2011年1月31日月曜日

やっと出会えたね〜Rumer

Artist:ルーマー
Album:Seasons Of My Soul
Song :Am I Forgiven

 最近、聞くべき新人がいないとお嘆きの、SSWフリークの諸氏。見つけましたぞ。有望株を。すでに巷ではチラホラと話題になっておるようです。
(なんでも、UKではいきなりデビューシングルがヒット・チャートの3位になっておるようですが・・・)

その名はルーマー(Rumer)。UKの新聞には「カレン・カーペンターを彷彿させるイノセント・ヴォイス」とか、「あのバート・バカラックも大絶賛」とか、かなり騒がれておるようです。
私めも、アルバムに針を落として(といってもCDですが)、1曲目のこの曲ですぐ虜になってしまいました。ストレートな素直な声。中音域の声は、なるほどカレン・カーペンターにも似ているような気もします。
31才遅咲きのデビューです。それには、この人のドラマのような波乱の人生があったのです。

 生まれたのはパキスタン。エンジニアだったという父の仕事の関係で、子供時代をパキスタン、タスマニア、そして南アフリカで過ごす。新聞もTVも無かったという孤立した辺境の地で、彼女は初めて音楽に触れる。兄からもらったギターを独学で習得。曲作りを始める。TVもなにもない環境では、彼女にとって唯一の楽しみだったでしょう。一家はUKに戻り、生まれて初めてTVを見て、テクニカラーのミュージカル映画に取り付かれたように夢中になり,学校にもなじめないこともあり,やがて音楽的なインスピレーションや慰めを古い映画の中に見出すようになったようです。この人の作るメロディーが妙に懐かしいのはその為かもしれません。
11歳の時に両親が離婚。更にそれをきっかけに衝撃の事実――彼女が今まで「父」と呼んでいた人は「生物学的な父」ではなく,また兄弟姉妹の中で自分だけ父親が違うことを知る。しかし彼女の「父」は,一家のコックとして仕えていたパキスタン人男性と母の間に生まれた彼女を,決して他の兄弟姉妹と区別することなく育ててくれたそうです。(ん〜まるで昼メロ。)

両親の離婚後,その「父」と暮らしていた彼女は16歳のときから放浪を始める。しかし母が癌で2003年に死去。彼女は人生のどん底に落ちる。嘆き悲しみながらもひたすら曲を作り続け、なんとか音楽で生きていこうと決心。ロンドンでさまざまな仕事を掛け持ちしながら音楽活動を続け,自らの腕を磨く努力を怠ることなく,あらゆるチャンスに挑戦していった。しかし、長い下積み生活は10年にも及んだ。
そして2010年,Rumer 31歳の時,ようやく今まで積み上げていたものが花開く時がきます。自身のFacebookに「今一番過小評価されていると思う人は誰?」という質問を投稿した彼女の現在のマネージャーが、「Rumer」と答えてきた人間(しかも互いに関係の無い全くの他人同士)が5人もいたことに注目!彼女を探し当て、契約を交わしたのです。そこから話はトントン拍子に進み,彼女は3月にはAtlantic UKとの契約を手にしたそうです。
なんとドラマチックな人生じゃありませんか。この話を聞いただけでも、なんか応援したくなります。
 デビューシングルの”Slow"や2ndシングルの”Aretha"もいいのですがなんといってもこの”Am I Forgiven”にはやられました。初期のローラ・ニーロ。ロジャ・ニコの香りがします。現在、輸入盤が発売されてますが3月に発売される予定の日本盤(ジャケも違います。)がボーナス・トラックや訳詞もついていると思われますのでそれまで待つのが得策かと。
「やっと出会えた」運命の1枚、とにかくオススメのアルバムです。

(”Am I Forgiven” &”Aretha”by Rumer)

("Alfie" by Rumer なるほどバカラックが絶賛するのもわかります。)

2011年1月26日水曜日

花のように愛おしい人~Blossom Dearie

Artist:ブロッサム・ディアリー
Album:Sings Blossom's Own Treasures
Song :Hey John

 昨年の1月に”キュート”と題して、ヴァレリー・カーターを取りあげましたが、ロック界のキュートな声がヴァレリーとすれば、ジャズ界のキュート・ヴォイスの代表はブロッサム・ディアリーではないでしょうか。一度その歌を聞けば、わかりますが、まるで幼女がそのまま大人になったような声です。「ビ・バップのベティ・プープ」と呼ばれていたのも納得できます。

