2011年6月30日木曜日

あれから40年〜Marvin Gaye

Artist:マーヴィン・ゲイ
Song:Mercy Mercy Me (The Ecology)
Album:What's Going On

洋楽好きなら、誰もが知っているこのアルバム、この度「40周年記念 スーパー・デラックス・エディション 」なるものが、発売されました。仕様はCD2枚とアナログ盤1枚という豪華盤。2011年のリマスターで未発表トラックも満載(30周年盤の時のトラックに新たに数曲加えられています。)さらにアナログ盤は所謂、デトロイト・ミックス仕様(LAで後に音が加えられる前の原型)になっているもようです。(興味のある方はこちら
1971年のリリースですから、かれこれ40年が経つんですね、このアルバムが発売されて・・・。

 このブログの「2011年2月9日〜魂のキャッチ・ボール」にも書きましたが、後の「ニューソウル」を高らかに宣言した歴史的名盤であることは誰もが認めるところですが、モータウンというレーベルの歴史の流れの中ではかなり異質なアルバムだったと思います。

モータウン(Motown;Motown Records)は、1959年ベリー・ゴーディ・Jrによってデトロイトで設立されたレコードレーベルです。
「黒人向けのR&Bだけでなく広く白人層にもアピールできる音楽を作ろう」と徹底的に音楽の制作を研究し、レコードができる過程を、分業化し、それぞれの分野に高い能力をもったスタッフを配置して、「ヒット曲の製造工場」を作り上げたのでした。作詞・作曲チームには、ホーランド=ドジャー=ホーランド(H-D-H)の3人を筆頭にスモーキー・ロビンソン、ノーマン・ホイットフィールド、アシュフォード&シンプソンらが控えていました。レコーディングも「ファンク・ブラザーズ」といわれるモータウンのセッションには欠かせないレギュラー・メンバーで行われるようになりました。ピアノはアール・ヴァン・ダイク、ベースはジェイムズ(ジェイミー)・ジェマーソン、ドラムスはベニー・ベンジャミン。特にベースのジェイムズ・ジェマーソンとドラムスのベニー・ベンジャミンが作り出す強力なリズムは、我々が思い浮かべる「モータウン」の音そのものでした。
スモーキー・ロビンソン(ミラクルズ)、ダイアナ・ロス(シュープリームス)、テンプテーションズ、マーヴィン・ゲイ、フォー・トップス、スティーヴィー・ワンダー、グラディス・ナイト&ピップス、マイケル・ジャクソン(ジャクソン5)、ライオネル・リッチー(コモドアーズ)、メアリー・ウェルズ、マーサ&ヴァンデラス、などなどアーティストもキラ星の如く。
そして、「アメリカのヒット曲が生まれる町」Hitsville U.S.Aとベリー・ゴーディが命名したように1960年代に黄金期をむかえます。

マーヴィン・ゲイもそれまで、すぐれたアルバムを作り続けモータウンの看板スターではありましたが、いつしか、作家達の作るLove Songを只歌うことにだんだん疑問を感じてくるようになりました。「自分の作りたいものをレーベルの制約をうけることなく自由に創作したい」彼はその権利を「モータウン」の中で初めて勝ち得たアーティストでもありました。

 デュエットとしてこれ以上の相手はいないと思っていたタミー・テレルが脳腫瘍で70年に亡くなったことの悲しみ、父との長年の確執、弟のベトナムでの体験、いまだ貧困にあえぐ同胞達、経済を優先するばかりに破壊されていく自然、公害問題、さらなる環境破壊を引き起こすかもしれない原発。先行きの判らない混沌としたアメリカ社会。彼の中の芽生えていた疑問は非常に個人的なものだったかもしれませんが彼はそれらを歌いたかったのだと思います。そして出来上がったものは、その時代だけの流行ではなく、普遍的な意味をもったコンセプト・アルバムとなりました。

