2011年5月31日火曜日

音のコラム3:魅惑のシャッフル

今回は「音のコラム」の第三弾です。
シャッフルというリズムがあります。中学生の頃からこのリズムに首ったけ。
このリズム、聞いているだけで、ウキウキするような、幸せな気分になれます。
シャッフルを文章で説明すると「ふたつの連続した音符のうち、初めの音符の長さを長めにとり、ふたつめの音符を短くする。ジャズにおいて用いられるリズムであり、ブルースなどジャズの影響を受けた音楽においても用いうる。シャッフルでは、連続するふたつの音符のうちの初めの音符の長さは、ふたつめの音符に対して精確に2倍の長さをもつ。スウィングではふたつの音符の長さの比に厳密な決まりはなく、曲のジャンルや演奏のテンポ、または演奏者の好みに左右される。スウィングのふたつの音符の取り方は、速いテンポの曲ほど等分に近くなり、遅いテンポになるとシャッフルのように2対1の比に近付く傾向がある。」と解説してありますが、何だかよくわかりません。
要するに「タッターカ、タッター・カ、タッター・カ・・・・・」というリズムなんですが、論より証拠、私が初めてシャッフルに魅了されたこの曲を聞いてみて下さい。

("Sunny Skies" by James Taylor)
まあこんな感じのリズムですが、低音(ベース)のリズムと動きがとてもJazzyでオシャレですね、コードもだぶん9th,maj 7thとかを多様していて独特の響きがあります。アコギ一本でここまで表現できることに感激したことをよく憶えています。

そして次ぎに魅了されたのが、このブログの第一回目に登場した、私にとって初恋の人のこの曲でした。
(”"Save The Country" by Laura Nyro)
ほんとんど、ピアノの弾き語りというスタイルですがさらにリズムとコード進行が複雑になっています。跳ねるようこのリズムがR&Bやモータウンの定型的なリズムパターンとは、中学生の私はまだ知るよしもありませんでした。

高校に入って夢中になったのがこの人のあのグループ
(”パレード” by 山下達郎)
とにかく”シュガーベイブ”に夢中でした。この曲はシュガーベイブ名義ではなかったものの、私の思う”シャッフル”の理想型でありました。この曲があるプロデューサーの一連のヒット曲に影響されていたなど、高校生の私には、知るすべもありませんでした。

そして、60年代のポップスへ視野が広がり、また、日本でのソフト・ロックブームの中で出会ったのが、例の”あるプロデューサー”のこの曲でした。
("Ain't Gonna Lie" by Keith)
どうです。”パレード”と同じ香りがしませんか?
バブルガム・ポップの代表曲。
そのプロデューサーの名はジェリー・ロス(Jerry Ross)。
1950年代〜1970年代まで色々なレーベルを立ち上げては数々のヒット曲を作り続けた名プロデューサーです。この人を追いかけていくと、ガールズ・ティーンポップ〜モータウン〜バブルガムポップ〜ノーザンソウル〜フィリーソウル〜ダッチ・イノベーション〜70年代ディスコなどなど、アメリカンポップスの歴史の流れが
わかるようになりました。ジェリー・ロスに関してはその内ブログで取りあげてみたいと思います。

ジェリー・ロス関連でもう1曲。
("I dig everything about you" by The Mob )
ちょっとR&Bっぽくなりましたね。同じ路線でBill Deal & The Rhondelsなどがあります。のちのシカゴやチェイスなどのブラス・ロックの先駆けですね。

ジェリー・ロスのプロデュースにはこうした”シャッフル”の名曲が沢山あります。
やはりHeritage/Colossus 時代がもっともジェリー・ロスの黄金期だと思います。

最後にジェリーロスではありませんがこれも大好きな”シャッフル”曲
(”More Today Than Yesterday”by Spiral Starecase)
おもわず踊り出したくなる、このリズム、またバックのブラスもいいですがなんといってもパット・ アプトンのヴォーカルにつきます。ちなみ曲も自作です。