 ブロッサム・ディアリーについて簡単に紹介いたしますと、1926年の4月28日、ニューヨークの郊外に生まれています。驚くべきことにBlossom Dearieという名前は本名だそうで、Blossomは「花のような」、Dearieは「愛おしい」というような意味がありますので、声と名前がこれほど一致する人も珍しい。(ほんとかどうかわかりませんが、生まれた時、彼女の兄が父親の元へ満開の桃の枝を持ってきたのが名前の由来という説があるそうです。)

20才代後半にフランスのパリに渡り、そこで知り合ったアニー・ロスやミッシェル・ルグランの実姉であるクリスチャン・ルグランらとコーラスグループの「ブルー・スターズ」を結成。この時代にヨーロッパ的なセンスを身につけたようです。

レコードレーベルVerveのプロデューサーがたまたま、グラブで歌っていた彼女の声に一目惚れし、アメリカでのソロレコーディングを持ちかけ、アメリカへ帰国、1957年、アルバム「Blossom Dearie」でデビューします。この時31才。(その前にジャズピアニストとしてのアルバムをリリースしてますが歌ってはいなかったようです。)
Verveで5枚のアルバムを制作、その声が評判になり人気を博するようになり、アメリカとヨーロッパを行き来しながらCapitol,Fontanaとレーベルを渡り歩き、アルバムを発表していきます。

1974年には自らのレーベル、Daffodilを立ち上げ、兄が社長となり、その後は、このレーベルからマイペースでアルバムをリリースするようになります。Verve時代のスタンダードなジャズとちがい、Fontana、Daffodil時代はどちらかというとポップス寄りの曲を取りあげていて、Daffodil時代のブロッサム・ディアリーを評価するファンも多いようです。2006年まで、現役の歌手としてニューヨークのクラブで歌っていたそうで70才を過ぎても、このキュートな声は衰えていなかったそうです。
(一度、Liveで生の歌を聞きたかったですね。)
残念なことに、2009年2月7日老衰のために死去。享年83才でした。

 ややもすると、この手の声は、女性には嫌われることもあるのですが、ブロッサムの歌い方には凜とした気品があり、男に阿るようなベタベタした感じがありません。そのためか、女性ファンも結構多いようで、時々日本の女性アーティストがフェイバリット・アルバムとしてブロッサム・ディアリーを取りあげています。キュートな声ばかりが取りあげられますが、ジャズ・ピアニストとしてもなかなかのものです。念のため。

 ちなみに、村上春樹さんが、秘蔵のアルバムとして、ビール会社”ルートビア”が大口の顧客だけに景品として配った彼女の限定アルバム「Sings Rootin' Songs」を挙げていたという話は、ファンの間では有名です。(オリジナルは確かに激レアですので、ちょっと自慢したくなる気持ちはよくわかります。このエピソードに関しても村上さんには、なぜか親近感を感じます。)

 ブロッサム・ディアリーのアルバムは2000年あたりから、だいぶCD化がすすみ、ありがたいことに、苦労してオリジナルを探さなくとも、現在のところ、容易に入手できるようになりました。今回取り上げましたCDは日本独自にDaffodil時代のアルバムから編集したもので、ブロッサム・ディアリーをもっと聞いてみたい方には、オススメです。この”Hey John"はジョン・レノンに捧げた曲で、ブロッサム・ディアリーの代表的なオリジナル・ソングです。最初は、このDaffodil時代のアルバムが好きだったのですが、年を取るにしたがって、スタンダード・ナンバーを歌っていた若き頃のVerve時代もいいなあと思うようになりました。

「花のように愛おしい人」という名前をもつ、「妖精のような」声のシンガー、ブロッサム・ディアリー。
まさに、芸術の神が造った奇跡でした。

(残念ながら音源はありません)

(「音のコラム2」で取りあげました”I Wish You Love"のブロッサム・デュアリーさんヴァージョン)