 発売当初、いままでの「モータウン」の路線と大きくかけ離れているこのアルバムをリリースすることにベリー・ゴーディは難色を示したと言われています。それほど内容的にも特異なアルバムだったのです。音楽的にも今までの「モータウン・サウンド」とは違っていました。そのサウンドは今までのR&Bの範疇には収まりきれないものでした。JazzやDoo-Wapなどの様々な音楽を消化し作り出された都会的な音楽ーそれは都市で生活するようななった新しい黒人達のライフ・スタイルを象徴するサウンドでした。
発売されるやいなや全米で200万枚を売り上げ、ソウルチャートで1位、ポップスチャートでも6位を記録する「モータウンの70年代」を代表するアルバムとなりました。その後のスティービー・ワンダーなどの「モータウン」におけるアルバム制作のスタイルを切り開くことにもなりました。
 皮肉なことに、このことは、徹底的に分業化され、管理された「ヒット曲の製造工場」としての「モータウン」の崩壊でもありました。「モータウン」はすぐれた才能をもったアーティスト達が作るレコードを、ただ販売する1レコード・レーベルに過ぎなくなってしまいました。
 また、このアルバムは「モータウン」で初めて、レコーディングのミュージシャン達の名前がクレジットされたアルバムでもありました。つまり、会社側からミュージシャンの誇りや権利を取り戻したとも言えると思います。

このアルバムは1曲をだけを取り上げるべきものではないと思いますが、
この”Mercy Mercy Me (The Ecology)は副題のとおり、今我々が直面している環境問題をすでに71年の時点で問題にしているという点で、非常に先見的な曲だと思います。未だ収束しない「日本の原発問題」をマーヴィン・ゲイが生きていたら何と言ったでしょうか。「40年もの間、いったい何を考え、何をしていたんだ。」
きっとそのツケを今、我々は払わなければならないのかもしれません。

(Mercy Mercy Me (The Ecology) by Marvin Gaye)

Mercy Mercy Me(The Ecology)
ああ、どうかどうかお許しください
そう、すべては以前とは変わり果ててしまった
なんてことだ
あの広い青空はどこへ行ってしまったんだ?
毒が、風のように吹いてくる
北の地から、東から、南から、そして海からも


ああ、どうかどうかお許しください
そう、すべては以前とは変わり果ててしまった
なんてことだ
大海原や僕らの海の上に石油は流されている
魚も水銀に晒されている


ああ、どうかどうかお許しください
そう、すべては以前とは変わり果ててしまった
なんてことだ
大地と空に放射能が溢れ
近くに住んでいた動物たちと鳥たちは死んでいる


ああ、どうかどうかお許しください
そう、すべては以前とは変わり果ててしまった
人が溢れているこの大地は一体どうしたというんだ?
あとどれくらい、大地は人間からの虐待に耐えられる?

私の最愛の主よ
私の最愛の主よ
私の最愛の主よ


(追伸)
 前回、お知らせしておりました、「島原 酒蔵ほろ酔いコンサート」沢山のお客さんに来ていただき大盛況でした。酒蔵という素晴らしい舞台もさることながら、前回の南島原でもコンサートもそうでしたが来ていただいたお客さんがとてもあたたかく本当にいいLiveができたと自負しております。出演者をはじめ音響、照明、駐車場の整理をしてくれたスタッフ、関係者の皆さん、雑事に奔走してくれた家族にこの場を借りて感謝いたします

2011年6月21日火曜日

せつなくて、そして哀しい雨の唄~槇原敬之

Artist槇原敬之
Song:THE END OF THE WORLD
Album:UNDERWEAR

さてさて、この長雨いつまで続くのでしょうか。九州地方は一週間以上「お天道様」を拝める日がありませんでした。皆様、くれぐれも水害、土石流、崖崩れなどにご注意下さい。
ここまで、雨に降られると、当然、「雨の歌」なんぞを物色することになります。生まれた初めて聞いた「雨の歌」なんだったかな。「ハジレコ」(初めて聞いたレコード)ならぬ”雨”の「ハジうた」ですね。やっぱり童謡かな。

「雨 雨 ふれふれ かあさんが
蛇の目でおむかえ うれしいな
ぴっちぴっち ちゃっぷちゃっぷ
らんらんらん」

この歌かな。

タイトルは「アメフリ」。大正時代に作られた歌だそうです。作詞は柳川が生んだ日本を代表する詩人「北原白秋」。作曲は童謡の大御所「中山晋平」
実はこの歌5番までありました。こんな歌詞なんです。

かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

この子、その当時としては、裕福な家の子供だったんですね。
後半の歌詞の「上から目線」が妙に気になります。「~したまえ」という今では政治家でさえ使わない言い回しですが、大正時代には子供もこういう言い回しをしていたんですね。しかし、今の時代にはそぐわない歌詞になってしまいました。童謡も時代と共に変化していくものなんですね、難しいものです。

