのは、ラジオから流れてくる音楽でした。R&R、R&B、Doo-Wopなどなど、そしてもう一つ、Brianの心を捕らえて離さなかったのが、ジャズ・ボーカル・グループ、”フォーフレッシュマン”のコーラスでした。ピアノの置いてある部屋にこもってはひたすら、その複雑なコーラスの音の構成を鍵盤の上でなぞっていき、ついに兄弟でそのハーモニーを再現するまでになりました。1960年初頭、彼等はモーガン夫妻の経営する"X-レコード”で生まれてはじめてのレコーディングを”ペンデル・トーンズ”名義で行いますが、驚くべきことに、この時すでにBeach Boysはあの複雑な”フォーフレッシュマン”のコーラスを習得していたのでした。「Studio Session 61-62」と題されるこのCDは、所謂「モーガンズ・テープ」と言われる、デビュー前のレコーディング音源ですが、その中の”Lavender”(モーガン夫人の作)という曲は、高度なコーラスをすでに自分のものにしていたということを証明する、貴重な音源です。すでにデビュー前にしてBeach Boysのあのコーラスは「誕生」していたのです!

Beach Boysの「誕生」の地である、この場所、日本なら歴史的な人物ではないかぎり○○生誕地という記念碑は立たないと思いますが、そこはアメリカ、数年前、この地に記念碑を建立しようという住民運動が高まり、寄付を募ったサイトをたまたま見つけ、私も協力させてもらいました。寄付をした人にはその記念碑に名前が刻まれるという、特典付きでした。そうして、自分の名前がこの記念碑に刻まれることになりました。(人生の折り返し点を過ぎた私にとって、大好きなBeach Boysの「誕生」の地に自分の名前を刻めたことは、自分にとっては生前に残した墓碑銘(終焉)のような想いがあります。)
(at 3701 W. 119th Street,Hawthorne,CaliforniaにできたBeach Boysの記念碑)

(左端の柱の左端あたりに刻まれています。)














話は変わりますが、我がバンド浪夢(ロム)に「誕生」という曲があります。生まれ来る子供達にとって、「誕生」とは「愛されること」に他なりません。
それは誰もがもっている記憶であるべきです。しかし、この記憶を与えてもらえない子供達が増えています。子供達にすべてに与えられいるはずの「愛される記憶」。「誕生」には僕らのそんなメッセージが込められています。この曲の島原でのLiveの映像を相棒が編集してくれ、このほど完成いたしました。「浪夢オリジナル曲」のコーナーにアップいたしましたので、聞いてみて下さい。

そしてもうひとつ、「誕生」という曲のメッセージに関連するのですが、「誕生の記憶」と「愛されることの記憶」のふたつをテーマとして「幼児虐待」という問題に取り組んだ、ドキュメンタリーが11月28日(日)の深夜に日テレ系列で全国放送されます。相棒であるY医師の「タッチケア」への取り組みとその思いを描いた番組です。制作はこのブログに時々、コメントくれます福岡放送FBSのCantoku氏。是非ご覧下さい。


「誕生」という曲で繋がっていく色んな人の想い、浪夢にとって特別な曲になっています。

(”Lavender”の音源はありません。)

("Their Hearts Were Full Of Spring"(心に春がいっぱい)by Beach Boys1965年、フォーフレッシュマンのコーラスを完全に自分達のものにしています。)

2010年11月12日金曜日

冬の始まり~Carol & Cheryl

Artist:キャロル&シェリル
Album:Dream Boy Vol.2
Song:Sunny Winter

朝晩の冷え込みが本格的な冬の到来を告げています。9月のブログで取りあげました”Woderful Summer”が「夏の終わり」の歌なら、それに対をなす「冬の始まり」の歌がこの”Sunny Winter"ということになります。どちらも60’sの極上のガールズ・ティーン・ポップです。

Carol & Cherylについて、すこしお付き合い下さい。昔々、アメリカはLAにアネット・クレインバードというイタリア系の女の子がおりました。1958年、LAの郊外にあるフェアファックス・ハイスクールという高校で、その女の子は、ある男子生徒と出会います。男の子は音楽が好きで、その頃からレコーディングなどをやっておりましたが、ピアノがあまり弾けません、彼女はピアノが弾けてその上楽譜が読めたので、レコーディングを手伝うことになりました。彼女がリード・ボーカルを取ることとなったその曲は”To Know Him Is To Love Him”(邦題:逢ったとたんに一目惚れ)。あと二人を加えて4人で結成したテディ・ベアーズというグループ名で最初はインデーズ・レーベルからデビューすることになります。そしてたちまち大ヒット、全米No.1を獲得しました。

彼女の運命を変えた、男子学生の名はフィル・スペクター。後に”ウォール・オブ・サウンド”というエコーを効かせた独特のサウンドで60’sのポップスを牽引して行くことになる伝説のプロデュサーです。
しかし幸運は長く続きませんでした。その後、大手のレコード・レーベル、インペリアルに移籍し、3枚のシングルとアルバム『The Teddy Bears Sing』を残しましたが、鳴かず飛ばずの状態で、更にトレイ・レコードに移籍した彼らはスペクター・スリーと改名して2枚のシングルを発表しました。しかし、これらはいずれもセールス的に不発で、彼らは1959年にあえなく解散してしまいます。
その後スペクターは本格的な、レコーディング技術を勉強するため、ニューヨークへ旅立つことになります。残されたアネット・クレインバードはキャロル・コナーズ(Carol Connors)と名前を改名し、作曲家兼シンガーとして活動することになります。そして65年、Colpix・レーベルから妹のシェリルと吹き込んだこのシングル(A面は”Go Go G・T・O”)です。時は、サーフィン・ホッド・ロッドブーム。後にビーチ・ボーイズのメンバーとなる、ブルース・ジョンストン(ブログ”Disney Girls”を参照)とテリー・メルチャー(ドリス・デイの息子でビーチ・ボーイズとも親交が深く、後に設立する「イクイノックス」レーベルも有名です。また、このシングルのプロデューサーでもあります。)のリップ・コーズというバンドへ”ヘイ・リトル・コブラ”を提供したりしてますが大きなヒットとはなりませんでした。70年代に入って一念発起した彼女はニューヨークへ進出。ビル・コンティーと組み「ロッキーのテーマ」という大ヒットを生みます。
フィル・スペクターのその後の活躍については、ご存じでしょうから省略いたしますが、1970年発表のアルバム「レット・イット・ビー」のプロデュース。ポール・マッカートニーとの確執、ジョージ・ハリスンとジョン・レノンのソロアルバムのプロデュース。1989年、ロックの殿堂入りを果たすものの、2003年2月、自宅で女優ラナ・クラークソンを殺害した容疑で逮捕された。現在は保釈中。とその奇行も伝説となっています。
話がそれてしまいましたが、そんなキャロル・コナーズのこのシングルは、長い間CD化されるされることがなく、60’sのポップスファンの間ではまさに、垂涎の的だったのですが、日本のM&Mというレーベルが貴重なティーン・ポップスのシングルをまとめてCD化してくれました。M&Mはその後、無くなり、現在すべて廃盤となっていますが、この「Dream Boy」のシリーズは私の宝物となっています。