(1985年、60才の頃のLive 映像、はめ込み不可なのでYou-Tubeへ飛んでご覧下さい)

2011年1月19日水曜日

ゴールドベルグ変奏曲~Glenn Gould


Artist:グレン・グールド
Album:バッハ:ゴールドベルグ変奏曲(1955年録音)
    バッハ:ゴールドベルグ変奏曲(1981年録音)
Song :ゴールドベルグ変奏曲:第1変奏

 クラッシック音楽を時々つまみ食いすることがあります。最近のお気に入りはJ.S.Bach。古典です。名前を聞いただけで、音楽室の壁にかけてあった上から目線のあの肖像画を想像して、お堅い音楽と敬遠される方もいらっしゃるかもしれませんね。思えば小学校の音楽室のずらっと並んだ歴代の大作曲家の肖像画、あれがクラッシックに対するトラウマをつくっている可能性ありですね。

 バッハの中でも時々、聞いているのが「ゴールドベルグ変奏曲」。チェンバロの練習曲の中の一つで、バッハの弟子であるヨハン・ゴットリープ・ゴルドベルクが不眠症に悩むカイザーリンク伯爵のために演奏したことが、タイトルの由来となっています。不眠症の為の音楽とはいえ、演奏には高度な技術が必要で、当時ゴルトベルクは14歳の少年であったとされていますが、これについては懐疑的な見方が多いようです。

当時はピアノがまだ無かった時代でしたので、長い間チェンバロで演奏されていましたが、なんといってもこの曲を有名にしたのは、カナダの天才ピアニスト、グレン・グールドでした。1955年、プロデューサーなどの反対を押し切り、デビュー盤としてこの曲を録音。従来、この曲は、どちらかといえば、禁欲的な、抑制された演奏が多く、そのため、ピアノに華やかさを求める演奏者・聴衆はバッハを避ける傾向がありましたが、グールドの演奏は、旧来のバッハ演奏とは異なり、より軽やかで躍動感にあふれ、さらにピアノの豊かな音色が加わり、堅苦しい、眠たくなるというクラシックの概念を覆すものでした。まさに、One and Onlyの演奏です。この1955年のデビューアルバムはその後、ピアニストに限らず多くの音楽家に大きな衝撃を与えました。この55年録音の演奏を聞いていると、不眠症のための音楽というより、体中にアドレナリンが充満して、一気の高揚して、目がさえてしまって、もっと寝られなくなってしまいます。

 賛否両論あったこの1955年のデビューアルバムの衝撃に加え、その後のグールドの音楽へのこだわり、生き方が、論議を呼ぶことになります。例えば演奏するときの姿勢。異様に低い椅子を持ち歩き、それで演奏するため、前のめりの所謂、猫背の姿勢で弾きまくるのです。ピアノの先生がみたら、「あんなの真似したらダメですよ。」絶対注意されそうです。しかも、途中で高揚してくると、手を大きく振ってリズムをとりつつの(まるで指揮者が二人いるようだと、共演した指揮者からからかわれたこともあります。)ノッテくるとメロディーを鼻歌で歌いながら演奏するというなんとも型破りなピアニストで、生涯この癖は直らなかったようです。
演奏会についても否定的で、演奏者は聴衆の求めるままに、自分の意志を曲げて演奏しなければならなくなり、演奏会自体、演奏者と聴衆が対等な関係でないと、一切の演奏会を拒否。レコードの録音のみをおこなっています。そのため、あまり人前にでることがなくなり、隠遁者のようなイメージがありますが、決して孤独ということでなく、それだけ音楽家としてピュアな精神を持ち続けたと言えるかもしれません。現在においては、このグールドのバッハに対する解釈の方が受け入れられるようになってきました。そして1981年に「ゴールドベルグ変奏曲」を再演していますが、同じ人が弾いているのかと思うくらい、演奏が変化してしています。その間に何があり、何を想っていたのか、そんなことに思いを巡らせながら聞き比べてみるのも一興です。

 我がバンドのRockギタリストG氏によれば「ハードロックのギタリストは結構、バロックの音階の運指を練習するんですよ」とのこと、たしかにJazzに編曲しても全然違和感はないと思います。なんたって、西洋音階の基本ですからね。
そんなわけで、「ゴールドベルグ変奏曲」の中でも、もっとも躍動感のある”第1変奏”を聞き比べてみて下さい。