思い返してみますとこのブログでいままで取りあげた曲にもかなり”シャッフル”系の曲がありますね。このリズム、体に染みついているのかもしれません。

いかがでしたか私が思う”シャッフル”の魅力、ご堪能していただけましたでしょうか。よければ、皆様の「私のイチ押し”シャッフル”曲」などありましたら教えて下さい。

2011年5月18日水曜日

薫風(くんぷう)~John Valenti

Artist:ジョン・バレンティ
Song:Why Don't We Fall In Love
Album:Anything You Want

 「風薫る5月」という表現があります。同じ意味で「薫風(くんぷう)」。これは俳句の季語のようですが、青葉や若葉を吹きわたる爽やかな初夏の風という意味のようです。もう少し風のいきおいが強いと、「青嵐(あおあらし)」とか「風青し」などの表現になるようです。こんな風情のある言葉が生まれるくらい。5月の風は爽やかで、どこからとなく若葉の香りを運んできます。
先日、6月の島原でのLive会場の下見を兼ねて、久留米から相棒のY氏、PAーT氏、助っ人のO氏が来訪、夕方より早速、4人で酒宴と相成りましたが、5月の風の心地よさに誘われ、全員一致で自宅のベランダにテープルをセット、風薫る5月にアウトドアで飲む日本酒もまた格別でした。そんな時の音楽のお伴は70年~80年初頭あたりのAORなどがベストマッチかと。
そんなわけでこの曲などはいかがでしょう。

 ジョン・バレンティ(John Valenti)は「白いスティービー・ワンダー」と呼ばれるほどのスティービー・フォローワー。白人ですが、ヴォーカルの声質といい歌い方といいスティービーそっくりです。
1978年に日本盤「I Won't Change 」(邦題:女はドラマティック)で初めてJohn Valentiを知りましたが、実はこのアルバムはセカンド・アルバムでその前にデビュー・アルバムがありましたが、日本ではリリースされませんでした。
セカンド・アルバムもなかなかの好盤ではありましたが、1976年にリリースされたこのデビュー・アルバムは、内容の素晴らしさと楽曲のクオリティー高さが話題となり、長い間CD化もされず、アナログ盤も数が少なく、貴重盤として、この手のジャンルがお好きな人にとっては、まさの”垂涎の的”でした。そして、2006年になってやっとCD化されました。アレンジ、ソング・ライティング共に噂に違わず素晴らしい内容でした。その中でもこの”Why Don't We Fall In Love"はイチ押しの1曲です。

被災地でも春の足音は聞こえてきていると思います。しかし、復興は始まったばかりで、春の息吹を愛でるような状態ではないと思います。
私の住んでいる島原半島でも雲仙普賢岳災害の後、火砕流の後には何も残っていない状態でした。その情景はまるで月か火星を思わせる植物のない荒廃した大地でしたが、植物の種を空から散布したりした結果、無残な山肌をさらしていた斜面にも徐々に草花や木々が再生し、現在では、「薫風」を運んでくれるまでになりました。
大地はゆっくりとですが、確実に生命を育みそして再生させてくれます。
被災された地域でも、再生されていく風景に励まされながら、生まれた土地にしっかり根をおろし、復興への道を一歩一歩前進されてことを心から願っています。

(”Why Don't We Fall In Love” by John Valenti)


(同じタイプの曲でこれも定番”Take Me To Your Heaven” by Wilson Brothers )

(もうひとつオマケで”Never Turnin' Back By” by Bruce Hibbard)

2011年5月10日火曜日

夜の調べ~Phoebe Snow

Artist:フィービー・スノウ
Song:San Francisco Bay Blues
Album:Phoebe Snow

 確か1974~75年頃だったと思います。ラジオから流れてきた曲に思わず聞き入ってしまいました。アコーステックギターの深い音色にそれを引きずるようなレイドバックしたベース。Jazzyなイントロが雰囲気をつくり、そして歌。その歌声は今まで聞いたことがない歌い方と独特のヴィブラート、その曲のオリジナルが典型的なフォークソングである”San Francisco Bay Blues”と気づくまでに時間がかかりました。それほど、原曲のメロディーが、このヴォーリストにより咀嚼され独自の歌に生まれ変わっていたからでした。
歌っていたのはフィービー・スノウ(Phoebe Snow)。レオンラッセルらがレーベルの設立に深く関わっていたシェルターレコードからのファーストアルバムでした。正直、当時の高校生だった私は、まだこの曲の本当の良さや深みをよく理解できませんでした。自分の中に、この曲がここちよい居場所を得るまでに、色々な人生経験とそれなりの時間が必要だったような気がします。そして今、ちょっと寂しい夜には、時々その居心地のよい場所に帰っていきます。何杯かのバーボンと共に・・。