(Sunny Winter by Carol & Cheryl このDreamyなメロディーは今でも色褪せることがありません。)

2010年11月10日水曜日

ウェスト・コースト・コーラス~Rhythm Cafe

Artist:リズム・カフェ
Album:Rhythm Cafe
Song:Daddy's Song

 「ウェスト・コースト・コーラス」なんてタイトルを付けてしまい、何のこっちゃと思われるかもしれませんが、我々が慣れ親しんでいる70’Sのウエスト・コースト・ロックで聞かれるコーラスという意味なんです。
CNS&Y,America,Eagelsなどのコーラス。あの心地よさはどんな音の構成なのか。
そんなことを考えつつ、思い出したアルバムがこれでした。
ジャケだけを見ると、ちょっとJazzyな音が聞こえてきそうですが、これが典型的なウエスト・コースト・サウンドなんです。そしてここで聞かれるコーラスが私の思う「ウェスト・コースト・コーラス」なんです。

 Rhythm Cafeはカナダ国境に近い、シアトルのグループ。
シアトルといえばイチローのマリナーズの本拠地。ロスやサンフランシスコに比べるとイマイチ地味な印象をうける街ですが、街は住みやすく、そして町並みがきれいだとイチローも言ってました。そんな素敵な街から生まれた音楽なんです。
 ボブ・マーキュア(Bob Marcure)とディアドレ・ロード(Deirdre Lord)の男女2人が1984年にリリースしたこのアルバム、当時は話題になることもありませんでしたが、日本のSSW好きの間では、裏名盤として長く語り継がれていました。(私も、このアナログ、渋谷のHi-Fiというレコード屋さんから手に入れ、よく聞いてました。)2006年に日本のセレスト(ceeste)というレーベルがCD化して、やっと評価されるようになりました。

このアルバムの魅力は何といっても、アコーステック・ギターの響きと2人のコーラス。ほとんどボブ・マーキュアさんの作です。そのメロディーも一流作曲家と比べると、「もうひとひねり足りないんだよな」と思われるかもしれませんが、その「何か足りない」という所に、私個人としては、なんとも言えない美学を感じます。等身大の手作りの音楽。そんな所に強く惹かれます。
 「ウェスト・コースト・コーラス」の本質はアコーステック・ギターの美しさとこの3度の音の積み重なったコーラスの響きなんだと思います。この世界から一生離れことはない気がします。とにかくSSWが好きで、アコギとコーラスの好きの方は是非このアルバム聞いてみて下さい。

(残念ながらこの曲の音源はありません。)

(Valley Island by Rhythm Cafe,この男女2部のコーラスも見事です。)

(Sunshine Lady by Rhythm Cafe,このコード進行に親近感を感じます。)

2010年11月4日木曜日

素晴らしい虹~Kenny Loggins

Artist:ケニー・ロギンス
Album:Return to Pooh Corner
Song:Rainbow Connection

島原でのLiveが終わり、出演者、スタッフが全員が、打ち上げへ向かおうとした矢先、東の空に、見事な虹が・・。













Liveの達成感も相俟って、一同感激でしたが、幕引きとしては、最高の演出でした。打ち上げ会場へ向かう道すがら、O.T氏曰く「天国のとうちゃんとかあちゃんが架けてくれたとよ。きっと・・。」、確かに何かにずっと守られていたような気がしました。密かに虹に向かって、感謝。

古今東西、虹に関する歌も沢山ありますが、なんといっても一番有名なのは「虹の彼方に」(Over the Rainbow)、オズの魔法使いでジュディ・ガーランドが劇中歌として歌った名曲ですね。作詞:エドガー・イップ・ハーバーグ、作曲ハロルド・アーレン。ジュディ・ガーランドは生涯この曲を愛し歌い続けたといいます。そして、世界中でもカヴァーされ、愛された曲ですね。
Over the Rainbowには劣りますがこの”Rainbow Connection”も虹のタイトルのつく曲の中では、私にとって、エヴァー・グリーン的な曲です。 作詞:Paul Williams 、作曲: Kenneth Ascherの作品で、最初に発表されたのが日本では幼児英語教育番組として有名な「セサミ・ストリート」の中でカエルのカーニーが歌ってました。詳細な歌詞は省略しますが、題名のRainbow Connectionとは「虹との繋がり」もっと違う言い方をすれば、「虹とのかかわり」というような意味だと思います。なぜ人は虹に願いをかけたり、虹は幸福な気持ちにさせたりするのだろうと歌っています。「セサミ・ストリート」で有名になったためか、米国の小学校の文化際などでよく演奏されるそうです。ケニー・ロギンスも自分の子供の合唱を聞いて、感動し、アルバムに取りあげたようです。カヴァーも多数あり、現在少しずつ、発掘中です。
「あの素晴らしいの虹」とのかかわりを音楽で表現すれば・・・この曲が一番ふさわしい気がします。
The rainbow connection written by Paul Williams

Why are there so many songs about rainbows?
なぜこんなにたくさん
虹についての歌があるんだろう
And what's on the other side
虹の向こうに何があるかの歌も・・
Rainbows are visions, but only illusions and
虹は見えるもの、だけど ただの幻想
Rainbows have nothing to hide
それに 虹は何も隠してない

So we've been told, and some choose to believe it
虹は幻想とそんな風に言われてきたし、そう信じる人もいるけれど
I know they're wrong wait and see
私は間違っていると思うし、だたの幻想ではないとわかるだろう
Someday we'll find it
なぜなら、きっといつか、私たちはそれを見つけるから
The rainbow connection
The lovers, the dreamers and me
虹のつながりを
愛する人、夢見る人と、そして私のつながりを

Who said that wishes would be heard andanswered?
When wished on the morning star
誰が言ったのだろう
朝の星に願いをかければ
願いは聞き入れられ 答えが出てくると
Someone thought up that, and someone believed it and
Look what it's done so far
誰かがそんなことを考えついて
誰かがそれを信じたから
そう、それがあたりまえになったんだ

What's so amazing that keeps us stargazing
And what do we think we might see
驚くべきことに、いまだに私たちは星を見つめ続けるし
そこに何を見いだそうとしている
Someday we'll find it
The rainbow connection
The lovers, the dreamers and me
きっといつか、私たちは見つけるだろう
虹のつながりを
愛する人たちと、夢みる人と、そして私のつながりを


All of us under its spell
We know that it's probably magic
私たちは みんな呪文にかかり
それはもしかして 魔法じゃないかと思ってる

Have you been sleeping
And have you heard voices
あなたは眠っている間に、声を聞いたことがある?
I've heard them calling my name
私は自分の名前が呼ばれるの聞いた

Is this the sweet sound that calls the young sailors?
The voice might be one and the same
これが若い水兵を呼ぶ魅惑の音なのか
あの声と同じものなのかもしれない
(*注:だぶんローレライの伝説がモチーフになっています)