そんなわけで、その後、洋楽の世界を知り、色々な「雨の歌」と出会いました。
「悲しき雨音」カスケーズ(1963年)
「雨に消えた初恋」カウシルズ(1967年)
「雨にぬれても」B.J.トーマス(1970年)
「雨にぬれた朝」キャット・ステーヴンス(1971年)
「雨を見たかい」CCR(1971年)
そうそう、前々回のブログで紹介した
「雨に微笑を」ニール・セダカ
これもプログで取りあげましたロジャー・ニコルズ&ポール・ウィリアムズの「雨の日と月曜日は」その他、映画では「雨に歌えば」,スタンダードナンバーだと「降っても晴れても」(Come rain or come shine)、「九月の雨」(September in the rain)、「Here's that rainy day」(”失恋した日には雨が降る”って歌ですね。)やボサノヴァでは「Gentle Rain」(アストラット・ジルベルト)これに邦楽を入れると、沢山ありますね「雨の歌」。

そんな中で、この数年ずっと心を捕らえられているある曲というか、ある歌詞があるんです。槇原敬之の”THE END OF THE WORLD”。ちょっと歌詞に耳を傾けてみて下さい。
(→歌詞はコチラを)

(”THE END OF THE WORLD”by槇原敬之)

なんともせつない「雨の歌」。これにはやられました。
テーマは”禁断の恋”。
色々な状況設定が考えられますが、これはずばり”不倫の歌”ですね。
特に印象的だったのがこの部分

「あと一回引けば消えるスタンド、
お互いをもっと見つめるのにちょうどいい、
明るさも手に入れられない」

ここの歌詞を聴く度に胸がキュンと締め付けられるんです。このフレーズはなかなか書けるもんじゃありません。

この二人のせつなさ、それゆえの美しさ、許されぬ二人
をまるで短編映画をみるように、ここまで描けるとは。
ある意味、槇原敬之の最高傑作(歌詞の上で)ではないかと、思います。
雨音でも聞きながら、たまにはしんみりと・・・。

追伸:ちょっと個人的な告知をさせて下さい。長崎県の島原半島にお住みの方へ。
我がバンド”浪夢”の「雨の歌」ー”思い出通り”を肴に、おいしい日本酒なんていかがでしょう。
島原 酒蔵ほろ酔いコンサート
2011年6月25日(土) · 18:00 - 21:00
場所 :南島原市有家町 清酒「萬勝」吉田屋酒造 酒蔵
出演、SINOGU、浪夢、ヤスムロコウイチ(このブログでも紹介)


2011年6月14日火曜日

初心~Laura Nyro

Artist:ローラ・ニーロ
Song:It's Gonna Take A Miracle 
Album:Gonna Take a Miracle

 ついに、今回でこのブログも100号の節目を迎えることができました。これもいままで「趣味趣味音盤探検隊」を支えてくださった皆様のお陰です。とくにブログに書くことを勧めてくれた相棒のY氏には感謝しております。今後も細々と続けていこうと思っていますので、今まで同様、ご支援、宜しくお願いします。

 さて、記念すべき100号目に誰を取りあげようかと悩みましたが、ここは「初心に帰って」みることも大事だと思い、ブログ第1号で書かせてもらったLaura Nyroを再度取りあげることにいたしました。私にとって、「洋楽」というまったく未知の世界へ誘ってくれた人でもあり、彼女の音楽性がある意味、その後の人生の音楽的な嗜好を決定したと言っても過言ではないかもしれません。
前回ではプロフィールを書いてなかったので、ここで簡単に紹介しておきます。

 1947年10月18日、ニューヨーク市ブロンクスに生まれる。本名はローラ・ナイグロ(LAURA NIGRO)。父は米軍バンドのトランペッター。母も芸術や音楽が大好きだったようで、そんな父母の影響もあり(ちなみジャズ・シンガーのヘレン・メリルは ローラの叔母に当たる。)、幼い頃からジャズ、ドゥーワップ、ブリル・ビルディング、シカゴ・ソウル、モータウン等を聴き込み、14才頃には街中のプエルトリコのハーモニー・グループと一緒に地下鉄構内で歌っていた。そして、ジャニス・イアンと同じハイスクール・オブ・ミュージック&アーツに在学中の17歳の頃には名曲「And When I Die」や「Wedding Bell Blues」をすでに書き上げていた。かなり早熟な少女だったようです。
(そういえば、ジャニス・イアンも弱冠15歳にしてシングル「Society's Child」でデビューしてますので、たぶんお互い意識していたのかもしれません。そう考えると”At Seventeen”の歌詞の内容に関してもローラも同級生だったんだと思うと、非常に興味深いものがあります。)