(カールリヒターさんによるチェンバロの演奏、これがオリジナルみたいなもんです。)

(ピアノでの演奏、正確で抑制の聞いた演奏ですが、ちょっと退屈)

(グールドさんによる演奏、新しい解釈ということがわかります、後半は30年あまり後の演奏、若いときの尖った感じは影をひそめ円熟した感じの演奏です。)

(やっぱりギターでこれを再現したいというギター小僧がいるんですね、タッピングという演奏方法。ポーランドのギタリストらしいのですが、左右の指が自由自在。ここまで弾けるのなら、ピアニストでも充分やっていけそう・・・)

2011年1月13日木曜日

音のコラム2:スタンダード・ナンバー聞き比べ


2010年3月9日に「音のコラム:コーラスの変遷」を特集しました。
今回は久しぶりに「音のコラム」の第二弾です。
最近お気に入りのスタンダード・ナンバーがあります、”I Wish You Love"という曲なんですが、知名度としてはいまひとつかもしれません。邦題は『残されし恋には』。1946年にフランスの作曲家レオ・ショーリアックと作詞家シャルル・トレネが書いたシャンソン「Que reste-t-il de nos amours?(僕たちの恋には、何が残っただろう?)」がオリジナルです。1955年アルバート・ビーチが英詩を付け英語圏では”I Wish You Love”となりました。最初に英語でレコード化したのはキーリー・スミスという人。なんといっても、ナット・キング・コールがこの曲を取りあげ有名になりました。
歌うたいにとっては、一度はチャレンジしたい曲なんでしょうか、そのカヴァーはかなりの数にのぼります。有名処の歌手が必ずと言っていいほど歌っております。
こんなヴァース(歌の導入部)から始まります。

Goodbye, no use leading with our chins
 This is where our story ends
 Never lovers, ever friends
さよなら、もうこれ以上何を話しても無駄だね・・・。
これで、僕らの恋物語を終わりにしよう。
これからは恋人ではなく、ずっと友達だ・・・。
 Goodby, let our hearts call it a day
 But before you walk away
 I sincerely want to say
さようなら、この日を僕らの「さよなら記念日」と呼ぼう。
でも、君が行ってしまう前に、
心をこめて、君に伝えておきたいことがあるんだ・・・。

マイナーキーから始まるちょっともの悲しいメロディー、二人の恋はすでに終わってしまった。シャンソンの香りがします。そしていよいよ、本編へ

I wish you blue birds in the spring
To give your heart a song to sing
And then a kiss, but more than this
I wish you love
春になったら、青い鳥が君の心に響く歌を歌って、
そしてキスしてくれたらいいな・・・。
でも、それよりも何よりも、
また、君には恋をしてほしい。

And in July a lemonade
To cool you in some leafy glade
I wish you health and more than wealth
I wish you love
7月には、青々と茂った緑の中で飲むレモネードが、
君を涼しくしてくれるといいな。
そしてもちろん、君の健康も富も願っているけど、
でも、それよりも何よりも、
また、誰かに恋をしてほしい。

My breaking heart and I agree
That you and I could never be
So with my best my very best
I set you free
君と僕がこれ以上うまくやっていけないことは、
このフラれた僕が1番よくわかってる。
だからこそ、全力で、精一杯の気持ちをこめて、
僕は君を自由にしてあげたい。

I wish you shelter from the storm
A cozy fire to keep you warm
But most of all when snowflakes fall
I wish you love
君が、いつも嵐などから守られて、そして
心地いい暖炉のぬくもりが、君をあたためてくれるといいな。
でも、それよりも何よりも、
雪が舞い降りてくるようなこんな日には、
また、誰かを愛してほしい。

終わってしまった恋だけど、君には幸せになってほしい、その気持ちを今後めぐっていく季節に擬えて、彼女(彼)に贈っています。まさに大人のラブソングですね。そんなわけで、この”I Wish You Love"を色々な歌い手で聞き比べてみたいと思います。あなたのお気に入りは,どのヴァージョンでしょうか。