I've heard it too many times to ignore it
It's something that I'm supposed to be
私はそれを無視できないほど何度も聞いたし
確かに私にそう思わせる何かなんだ

Someday we'll find it
the rainbow connection
The lovers, the dreamers and me
きっといつか、私たちは見つけだろう
虹のつながりを
愛する人と、夢みる人と、そして私のつながりを

Someday we'll find it the rainbow connection
The lovers, the dreamers and me
(Someday, some way, I know we'll find it)
The lovers, the dreamers and me
きっといつか、私たちは見つけるだろう
虹のつながりを
愛する人と、夢みる人と、そして私のつながりを
 (きっといつか、どこかに、私たちは見つける)
愛する人と、夢みる人と、そして私のつながりを

("Rainbow Connection" by Kenny Loggins)


(作者Paul WilliamsとSSWのJason MrazのJazzyなヴァージョン、やっぱりいい曲ですね。)


2010年10月27日水曜日

音楽の言葉~竹内まりや

Artist:竹内まりや
Album:Love Songs
Song:五線紙

 「浪夢 Live in 島原 With 仲間達」終わりました。
出演者、スタッフ、観客がまさに、三位一体となった、奇跡のような時間を過ごさせてもらいました。関わっていただいたみんなに改めてお礼申し上げます。やり遂げた充実感とその後のうれしい反響と、もう終わってしまったんだという寂しさが、ない交ぜになって、日を追うたびに、胸に迫ってきます。大袈裟ですが、人生の中での一つの節目の出来事だったような気がします。

「お客さんの送り出しの音楽にも、こだわりがあるでしょう」とPAのT.M氏に気を遣って頂き、私がBGMも選曲いたしましたが、この曲だけは、どうしてもはずせませんでした。

「五線紙」作詞:松本隆、作曲:安部恭弘
竹内まりやさんのすべての曲の中でも、3本の指に入るマイ・フェイバリット・ソングであり、長く音楽を続けてきた人にとって、かならず心の琴線に触れる、名曲だと思います。
(別ウインドウからこの歌詞サイトへリンクしてみて下さい→「五線紙:歌詞」

 コンサート前のホールの雰囲気、そして、過去~現在までずっと流れていた仲間達との時間、その関わりから生まれてきた歌達。僕らの年代にとって、それは自分の体験でした。そして、最後にこう歌われます。
十年はひと色 街影も夢色
変わらないものがあるとしたら
人を愛する魂(こころ)の 人を愛する魂の
人を愛するこころの 五線紙さ

どんなに美しい言葉を並べても、伝えきれない想いがあります。そんな時、メロディーに乗せた歌の方がそんな想いをストレートに伝えることができることもあるような気がします。
「音楽の言葉」というものがあるなら、そんな言葉を綴っていく事で、誰かを励ましたり、誰かと悲しみを共有したり、誰かに勇気を与えたり、そしてひとときでもいいから安らぎを与えたりすることがあるかもしれないと、今度のLiveを終えて改めて感じました。いつまでも変わらない仲間達の魂(こころ)に・・・・。

(五線紙by竹内まりや。バックのギターはジャズ・ギタリスト杉本喜代志さん)

(作曲者の安部恭弘さんとEPOさんの別ヴァージョン、これもいいですね)

2010年10月20日水曜日

歌がうまれてる~大貫妙子

Artist:大貫妙子
Album:LIVE Beautiful Songs
Song:歌がうまれてる

 いよいよ、「島原 Live」(→Liveのお知らせ)まであと3日、出演者のみんな、スタッフの皆さん、準備は着々と進んでおります。とにかく、楽しくやりましょうね。Live前の景気付けといってはなんですが、こんな曲はいかがでしょう。

大貫妙子さんに関しては、よくご存じでしょうが、かの山下達郎さんと”シュガーベイブ”を結成。その当時はあまり評価を得ることなく解散。最近になって、何故か再評価を受け、色々な音楽雑誌で取り上げられましたね。やっと時代が追いついてきたのかもしれません。その当時から独特なコード進行の曲を書いていたひとで、ソロになってからの”ミニヨン””ロマンティーク””アヴァンチュール”の3作でヨーロッパの香りのする独特な世界を確立しました。
その後、映画「Shall weダンス?」(監督:周防正行 96年)のメイン・テーマや、98年の映画「東京日和」の音楽プロデュース(監督:竹中直人/第21回日本アカデミー最優秀音楽賞を受賞)、スタジオジブリ初の海外配給作品「裸のキリク」イメージ・ソングなど、CMやどこかでその癒される声をお聞きになったことがあるはずです。

疲れたり、心配ごとがあったりするときこの声をきくと、なぜか”ほっこり”とした気分になります。

この「歌が生まれてる」という曲は鈴木慶一,奥田民生、宮沢和史、矢野顕子、大貫妙子という5人が集まったミレニアムLiveCD「LIVE Beautiful Songs」の中でBeautiful Beautiful Songsのテーマでそれぞれ5人が作った中の大貫さんの曲です。ある大きなテーマに沿ってそれぞれのミュージシャンがタイトルの違う歌を作るのも、そのミュージシャンの個性が出て、面白いかもしれませんね。今後のLiveの参考になります。

そんなワケで、「歌が生まれてる」を聞きながら、Liveに向けての静かな闘志を蓄えようと思います。新たな歌の種をまきながら・・・。

(”歌がうまれてる”by大貫妙子)

2010年10月14日木曜日

ひかり〜相川理沙

Artist:相川理沙
Album:ひかり(シングル)
Song:ひかり

 街が目覚める時、一日の内でもそんな時間が大好きです。
年をとった精か、最近、早起きの習慣がついてしまい、夜明け前に目が覚めることが多くなりました。私の住んでいる所は、田園の中に、家が所々に点在するような田舎なので、今はその感覚を味わうことはできませんが、街に住んでいた若い頃、夜明け前の街を、歩いていると、朝日と共に、色々な音が聞こえてきたものです。

車の走る音、長崎だと、路面電車の音。シャッターを開ける音。人の気配。街が明るさと共に、目覚めて行くのが、たまらなく好きでした。まだ、将来への不安や、人間関係や、恋愛や、悩みは沢山ありましたが、今日は何かいいことが起こる予感みたいなものが、後押ししてくれているような・・・。
この曲を聞くたびに、そんな「街が目覚める時」を思い出します。

相川理沙さんは福岡出身のSSWです。歌い始めたきっかけが、西鉄の福岡駅で出会った、ストリートミュージシャンに感銘を受け、自分もできるのではないかと曲を書き始めたそうです。そんな理由なのか、この人の曲にはいつも街の匂いがします。自分の住んでいる街へのこだわりを感じます。バックを努めるのは、これも福岡市を中心に活動している「ケイタク」とバンドですが、このギターもいい感じです。

自分の住んでいる街でみんな夢を追いかけているんでしょうね。街ですれ違う、一見、無表情に見える人達にも、そう考えると、ちょっと優しくなれるような気がします。明日も早起きしてこの曲聞いてみましょうかね。