 そんなローラの早熟の才能にいち早く気付いたミルト・オクンのプロデュースにより、1966年にヴァーヴ・レコードからシングル「Wedding Bell Blues」でデビュー。翌67年にサンフランシスコのクラブ、ハングリー・アイで初めてプロとしてステージに立つ。同年、サイケデリックの祭典となったモンタレー・ポップ・フェスティヴァルのステージにも立ったが、その出来を巡っては大きな反響が巻き起こっている。(実はこのステージでブーイングを浴びて、それ以後、ステージが嫌いになったという説がありましたが、フェスの模様を収めたDVDを検証してみるとブーイングと思われた音は賛辞の口笛だったことがわかります。)
デビュー曲を含むファースト・アルバムはヒットには至らなかったものの、このアルバムの中の楽曲を後にフィフス・ディメンション、ブラッド・スウェット&ティアーズ、スリー・ドッグ・ナイト、バーブラ・ストライサンドらが取り上げ、いずれも大ヒットになったことから、ローラは一躍注目のソングライターになりました。その後,コロムビア移籍後、68年に「イーライと13番目の懺悔」そして69年には「ニューヨーク・テンダベリー」をリリースします。特に「ニューヨーク・テンダベリー」はSoulのみならずJazzの要素を取り入れ、ローラ独自の音楽性を追求した作品に仕上がっており、深夜ヘッドホンで聞いていたりすると、どこかへもっていかれそうになるほどのインパクトがありました。

そして1971年に発表されたのが、パティ・ラベルが率いるザ・ラベルをフューチャーした、この「ゴナ・テイク・ア・ミラクル」。十代から歌い続けていた、自分のバック・グラウンドであったR&BやSoulの曲達をリスペクトしたカヴァー集。プロデュースは後にフィリー・ソウルで一世を風靡するギャンブル&ハフ。バックも後にフィラデルフィア・サウンドを支えた生え抜きのミュージシャン達所謂、MFSB(Mother Father Sister Brother)という音楽集団です。そしてレコーディング・スタジオは華麗なフィリーソウルの名作の数々を生んだシグマスタジオなんです。この先見性にも脱帽です。
ここで収録曲を簡単に紹介します。

A面
1.I Met Him On A Sunday (S.Owens/D.Coley/A.Harris/B.Lee)1958
ニュージャージー出身のガール・グループ The Shirelles の作品。ストリート・コーナー・ハーモニーの雰囲気が漂うオープニング。気分はすでにブロンクスの街角へ。

2.The Bells (I.Bristol/G.Gaye/M.Gaye/E.Stover)1970(全米12位)
 モータウンに在籍していたデトロイトのグループ、 The Originalsのヒット曲。マーヴィン・ゲイが名盤『ホワッツ・ゴーイング・オン』の制作とほぼ同時期にプロデュースしたそうですから、その当時は結構、新しい曲だったと思われます。

3.Monkey Time (C.Mayfield)1963~Dancing In The Street  (W.Stevenson/M.Gaye/I.Hunter)1964(全米2位)
前半は Curtis Mayfield の曲で Major Lance のヒット曲。後半は Martha & The Vandellas のあまりにも有名な大ヒット曲。暴動を誘発すると曲解されて放送禁止になった逸話は有名。多分、ローラも10代にモータウンやノーザン・ソウルに夢中になっていたと思われます。ローラとザ・ラベルのソウルフルな掛け合いが実に楽しそうです。

4.Desiree (L.Cooper/C.Johnson)1957
ニューヨークのドゥーワップ・グループ、The Charts の名曲。スローなバラードで、冬、ブロンクスのアパートの窓を開けると部屋に入り込んでくる、街の冷気のような曲。大好きな曲です。

5,You've Really Got A Hold On Me (W.Robinson)1963(全米8位)
Smokey Robinson & The Miracles のソウル・クラシック。The Beatles のカヴァーでも有名。オリジナルに負けないコーラスは絶品。

B面
1.Spanish Harlem (J.Leiber/P.Spector)1961(全米10位)
 The Driftersに在籍していた Ben E.King のソロの最初のヒット曲。同じ71年にアレサ・フランクリンも大ヒット(全米2位)させている。日本では山下達郎氏が「On The Street Corner」で取り上げたことで有名。

2.Jimmy Mack (E.Holland/B.Holland/L.Dozier)1967(全米10位)
これも Martha & The Vandellas の大ヒット曲。モータウン・サウンドはティーンエイジだったローラに多大な影響を与えていたようです。85年にはシーナ・イーストンもカヴァー(全米65位)