1.ナット・キング・コール
なんといってもこの人のヴァージョンが基本になっています。探しましたがLive versionしかありません。ヴァース(歌の導入部)から歌ってます。

2,フランク・シナトラ
ヴェルベット・ヴォイスと呼ばれるシナトラのヴァージョン。思い切りスイングしております。

3.ジュデイ・ガーランド
女性歌手の代表といえば、この人。しっとりと歌い上げます。ヴァースはなし。
さすが、ミュージカルスター。うまいなあ。

4.ロッド・スチュワート
最近はスタンダードナンバーの歌い手になっているロッドさん。渋いヴァーカル。いい年のとり方してます。ヴァースから歌ってます。

5.小野リサ
最近の歌い手さんのヴァージョンでは一番のお気に入り。癒されます。ヴァースなし。

6.レイチェル・ヤマガタ
日系3世の父を持つ、シンガーソングライター。映画「Prime」の挿入歌として歌われ話題になりました。音の行間のあるいまどきのアレンジです。

7.クリッシー・ハインド(Chrissie Hynde)
イギリスのロックグループ、プリテンダーズのリードヴォーカルだった人。
比較的、原曲に忠実に歌っているところに好感がもてます。

いかがですか、お気に入りのヴァージョンがありましたでしょうか。
この他、ディーン・マーチン、アン・サリー、チャカ・カーン、サム・クック、ローズマリー・クルーニー、ブロッサム・デューリーなどのヴァージョンもあります。色々な歌い方、色々なアレンジで楽しむ。これも、スタンダード・ナンバーならではの楽しみ方ですね。

2011年1月4日火曜日

飛躍の年~Van Dyke Parks

Artist:バン・ダイク・パークス
Album:Jump!
Song :Come Along

明けましておめでとうございます。今年も、宜しくお願いいたします。
年明けの、お題は何がいいかなあと考えてみましたが、干支にちなんで、「兎にまつわる1曲」というのはどうでしょう。サイケデリック&ラヴ・アンド・ピース世代(?)には、ジェファーソン・エアー・プレーンの”White Rabbit"などがすぐ思い浮かぶと思いますが、やはり Beach Boys Fanにとって、ウサギさんといえば、バン・ダイク・パークス(V-D パークスと略)の84年のアルバム「Jump!」でしょう。
 V-D パークスに関しては、色々なブログで取りあげてありますので、簡単にご紹介しておきます。
 1943年に、ミシシッピ州はハティスバーグの生まれ、ですから現在67才。子供時代は、子役として映画やテレビで活躍しており、1956年にはグレース・ケリー主演映画である「白鳥」にも出演しております。1960年にカーネギー工科大学へ進学後に音楽を専攻して、ピアノを学んだあと、1964年にはMGMレコードと契約をび、2枚のシングルを発表してます。”Number Nine/Do What You Wanta”(MGM K-13441)、” Come To The Sunshine / Farther Along”( MGM K13570 )この2枚のシングルは未だに超レア・アイテム。”Come To The Sunshine"は後にハーパス・ビザールがカヴァーしていますし、”Number Nine”の方はあの第九をV-D パークス風にアレンジしており、なんと、当時「No.9/気楽にいこう」という邦題で日本でも、シングルが発売されていたそうです。

 1966年、WBのブラザー・レコードにスタジオ・ミュージシャン兼アレンジャーとして働くようになります、この時にBeach Boysのブライアン・ウィルソンと出会い、アルバム「スマイル」で作詞家として、ブライアンとダッグを組むことになります。しかし、このプロジェクトは、ブライアンが精神のバランスを崩し、そのためドラッグに手を出し始め、またパークスのあまりにも難解な歌詞に対し、ビーチボーイズのメンバー、特にマイク・ラヴが反発したため、幻のアルバムとなり、結局オクラ入りになってしまいます。(「スマイル」はその後、30年あまりのち、ブライアンの手で完成をみますが・・・・)