 フィービー・スノウは1952年NYのマンハッタンで黒人の父とユダヤ人の母との間に生まれました。15才の高校生の時に片思いの相手からギターを習い、カントリー・ブルースやジャズなどに開眼します。最初はグリニッジビレッジのフォーク・クラブを巡り演奏していましたが、1972年半ばにニューヨークのビター・エンドのアマチュア・ナイト・ショーに出た時に、シェルター・レーベルのプロデューサーに認められ、同レーベルと契約しました。
そして1974年の6月にこのファーストアルバムをリリースしました。
(日本盤はジャケットが少し米国盤と違っており、日本盤の方がよかったように思います。)

参加メンバーさっとながめるだけでも、いかに破格の扱いだったかがわかります。
David Bromberg-Guitar (Acoustic), Dobro, Guitar/ Dave Mason-Guitar/The Persuasions-Vocals/Phoebe Snow- Guitar (Acoustic), Vocals/Ron Carter-Bass/ Bob James-Organ, Keyboards/Teddy Wilson-Piano/Chuck Israels-Bass/ Ralph MacDonald-Percussion/Steve Burgh-Guitar/Chuck Domanico-Bass/ Steve Gadd- Drums/Hilary James- Organ/ Hugh McDonald-Bass, Guitar (Electric)/Steve McDonald-Guitar (Electric)/Steve Mosley- Percussion, Drums / Margaret Ross-Harp/Zoot Sims-Saxophone, Sax (Tenor)/Chuck Delmonico-Bass など錚々たる顔ぶれです。そしてプロデュースは巨匠フィル・ラモーン(Phil Ramone)。
特にズート・シムズ、テディ・ウィルソン、ロン・カーター、チャック・イズラエルなどジャズ界でも超一流のメンバーが一同に会しサポートしたアルバムなどまずありえないことです。さらにボブ・ジェームス、スティーブ・ガッド名前を列挙するだけでも目眩がします。こんな豪華メンバーに囲まれながらも決してそれに臆することなく、フィービーのヴォーカルは同等、いやそれ以上の輝きを放っているように思えました。

同アルバムにも収録されている75年に発表したシングル“Poetry Man”が全米チャート5位を記録し、〈グラミー賞〉に〈最優秀新人賞〉にノミネート。順調すぎる滑り出しでした。
その後もフィル・ラモーンのプロデュースにて2枚目のアルバムをリリース。4作目の「Never Letting Go」はアルバムのジャケの素晴らしさも話題になりました。

 しかし、私生活においてはご主人の自殺やお子さんが脳性マヒで生まれたことなどがあり決して順風満帆というわけではありませんでした。その後子供さんの介護のため、一時ステージから離れコンスタントにはアルバムもリリースされなかったものの、そのクオリティーが低下することはありませんでした。そして最愛の娘さんも2007年に他界。一時は復活しましたが、フィービー本人も昨年の一月に脳溢血で倒れ闘病生活を続けていたそうです。そして合併症にて先月、4月26日帰らぬ人となってしまいました。享年58才、若すぎる死でした。
 二枚目のアルバムの「Second Childhood」には「夜の調べ」という邦題がついていましたが、まさに彼女の音楽そのものが「夜の調べ」でした。

今夜は”San Francisco Bay Blues”を聞きながら、謹んで冥福を祈りたいと思います。

(”San Francisco Bay Blues” by Phoebe Snow  誰も彼女のようには歌えないまさにワン・アンド・オンリー)

("Never Letting Go" by Phoebe Snow  4作目のアルバムよりスティーブン・ビショップ作)