余談ですが、地下深く閉じ込められていた人達にとって、地上の「ひかり」はどんな風に見えたのでしょう。想像もつかないぐらいの神々しさだったでしょうね。
今後の生き方が変わるぐらいの衝撃だったと思います。素晴らしい光景でした。

(ひかりby相川理沙)


2010年10月6日水曜日

常夏の島からの風~Kool Elevation

Artist:クール・エレヴェイション
Album:1th Impressions
Song:Falling

その国の風土(気候や歴史や文化)は音楽と連動としているとよく言われます。今や日本人のリゾート地といってもいいハワイも例外ではありません。

 ハワイアンのウクレレの響きに、伝統舞踊であるフラや、その背景に椰子の浜辺を連想するのは、音楽の伝統を継承するという歴史があったこそとも言えると思います。
しかし、ウクレレのことを調べて見ますと、その歴史は以外に新しく、一節にはポルトガル人が持ち込んだブラギーニャ(braguinha)という小さいサイズのギターが起源と言われ、1890年代に現在の形になったようです。それまではハワイには打楽器しかなく、弦楽器を19世紀の後半まで知らなかったとも言えるわけです。その音がまるで蚤(ノミ)が飛び跳ねるような音だったためハワイ語で「飛び跳ねる(lele)ノミ(ʻuku)」ウクレレ(ʻukulele)となったとか。いまや希少価値となったハワイのコアの木で作られるウクレレは高級品となっています。

 同じ時期にハワイに入ってきたギターも独自の発展を遂げました。それは、種類や形ではなく、独特の響き、チューニング法にあります。スラックキーギター (Slack-key guitar) という独特のチューニングです。基本は6弦からD-G-D-G-B-Dにあわせる所謂、オープンGチューニングで、3弦だけを半音下げ、D-G-D-F#-B-Dというチューニングになりますとマイナー曲用になります。この他にも、その家系に代々伝わるチューニングのしかたがあるらしく、いかに音楽というものを大事にしてきたかがわかります。
 
 また弾き方にも独特な方法も用いました。ギターを寝かせ左手に金属やガラスのバーを持ちそれをスライドさせて演奏する方法です。後にハワイアンがブームになるとアメリカ本国で専用の楽器にデザインされ、現在のスティール・ギターになったと言われています。その後、ハワイアンのみならず、カントリーやロックの分野の音楽にも用いられるようになりました。

自然を愛し、その恵みを神に感謝するという、至極シンプルな生活をしていた最後の楽園ハワイも1900年にはアメリカ領となり、1959年についに50番目の州としてハワイ州となります。その裏側には、ハワイ王朝の崩壊という悲しい歴史があり、運命に翻弄された、最後のプリンセス、美貌のカイウラニ(Kaʻiulani)の悲しい物語があるのですが、これに関して、また、何かの機会に・・・。

 そんなワケで、20世紀になるとアメリカの音楽がどっと流れ込んできて、トラディショナルなハワイの音楽もその影響を受けることとなります。その中でも、コンテンポラリー・ハワイ・ミュージックと呼ばれるAORやWest Coat Rockに影響を受けたハワイのアーティスト達が作った音楽が、最近、相次いでCD化されるようになりました。アメリカ本国の音楽とは違い、売らんが為の過剰なプロデュースがされておらず、メロディーも未完成な所はありますが、手作りの音には音楽を楽しくやるという等身大の姿勢が感じられ共感する所があります。そして何より、ライフ・スタイルを反映してなのか、音楽の中に海や波の音や、やわらい風を感じるとることができます。70〜80年代に有名となったKALAPANA、CECILIO & KAPONO、SEAWINDなどは、幾度もCD化され比較的手軽に聞くことができますが、自主制作され、それもハワイだけで限られた枚数しか発売されなかった、レコードも沢山ありました。この分野にも熱心な日本のリスナーがいて、以前から話題になっているものもありました。中には一枚、ん万円もするものがあり、堅気(かたぎ)の私達にはとても手が出せるものではありませでした。
 例をあげるとLemuria、Mackey Feary Band、The Aliis、The Krush、Billy Kaui、Country Comfort、 Lance Joe, Audy Kimura,Ray Gooliak,Richard Natto,などなど。そしてもっとも入手困難だった、Tender LeafやPhase 7そしてLuiなども最近、相次いでCD化されるようになりました。気軽にきけるのは喜ばしい限りですが、反面すべて期待した内容ではなく中には、レアというだけで・・・というのも正直あります。
 そんな中で逆に期待せずに聞いて、内容が予想以上によかったのが、このクール・エレヴェイションというバンドのアルバム「1th Impressions」でした。特に”Give This Love A Try"と"Falling"という2曲は印象深く、特に"Falling"はBossaを基調とした、個人的な好みのテイストでありまして、手前味噌ですが、我がバンド「浪夢」に通じる所がありました。
いずれにせよ、これらのバンドの音の隙間からは「常夏の島からの風」を感じることができます。背伸びをせず、飾らない、普段着の音楽がコンテンポラリー・ハワイ・ミュージックの魅力でもあります。

(残念ながら音源はありません)

(Kool Elevation”Perfect Day”のPV?この手作り感がなんともいえません。)



2010年9月29日水曜日

サザン・ソウルの至宝~George Jackson

Artist:ジョージ・ジャクソン
Album:In Memphis 1972-77
Song:How Can I Get Next To You

久しぶりに、サザン・ソウルを取りあげたいと思います。アメリカ南部は「音楽のるつぼ」と呼ばれ、そこからブルース、ジャズ、ゴスペルが生まれ、さらにそれらが、融合してR&RやR&Bへ発展していきました。1950年後半から1960年代にかけて、ラジオなどの普及により、それらを媒体として、レコードをセールスするという、音楽のビジネスが成立するようになりました。

「デッカ」「コロムビア」「RCAビクター」「キャピトル」「MGM」「マーキュリー」などのメジャー・レーベルのみならず、「俺たちも一旗揚げよう!」と各地に、インデペンダント・レーベル(独立した自主制作レコード会社)がタケノコのように、生まれました。そのようなインデペンダント・レーベルは、それぞれのスタジオを所有し、そこで録音する場合もありましたが、腕利きのミュージシャンを抱えているスタジオと契約を結び、レコーディングすることも多かったようです。南部もその例外ではなく、有名なスタジオが沢山ありました。代表的なものでは、テネシー州メンフィスの、GoldwaxやHiのスタジオ,そして映画ブルース・ブラザーズでもお馴染みのバンド、ブッカーT&MG'sを擁してたStax。ナッシュビルにはアメリカン・スタジオ。ブログでも取りあげましたダン・ペンのいたアラバマ州のマッスルショールズのフェイム・スタジオ(詳しくは→2010年1月27日~サザン・ソウルの断片~Dan Pennを参照)。テネシー州ジャクソンのマラコ・スタジオなどが特に有名です。
南部のソウル・シンガーにはゴスペル素養が元々あったため、その歌い方にゴスペルが色濃く反映されていました。絞り出すように、そして時にはシャウトするヴォーカルは魂を揺さぶるほどの感動を与えたため、「Deep Soul」と呼ばれ特に南部のサザン・ソウルはその代表格となりました。オーティス・レディング 、ウィルソン・ピケット、ルーファス・トーマス、オーティス・クレイ、アーサー・コンレイ 、O.V.ライト、アル・グリーン、スペンサー・ウィギンス、ジェームズ・カー、パーシー・スレッジ、キャンディ・ステイトン、ローラ・リーなどが主なアーティストですが。南部のスタジオでレコーディングしたアレサ・フランクリンやエタ・ジェームスもサザン・ソウルを代表するシンガーと言えるかもしれません。
インデペンダント・レーベルからのシングル・ヒットが続くと、その先にはメジャー・レーベルとの契約。そしてLPの制作という道が開かれました。だたし、そのような、成功への道を歩いたアーティストはほんの一握りで、南部のインデペンダント・レーベルを渡り歩きながらシングルをリリースする方が多かったようです。そのため、比較的有名なアーティストに関しては、LP、CDなどいつも入手できますが、音源がシングルでしか入手できないものは、その筋の方々(?)には評価は高いものの、幻のミュージシャンと呼ばれる人達も少なくありませんでした