3.The Wind (N.Strong/B.Edwards/W.Hunter/ Q.Eubanks/J.Gutierrez)1960
「従兄弟から聴かされたのを覚えているわ。私が12歳の時よ。初期のドゥーワップの中でも美しい曲の一つ。聴いた瞬間、ストレートに私の心に届いたの。」と語られた名曲。彼女が初めて買ったレコードでもあるようです。オリジナルはデトロイトの黒人ヴォーカル・グループ、Nolan Strong & The Diablos の美しい曲です。これも、ローラのファンでもある達郎氏が「On The Street Corner」で取りあげてました。

4.Nowhere To Run (E.Holland/B.Holland/ L.Dozier)1965(全米8位)
これも Martha & The Vandellas の曲。モータウンの中でも特にこのグループがお気に入りだったようです。

5.It's Gonna Take A Miracle (T.Randazzo/ B.Weinstein/L.Stallman)1965(全米41位)
オリジナルはリトル・アンソニー&ザ・インペリアルズのプロデューサー、テディー・ランダッツォ(Teddy Randazzo)がその女性版として手掛けたThe Royalettes。作曲も手がけています。後半にかけての盛り上がりが感動的なラストを飾ります。
今回はこれを取り上げさせていただきました。

ローラのアルバムの中では、1曲もオリジナル曲がないという異色のアルバムです。
確か達郎さんが言ってた思いますが、ローラはソング・ライターとしての評価が高く(おそらく、ローラの曲が他のアーティストによってヒットしたからだと思います。)シンガーとしてはイマイチ評価されていないようですが、このアルバムなどを聞くと、白人でこんなにソウルフルに歌える人はそうはいないんじゃないかと思います。

その後、母の死、結婚、離婚、未婚の出産を経て、ローラのプライヴェートは大きく混乱しながらも、熱烈なファンにとっては目の離せない作品群が断続的に届けられましたが、残念ながら、1997年4月8日に卵巣ガンにより享年49才の幕を閉じた。

 こうやって100回の記念号でローラを再度、取りあげることができ、「初心」にリセットでました。今後も「膨大な音盤の森」を、彷徨つづける覚悟でございます。よろしくお願いいたします。

(" It's Gonna Take A Miracle" by Laura Nyro and Labelle)

(これがオリジナル。”It's Gonna Take A Miracle” by Royalettes )


2011年6月8日水曜日

不遇な時でも~Neil Sedaka

Artist:ニールセダカ
Song:Cellophane Disguise
Album:Let The Good Times In


不遇な時期が人生にはかならずあります。そんな時、どう対処していくのかが、その後の人生を大きく左右することがあるものです。今回はそんなお話。

ニール・セダカ。名前だけは誰でもご存じのだと思います。
50年代〜60年代のアメリカン・ポップスの黄金時代、<ブリル・ビルディング・ポップス>の一時代を築いた「歌職人」と呼ぶにふさわしいヒット・メイカーの一人です。
所謂、シンガー・ソング・ライターのはしりでもあり、1959~1962年までに放ったヒット曲はざっとこんなところ。
恋の日記(The Diary、1959年、全米チャート第14位)
おお!キャロル(Oh! Carol、1959年、全米チャート第9位)
星へのきざはし(Stairway to Heaven、1960年、全米チャート第9位)
きみこそすべて(You Mean Everything to Me、1960年、全米チャート第10位)
カレンダー・ガール(Calendar Girl、1960年、全米チャート第4位)
すてきな16才(Happy Birthday Sweet Sixteen、1961年、全米チャート第6位)
ボーイ・ハント(Where The Boys Are、1961年、歌・コニー・フランシス、全米チャート第4位)
小さい悪魔(Little Devil、1961年、全米チャート第11位)
悲しき慕情(Breaking Up Is Hard To Do、1962年、全米チャート第1位、グラミー賞ロックンロール部門ノミネート、1976年ジャズ風リメイク版、全米チャート第8位、アダルトコンテンポラリー部門1位)
可愛いあの子(Next Door to an Angel、1962年、全米チャート第5位) -出だしのスキャットは1968年に日本で流行ったザ・ダーツの「ケメ子の唄」で使われている。