失意の内にブライアンの元を去ったV-D パークスは自分のアルバムに全勢力を傾けることになります。そして1968年にアルバム「Song Cycle」をリリース。映画のサウンドトラックのようなオーケストラに、様々な楽器、さらにエフェクトを使用し、まるで音による万華鏡のような世界を繰り広げ、その当時としてはかなり斬新で、時代を先取りしたコンセプトアルバムとなりました。しかし、一部の音楽ファンからは支持されるもののセールス的に失敗に終わりました。
(やっと最近になって、時代がこのアルバムに追いつき、今ではサウンド・クリエイターを目指す人にとっては、バイブル的なアルバムになっています。)

その後、72年に「Discover America」、75年に「Clang of the Yankee Reaper」とアメリカのノスタルジックな音楽にスティール・ドラムを大胆に取り入れ、エキゾチックなカリブ音楽を融合させるなどかなり実験的な音楽に取り組んでいます。(でも中身はとてもポップですよ。)

そして4作目のアルバムとして83年リリースされたのが、ウサギさんのジャケが印象的なこのアルバム「Jump!」です。壮大なオーケストラ・サウンドによるミュージカルのようなオープニングから始まり、パープ、ピアノ、スティール・ドラムなど様々な楽器が、「古き良きアメリカ」を旅させてくれるような気分にさせます。実はこのアルバムのコンセプトは南部の黒人の民話である「ブレア・ラビット」が元になっています。
「ブレア・ラビット」はジョーエル・チャンドラー・ハリスの作品『リーマスおじさん(Uncle Remus)』シリーズに登場する架空のウサギで、ディズニー映画『南部の唄』の原作でもあり(1947年度のアカデミー賞では、「ジッパ・ディー・ドゥー・ダー(Zip-a-Dee-Doo-Dah)」がアカデミー歌曲賞を受賞)
今では、このウサギさん、ディズニーのキャラクターになっているんです。
でも、このディズニー映画『南部の唄』に対しては、全米黒人地位向上協会‎が本作品の黒人描写に対して抗議したため、アメリカでは1986年以降、ディズニー側の自主規制により一度も再公開されておらず、ソフト化されていないようです。(日本ではVHS,LDは発売されていたようですが、現在は廃盤)
 ちなみに、この作品を題材にしたアトラクションが”スプラッシュ・マウンテン”だそうで、アトラクションにおいてはアニメーション部分がメインとなっており、実写部分の登場人物はアトラクションの導入部分で音声のみの登場となっているようです。現在でも人気のアトラクションの一つでありながら、その題材となった作品を見ることが出来ないという状況が続いているという、悲運のディズニー映画となっています。(そろそろ解禁してもいいんじゃないでしょうか)

ちょっと話がそれてしまいましたが、『リーマスおじさん(Uncle Remus)』の原作者ジョーエル・チャンドラー・ハリスはかつて奴隷だった黒人達に取材し、集めた220話をこの本にまとめました。弱者(黒人)であるウサギと強者(白人)であるキツネやオオカミとの関係は、南部における人種差別の中で、黒人達が生き残っていくために体得した知恵を現しているとも言えます。V-D パークスはこのアルバムで、権力への怒り、正義感に同感し、子供達に輝かしい未来を託しているようにも思えます。V-D パークスのアルバムの中では地味な印象をうけますが、彼がずっと作り続けている、彼の心の中にあるアメリカの文化と音楽を彼なりの表現で綴ったアルバムで、素直に楽しめる作品になっていると個人的に思っています。

この後「Tokyo Rose」を挟み、1995年に精神的にやっと立ち直ったブライアンと30年という歳月を経て再びタッグを組み「Orange Crate Art」を完成させブライアンを励まし、未完だった「スマイル」にも協力し、完成へと導くことになるわけです。そんなわけで「Jump!」のタイトルのとおり、是非、今年は「飛躍の年」にしたいと思います。

(残念ながら,いい音源がありませんでした。)

(Brian Wilson and Van Dyke Parks - Orange Crate Art、30年後の邂逅、まだ話すのもたどたどしいブライアンですが、それを暖かく見守る、V-D パークスに唯々、涙です。)

(アルバム「Discover America」からV-D パークス作"The Four Mills Brothers"をオランダの学生さん達が森を行進しながら演奏してます。素敵なパレード。)

(これは室内での演奏風景、この学生さん達、かなりの強者とお見受けいたしました。)