今回、紹介するジョージ・ジャクソン(George Jackson)もそんなひとりです。ヴォーカリストとしてより、サザン・ソウルのソング・ライターとしての評価が高いようですが、シングルの音源しかなく、そのシングルを入手するのが難しいため、聞きたくても聞けないという状態でした。そんな中、UKのKent・レーベルがやってくれました。(ここのレーベルはほんといい仕事しています。イギリスの人達は、音楽に対して愛情がありますね。そしてお国柄か、いいものは後世に残すことを使命としているところがあります。こういう所がほんとうの文化だと思います。日本の音楽業界も見習う必要があります。)
そんなわけで、George Jacksonの1972-1977のメンフィス時代のシングルを一枚のCDとしてリリースしてくれたお陰で、やっと幻とよばれる音源をまとめて聞けるようになりました。いわゆるサザン・ソウルの範疇からすると、絞り出すようなシャウトもないし、ちょっとソフトすぎる歌い方なんで他のサザン・ソウルのシンガーと比べると、物足りないという意見もあるでしょうが、その静かな歌い方が、かえって何か、せつなさを醸し出して、いい味出しているんです。おそらく、その頃の黒人のヴォーカリストの誰もが憧れたサム・クックの影響もあったと思われます。
まさに「サザン・ソウルの隠された至宝」そんな感じの一枚です。


(”How Can I Get Next To You?”〜ボビー・ウォマック、アル・グリーン、ジョニー・テイラー、JB、ルーファス・トーマス、マーヴィン・ゲイの名前&曲名が歌詞に織り込まれてます。)


(”Aretha, Sing One For Me”〜アレサ・フランクリンのライヴ・ショーをモチーフにした歌詞になっていて、曲の後半には、「I Never Loved Anyone Like I Love You」、「Respect」などアレサの名唱で知られる楽曲が7曲も歌詞に登場してます。)

2010年9月23日木曜日

旅に出よう~スチョリ

Artist:スチョリ
Album:優しい時間
Song:旅に出よう

本日、休日。のんびりした朝。今日あたりからやっと秋の気配が漂いはじめました。今年の秋は短いそうで、一気に冬に突入するとか。短い秋を満喫するには旅に出てみるのもいいかもしれません。のんびり温泉にでも入って、夏の疲れををとるなんてのが、正しい秋の過ごし方だと思いますが、現実はそういうわけにもいきません。そんなわけで、音楽だけでもちょっとした旅行気分に浸れるこんな曲はどうでしょう。
スチョリさんは、前から大好きなだったラリーパパ&カーネギーママという素敵なネーミングのアメリカン・ルーツ・ロック・バンドのキーボード。はっぴいえんどの香りのする懐かしいサウンドで、すでに良質な4枚のアルバムをリリースしています。残念ながら2006年にグループを脱退。ソロとして活動を始め、2010年にこのファーストアルバムをリリースしました。70年代のSSWを思わせるメロディーとやさしい歌声に聞いたとたん虜になってしまいました。この力のぬけ具合がこの季節にはぴったりです。

ところで、今回は個人的な宣伝をさせて下さい。このブログの右端のコーナーにも掲載しておりますが、おもに久留米で活動しております浪夢ですが、前からずーっと、やりたかった、私のふるさとでのLiveを行うことになりました。
今回のテーマは自分達の言葉で、自分達の音楽を伝えること、世界に一つしかないオリジナル・ソングのLiveにしようと思っています。

浪夢Live in 島原~オリジナル・アコーステック・ソングのひととき
日時:10月24日(日)
時間:午後1:00開場、1:30開演
場所:長崎県南島原市西有家町須川493-3  西有家町公民館カムス・ホール

当日は我々、浪夢の他にも、久留米でいつも一緒に活動しております練習よりも何故か酒宴の方が盛り上がる音楽愛好会Take 1のメンバーも出演してくれます。
筑後の吟遊詩人~SINOGU君。圧倒的なヴォーカルで歌われるオリジナル・ソングを絶妙なバンド・アンサンブルで聞かせてくれる~ing。30年以上前から一緒にやっていてメンバーの人となりがそのサウンドににじみ出ている大人のバンド~Flag Fieldなど、素敵なコンサートになりそうです。
小浜温泉や雲仙などの温泉を巡りながら、日曜日の午後に音楽を、そんな素敵な旅に出てみませんか。



2010年9月14日火曜日

夏の終わりに~Robin Ward


Artist:ロビン・ワード
Album:Wonderful Summer
Song:Wonderful Summer

うだるような暑さの夏も、そろそろ終わろうとしております。とはいえ、まだまだ秋の足音は聞こえてきませんが、朝晩の風には少し涼しさを感じます。

毎年、「夏の終わり」に聞きたくなるのが、ロビン・ワードの歌う、甘ずっぱくて、懐かしい”Wonderful Summer”。
60年代の古き良きアメリカのカリフォルニアの海風と波の音を届けてくれる極上のティーン・ポップの1曲です。

実はこの曲にはちょっとした逸話があります。1963年に、この曲の作曲者でもありアレンジャーでもあるペリー・ボトキンJr.は他の歌手に歌わせるために、この曲のDemoをあるスタジオ・ミュージシャンに歌わせました。Demoのその出来映えがあまりにも素晴らしかったので、そのままリリースことになります。その女性スタジオ・ミュージシャンはジャッキー・ワード(Jackie Ward)と名乗っていました。デビューするにあたり自分の娘の名前”ロビン”を拝借しロビン・ワード(Robin Ward)としてリリースします。そして見事スマッシュ・ヒットを記録します。
そのころ21才で娘さんがいるとは思えないような、そのキュートで無邪気な声はきらびやかな夏の終わりにこそ、ふさわしい気がします。
その後、数枚のシングルを出しますが、あまりヒットせずに、ティーン・ポップの女性歌手としてのキャリアは終わってしまいます。