 ざっと眺めるだけでも、メロディーがハナ唄で出てくるぐらい、我々、日本人にも馴染みのある曲達です。

 しかし、優れたヒットメーカーであった彼にも、不遇を囲っていた時期がありました。1965年、ビートルズが全米を席巻。その後に続けとばかり英国のグループが全米ヒットチャートを賑やかすようになります。後に<ブリティシュ・イノベーション>とよばれるようになりました。その後、ベトナム戦争は激化一途をたどり「ウッド・ストック・フェス」に代表されるようなロックの時代となっていき、<ブリル・ビルディング・ポップス>の一時代を築いた「歌職人」達の音楽は、使い古された、流行おくれの音楽と見なされ、瞬く間にヒット・チャートからその名前が消えていきました。
キャロル・キング(曲)&ジェリー・ゴフィン(詩)、ジェフ・バリー&エリー・グリニッやバーリー・マン(曲)&シンシア・ウェイル(詩)でさえこの時代大きなヒットを放つことはありませんでした。
ニールも同様で、素晴らしい才能と輝かしい実績はあるものの、アメリカの音楽業界の中で生きていくには、そうとう厳しかったらしく、ついには他のスターの前座やドサ廻りをやったりしています。
 そんな時期でも、彼は歌を書くことを、決して辞めたりしませんでした。驚くべきことに、「不遇な時代」でも彼のつくる歌は確実に進化していました。
2005年にリリースされたCDが手元にあります。”Let The Good Times In”というタイトルの2枚組のCDはオーストラリアから発売されたもので、1960~1975頃のニールのデモ・レコーディング集です。60年後半のまさにこの「不遇の時代」に作られた売り込みの為に作ったデモ曲(後にいくつかの曲は他のアーティストが取りあげることもありました。)が多数収録されておりますが、この内容が素晴らしいものでした。特にディスク2の楽曲のクオリティの高さは感動モノです。

実は今回取り上げた曲は’68年にUKからリリースされたアルバム「Working on a Groovy Thing (Sounds of Sedaka)」にも収録されていましたが、当時まったく注目されることもなく(デモ集ですからね)、しかもアルバムも本国アメリカでは発売することもままならない状態でした。そのアルバムが丸ごとこのCDに収められているわけですが、デモ集とはいえ、ニールの・ソロアルバムといってもおかしくないぐらい、バックのアレンジもしっかりしています。

このように60年後半は、自分のソロアルバムさえ出せない状況でした。
しかし、転機は訪れました。70年代初頭に自分の生き方や個人的な思いを歌にするSSWブームがおこってきます。キャロル・キングやバリー・マンの復活に後押しされるように、往年のヒット・メーカーが再び、脚光をあびることになります。

ニールも71年に「Emergence (ニール・セダカ・ナウ)」72年には「Solitaire」という復活を宣言するような好盤をリリースしますが大きなヒットにはいたらず、新規一転、イギリスへ活動の場を映すことになります。73年に「The Tra La Days Are Over (ピース・アンド・ラヴ)」。そして、ついに74年にアルバム「Laughter in the Rain (雨に微笑を)」の中の同名曲が全米No.1に輝きついに復活を果たします。
それは、約10年の長きにわたる暗いトンネルでした。
その後、バッド・ブラッド(Bad Blood、1975年、全米チャート第1位、歌にエルトン・ジョンが参加)、愛ある限り(Love Will Keep Us Together、1975年、歌・キャプテン&テニール、全米チャート第1位、グラミー賞最優秀レコード賞受賞) などヒットで第二の黄金時代を迎えることになります。

 もし、この「不遇の時代」に歌を書くのをやめたり、昔の栄光にしがみついて手を抜いた仕事していたら、その後の復活はあり得なかったように思います。天賦の才能もあるでしょうが、「不遇の時代」に書かれた曲であってもメロディーのもって行き方といい、サビの盛り上げ方といい、後の作品に些かも引けを取らない、素晴らしい作品達だと思います。
「手を抜いた仕事はしちゃあ、お天道様に申し訳ねえやな」という、他の<ブリル・ビルディング・ポップス>の「歌職人」達にも言えることですが、これが「職人」としての意地と心意気そして、底力なんですね。

次回でちょうど、このブログも記念すべき100号を迎えることになります。いままで、私の駄文にお付き合いいただき、ブログを見ていただいております皆様にあらためて感謝いたします。

(”Cellophane Disguise” by Neil Sedaka)


("Summer Symphony")


("Good Morning Means Goodbye" by Peppermint Rainbow これも長いことCD化もされず捨て置かれたセダカ作品。2008年にやっとCD化されました。) 


("Rosemary Blue" by Neil Sedaka from「Emergence」)
中学の時に買った日本盤EPを聞いて以来、時々取り出しては聞いているセピア色のアルバムみたいな曲