しかし、ロビン・ワードにはもう一曲、ビーチ・ボーイズ・フリークとしては忘れてはならない”In His Car”という曲があります。この曲は実はBeach Boysの”In My Room"のアンサーソングなのです。
こういう、しゃれっ気のある、音楽での遊びが最近めっきり少なくなりました。

その後ロビンは80年代にはビリー・ヴォーン楽団のシンガーとして、来日したこともあるようですが、表舞台に立つことはありませんでした。そのへんのことは長門さんのブログに詳しいですので興味のある方はコチラを。→http://recomints.com/c/magazine/b_n/nagato_080815.html

ロビン・ワード”Wonderful Summer”~人もまばらのBeachに沈んでいく夕陽。終わる夏を惜しむようにそれを見つめるふたり~人生のうえでもそろそろ黄昏れてきた、おじさんにとっては、そんな青春の頃のセピア色のスナップ写真をみた時のような懐かしさと甘酸っぱい記憶を呼び起こしてくれる永遠のサマー・ソングなのです。

(深いエコーと波の音〜ロビン・ワード”Wonderful Summer”~永遠の夏の歌)

(Beach Boys "In My Room"のアンサーソング、ロビン・ワード”In His Car")

2010年9月9日木曜日

モーズ・アリソンに捧ぐ~Ben Sidren,Goegie Fame


Artist:ベン・シドラン、ジョージ・フェイム
Album:Tell Me Something:The Song Of Mose Allison
Song:Back On The Corner

モーズ・アリソン(Mose Allison)〜ちょっと小粋でイナセなジャズ・ピアノ弾き。
1927年、アメリカはミシシッピ生まれですから御年83歳。1950年ごろからジャズ・ピアニストとして本格的な活動を始めます。フィル・ウッズのコンボでのプレイが有名ですが、ジャズ・ピアニストとして活躍する一方で、コンポーザーとして沢山の曲を残しており、「ジャズ界のウィリアム・フォークナー」と称されています。その作風はジャズ寄りではなくどっちかというと、ブルースやR&Bに近いため、ロック・ミュージシャンにカヴァーされることが多いようです。
クラプトン在籍のヤードバーズやジョン・メイオールもカヴァーしてますし、一番有名なのはザ・フーがライヴの定番としていた”ヤング・マン・ブルース”も彼の曲です。その他、影響を受けたアーティストはローリング・ストーンズ、レオン・ラッセル、エルビス・コステロなど多数。
そして、その演奏やヴォーカルのスタイルを受け継いでいるのが、ベン・シドランとジョージ・フェイムです。ベン・シドランもジャズピアニストというより、ロックとジャズの中間で70年代にブルドック・レーベルからデビュー。小粋にスイングするピアノ。ヘタうまな味のあるヴォーカルはまさにモーズ・アリソンのスタイルです。ピアニストでありながら博士号をもった哲学者でもあり”Dr.ジャズ”の愛称の如く、有名な「ジャズおたく」でもあります。先月紹介したクレモンティーヌのアルバムなどのプロデューサーとしても有名です。
一方、ジョージ・フェイムは60年代のロンドン・モッズシーンを代表するヴォーカリスト&オルガン奏者。61年の末から、ジョージー・フェイム&ザ・ブルー・フレイムズとして本格的に活動します。ソーホー地区にあった伝説のフラミンゴ・クラブに出入りするようになった彼らは、やがてその店の看板的存在として脚光を浴びるようになりました。いわゆるモッズ・R&B・デイズの始まりです。同時代の英米シンガー・ソングライターたちの作品を取り上げた71年のアルバム『ゴーイング・ホーム』や、元アニマルズのアラン・プライスと共同名義で作った『フェイム・アンド・プライス』(71年)などが有名です。80年代も終ろうとしていた頃。60年代から親交があったという英国きっての偉大なるヴォーカリスト&ソングライターであるヴァン・モリソンと邂逅を果たし、ヴァンのバンドでキーボード奏者として、バンド・マスターとして活躍しました。そんな中89年ツアー先のオーストラリアのパースでフェイムの共通の友人を通じフェイムとベン・シドランが出会います。意気投合した2人は敬愛するモーズ・アリソンの作品集をヴァン・モリソンも加え3人でつくることになり1996年にこのアルバム“Tell Me Something”リリースしました。
アルバム全編にわたってブルースとR&Bのテイスト のする、まさに極上の「大人のアルバム」に仕上がっています。いいですね、この感じ。お酒のお供に是非どうぞ。

("Back On The Corner" by Ben Sidren,Goegie Fame)

(ベン・シドラン、ジョージ・フェイムの2人のヒップなステージ。これはレイ・チャールズの作”It Should Have Been Me”。楽しんでますね。)

2010年8月30日月曜日

魔法の料理~バンプ・オブ・チキン

















Artist:Bump Of Chicken
Album:魔法の料理(シングル)
Song:魔法の料理

幼い時の記憶。叱られた後に食べる晩御飯。何処にもって行きようのない怒りと悲しみ。涙と一緒に食べる、ご飯の味。黙々と口に運ぶ。しょっぱくて、味なんかしない。何もなかったようにみんな会話を始める。おかずのいい香りといつもの手料理の味がやっとわかってきて、そして少しずつ、ほぐれていく堅くなった心。それはまさに魔法がふりかけられた料理のようでした。そんな想い出を鮮やかに蘇らせてくれた素敵な曲に最近出会いました。
バンプ・オブ・チキン(訳すると”弱虫の一撃”いいネーミングですね。)の「魔法の料理」という曲はこんな書き出しで始まります。

魔法の料理~君から君へ~

作詞:藤原基央 作曲:藤原基央

叱られた後にある 晩御飯の不思議
あれは魔法だろうか 目の前が滲む

正義のロボットの剣で 引っ掻いたピアノ
見事に傷だらけ こんな筈じゃなかった

大きくなるんだ 伝えたいから
上手に話して 知って欲しいから
何て言えばいい 何もわからない

君の願いはちゃんと叶うよ 楽しみにしておくといい
これから出会う宝物は 宝物のままで古びていく

(何か理由はあったんです。ピアノに傷をつけたこと。でもうまく説明できない。そんなもどかしさ。でも大丈夫、大きくなったらちゃんと説明できるかもしれない。
そんな体験ありましたよね。大人になった自分からの、子供の頃の自分へのメッセージです。)

確か赤だった筈だ 三輪車 どこまでだって行けた
ひげぢいがくれた熊は よく見たら犬だった

プラスチックのナントカ剣で 傷付けたピアノ
模様のつもりだった 好きになろうとした

大きくなるんだ 仲間が欲しい
わかり合うために 本気を出せる様な
基地が出来るまで 帰らない様な

期待以上のものに出会うよ でも覚悟しておくといい
言えないから連れてきた思いは 育たないままで しまってある
更に 増えてもいく

(そう三輪車を手に入れたとき、凄く遠いところまで行けるような気がしてました。しかし地図というものに出会って、あまり遠くまでは行けないことを知ってしまう。僕らだけが知っている秘密の基地では、何でも話せる仲間がいました。でも
そんな基地もいつかは、見捨てられてしまいます。そんな誰にでもは説明できない思いもずっと大人になるまで大事にしまっておこうね)

怖かったパパが 本当は優しかった事
面白いママが 実は泣く時もある事

おばあちゃんが 君の顔を忘れたりする事
ひげぢい あれは犬だって 伝え様がない事

いつか全部わかる ずっと先の事
疑いたいのもわかる 君だからわかる
メソメソすんなって

(成長するにしたがって、家族のことが見えてくる、大人だって完璧じゃないんだ
それがわかって、少し優しくなれる。でもそれはずっと先のこと。今は信じれないと思うけど)

君の願いはちゃんと叶うよ 怖くても よく見て欲しい
これから失くす宝物が くれたものが今 宝物
君の願いはちゃんと叶うよ 大人になった君が言う
言えないから連れてきた思いは 育てないままで 唄にする

叱られた後にある 晩御飯の不思議
その謎は 僕より大きい 君が解くのかな
こんな風に 君に説くのかな

(大人になった僕が、子供の時の僕に言えることは、逃げないでちゃん見ること、うまく説明できないことも決して切り捨てたりしないで、大人になるまで、連れていってみること、もっと時間が経ってさらに年をとった僕は、「叱られた後にある 晩御飯の不思議」をどんな風に解き明かしてくれるだろう。現在の僕のように言うだろうか)

括弧で必要のないコメントを付けてしまいましたが、すごくいい詞ですね。
バンプ・オブ・チキンのほとんどの詞と曲を書いているヴォーカルの藤原基央(ふじわらもとお)さん。すごい才能を感じます。スピッツの草野マサムネさんの詞に接した時以来の衝撃です、このふたり、透明感のあるヴォーカル以外にも何か共通するものがあります。日本の音楽も捨てたもんじゃないです。

(別のウィンドウからyou-tubeへ飛んで歌詞をじっくり味わって下さい)

2010年8月25日水曜日

奇跡~Brian Wilson
















Artist:ブライアン・ウィルソン
Album:Reimagines Gershwin
Song:The Like in I Love You

ついに、発売されました!ブライアンの新譜。感激です!唯々、涙・・・。

 1967年「ペット・サウンズ」の後、完成すれば、あの「サージェント・ペバーズ」をも凌ぐアルバムになっただろうと言われていたアルバム「Smile」。
しかし、ブライアンは精神のバランスを崩し、その重圧からついにアルバムは完成を見ることなくに幻に終わってしまいます。その断片は、その後のBeach Boysのアルバムで、パラバラには聴くことはできましたが、その全貌を正式な音源で聴くことはできませんでした。それから、実に37年の歳月が過ぎた2004年、ついにブライアンは「Smile」を完成させ、その全貌を私達に見せてくれました。「ポケット・シンフォニー」と銘打うたれるハズだったように、それは音楽による一つの叙事詩でした。完璧なトータル・アルバム。想像以上のクオリティーはその当時にリリースされていたなら、決してビートルズにも引けは取らなかったと思います。

そして、自らの失われた過去を清算するかのように「Smile」を完成させた後,2008年には「That Lucky Old Sun」をリリース。カリフォルニアで過ごした、50年~60年代のブライアンにとってのゴールデン・エイジだった想い出を慈しむかのように、その記憶を1曲、1曲に切り取って、私達に届けてくれました。
ブライアンは復活しました。まだぎこちない行動はあるにせよ、カリフォルニアの空に響きわたるあの美しいファルセットは失われてしまったにせよ、彼の頭の中にある素晴らしい音楽を、きちんと整理して、現実の音として再現することを可能にすることができるまで回復してきました。その影には、ずっとブライアンを支えてくれる固定したバンドの存在が欠かせなかったと思います。メンバー全員がブライアンと一緒に音楽を作れる喜びを、語っています。みんなブライアンのことが大好きなのです。
もし、音楽の女神(ミューズ)がいるとしたら、ブライアンに特別な才能を与えた代償として大きな試練も課しているような気がしてなりません。
そして、音楽のミューズは、今回もちょっとしたイタズラを思いつきました。その著作権の管理がビートルズよりも厳しいことで知られるジョージ(弟)&アイラ(兄)・ガーシュインの名曲達をブライアンにカヴァーさせることです。

驚くべきことに、今回のアルバムに関しては、ガーシュインの遺族から、申し出だったようで、曲の使用に関しては、ブライアンに完全な権利を与えています。
声明の中で、ジョージ・ガーシュウィンの遺族のトッド・ガーシュウィン、ジョージの兄で、曲に歌詞をつけていたアイラ・ガーシュウィンの遺族のマイケル・オーウェンは、ブライアンを作曲家として称賛し、「ガーシュウィン一族は、伝説的なミュージシャンのブライアン・ウィルソンが次のプロジェクトとしてジョージ・ガーシュウィンとアイラ・ガーシュウィンの曲集をレコーディングすると決めたことを大変嬉しく思っています。アメリカン・ミュージックはこれまでガーシュウィン兄弟からブライアン・ウィルソンに至るまで、他の者には見えないものを見ることができる人々によって前進し続けてきました。今回の作品はガーシュウィン音楽の魔法を再発見する新たな機会となることでしょう」とまで述べています。
アルバムでは、ガーシュインの代表作” Rhapsody in Blue”、”Summertime”、” 'S Wonderful”、”I Got Rhythm”、”Someone to Watch Over Me”などはもちろんのこと、1937年にガーシュインが死亡した際に残されていたという未完成曲、「The Like in I Love You」と「Nothing But Love」の2曲の楽曲を完成させるための権利まで与えられました。ついに、ガーシュインの曲をブライアンが引き継ぎ完成させるという、ファンにとっては、信じられない、「奇跡」を聴くことができました。それは、音楽のミューズが与えた才能が、誰も聴いたことがない曲に新しい息吹を吹き込んだ瞬間でした。
ありがとう。ブライアン。この「奇跡」を共有できる時代に生きていることを感謝したいと思います。

(未完成だったガーシュインの曲をブライアンが引き継ぎ完成させた「奇跡」の1曲)

(古巣のキャピトルを離れ、今回はディズニーのレコード・レーベルからのリリース、次はどんなアルバムになるのか楽しみです。)

2010年8月17日火曜日

アニソンは世界を救う?~土岐麻子、クレモンティーヌ

Artist:土岐麻子
Album:ジブリ meets Bossa Nova
Song:となりのトトロ






Artist:Clementine
Album:アニメンティーヌ~Bossa Du Anime~
Song:ラムのラブソング (アニメ『うる星やつら』OP)







今の日本の誇れるもの、自動車、パソコン、携帯、ハイテクな電化製品?
どうも、この辺には翳りが見えてきましたね。では、日本が唯一誇れるモノとは?
どうやら今はアニメ、漫画文化のようです。
今や全世界に輸出され、アジア各国は元より、欧米、イスラム圏、ビンズー圏の国で、放送されているようで、戦渦の中にある国でも、子供達だけではなく大人も吹き替えられたアニメをみる時が、唯一、笑いが絶えない時間なのだそうで、ころころ変わる日本の首相よりもよっぽど「ドラエモン」の方が世界の平和に貢献しているかもしれませんね。
そんなわけで、世界中でアニメソングが流れていて、ちょっとしたアニソン・ブームになっています。音楽業界もこれに目をつけないワケがありません。アニソン・カヴァーアルバムに関しても百花繚乱、パンク、ハード・ロック、ジャズ、イージー・リスニング、ポップス、クラシックなどなど様々にアレンジされたアルバムがリリースされております。
 そんな中で、全編ボサノバにアレンジされた、個人的には秀逸だと思う、2枚のアルバムを今回、取り上げてみました。

まずはジブリ・ソングを日本のアーティストがカヴァーした
「ジブリ meets Bossa Nova」内容はいうと
1. となりのトトロ(となりのトトロ) 中塚 武with 土岐麻子
2. 君をのせて(天空の城ラピュタ) viola with Kaori Okano
3. 崖の上のポニョ~Ponyo Nova Arrangement ~(崖の上のポニョ) Jazztronik
4. さんぽ(となりのトトロ) COJIROU with カコイミク
5. 風の谷のナウシカ(風の谷のナウシカ) 大橋トリオ
6. もののけ姫(もののけ姫) wyolica
7. いつも何度でも(千と千尋の神隠し) Lumiere with ellie
8. 海のおかあさん(崖の上のポニョ)sakai asuka with Sonomi Tameoka
と、こんな感じ。
あまり期待せずに聞いてみたのですが、これがアレンジがよく練られていて、BGMとしても最高のアルバムでした。中でも”1.となりのトトロ(となりのトトロ) 中塚 武with 土岐麻子”がお気に入りですが、5.の大橋トリオの” 風の谷のナウシカ”もなかなかです。ちなみに、土岐麻子さんはサックス・プレイヤー土岐英史氏の娘さん、ポップで良質なアルバムをすでに多数リリースしており、キュートなヴォーカルに魅了されます。

そしてもう一枚が、フレンチ・ボッサの歌姫、クレモンティーヌがフランス語で日本のアニソンを歌った意欲作。内容がスゴイ!
1. ラムのラブソング (アニメ『うる星やつら』OP)
2. バカボン・メドレー
3. 崖の上のポニョ (アニメ映画『崖の上のポニョ』主題歌)
4. おどるポンポコリン (アニメ『ちびまる子ちゃん』OP)
5. 風の谷のナウシカ (アニメ映画『風の谷のナウシカ』シンボル・テーマ・ソング)
6. はじめてのチュウ (アニメ『キテレツ大百科』ED)
7. ロマンティックあげるよ (アニメ『ドラゴンボールED)
8. サザエさん・メドレー
9. ドラえもんのうた (アニメ『ドラえもん』OP)
10. とんちんかんちん一休さん (アニメ『一休さん』OP)
11. タッチ (アニメ『タッチ』OP)
12. CAT’S EYE (アニメ『キャッツ・アイ』OP)
 取りあげました「うる星やつら」は、まだしも、サザエさんやドラえもん、一休さん、究極はバカボン・メドレー。これをどう料理するのでしょう。
聞いてみたら、ビックリ、ボサノバに大変身!さらに、フランス語で歌われると、不思議に、おしゃれ。
アレンジは、魔法のように曲を変身させてくれるのです。

(バカボン・パパ談「これでいいのだ~」)




2010年8月9日月曜日

歌霊(うただま)〜夏川りみ、Teresa Bright

Artist:夏川りみ
Album:おきなわうた
Song:童神






Artist:Teresa Bright
Album:Hawaiinawa
Song:Kamalani








童神(わらびがみ)という曲があります。沖縄を代表する歌手・古謝(こじゃ)美佐子さん(ネーネーズのリーダー)が作詞し、2000年にリリースされた自身のソロ・アルバム「天かける橋」に収録されていました。沖縄では物心がつくまでは、幼児は純白で何物にも汚されていない、神の魂に近い心を持つということから童神(わらびがみ)と呼ばれていました。初孫の誕生を期に書かれた曲ですが、ウチナーグチ(沖縄の言葉)で語られる詞には、胸を深く打たれます。

2002年に夏川りみさんがこの曲をヤマトグチ(日本語)ヴァージョンでカヴァーし、第45回の日本レコード大賞金賞を受賞しましたが、この曲はウチナーグチ(沖縄の言葉)ヴァージョンで歌われた方が何故かしっくりくるような気がします。と思っていたら、夏川さんのアルバム「おきなわうた」に原点である沖縄の言葉で歌ったヴァージョンが収録されてました。
ひとつ、ひとつの言葉の意味を訳詞を見ながら聞いていると、胸にじ〜んと浸みてきます。感動的な歌です。
[訳詞]
天の恵み 受けてこの地球に 生まれたる我が子
私こそがお守りして育てる 愛し私の子
泣くんじゃないよ お天道さんの光受けて
どうかよい子に どうか何事もなく育ってね

夏が来れば 涼風(すずかぜ)を送り
冬がくれば 懐に抱く 愛しい我が子
泣くんじゃないよ お月さんの光受けて
どうかよい子に 大人になってね

雨風の吹き渡る この世間 身を盾にして守るから
花を咲かせてね 愛しい我が子
泣くんじゃないよ 天の光受けて
どうか良い子に どうか立派な人になってね

そしてこの曲は海を渡り、ハワイの歌姫、テレサ・ブライトにカヴァーされました。もちろんこんどはハワイ語で・・・。
意味はハワイ語に詳しい、JST(ジャスト)のY氏に伺いたいのですが、たぶんこの訳詞と同じ内容だと思います。このヴァージョンも素晴らしい出来映えです。

これらの歌を聞いていたら、言霊(ことだま)という言葉を思いだしました。言葉に宿ると信じられた霊的な力という意味ですが、平たく言えば、いい言葉を発していると、その言葉がいい方向に向かわせてくれ、悪い言葉を発すれば、悪い方へ物事が進んでいくということらしいです。

言霊があるのなら歌霊(うただま)もあるはずです。
(ひっくりかえすと霊歌(れいか):スピリチュアル・ソングでもあります。)
歌に宿る力、それは「音楽のチカラ」でもあるんですね。国境や人種やイデオロギーの垣根を越え、人、本来のもっていた無垢さ、純粋さを取り戻せるそんな力を与えてくれる歌たち。

この曲は胎教にいいと評判になったそうです。生まれ来る我が子を愛しみ、親としての自覚に目覚めていく、それは誰に教えられたわけではなく、自然に、本来、備わっていた、人としての感情を呼び覚ますからなのかもしれません。

この曲が心に響くのなら、子供を置き去りにして、死なせてしまうような悲しい事件は絶対に起こらないことを信じたい、今日この頃です。

(古謝(こじゃ)美佐子さんのオリジナル・ヴァージョン)

(古謝美佐子さんと夏川りみさんによるデュオでどうぞ)