2014年6月21日土曜日

旅路の果て~Beach Boys

Artist:ビーチ・ボーイズ
Song:Surf's Up
AlbumSurf's Up

いつ頃だったろう。Beach Boysの「Surf's Up」と出会ったのは。1980年代の半ば頃だったろうか・・・。大学に入ってのめり込むようにBeach Boysを聞き始めた時も、この妙に暗く、そして神秘的で言い方を変えれば宗教的ですらあるこのジャケットを初めは敬遠していたようにも思う。そう、このジャケットを最初は「馬にまたがった悪魔」だと思い込んでいたから・・・。

発表されたのは1971年。ベトナム戦争はすでにアメリカを蝕んでいた。アメリカの普通の若者達は映画「ディアー・ハンター」のように、否応なしにアメリカとは無縁の東アジアの蒸し暑いジャングルの中で悲惨な体験を強いられていた。Beach Boysは1970年にリリースされ前作「サンフラワー」で音楽的なクオリティーを一時回復したものの商業的には失敗に終わり、ブライアンは幻となったアルバム「スマイル」との格闘の末、ドラッグによる精神障害を来たしており、すでにBeach Boysの精神的支柱とは言えなくなっていた。ブライアンの穴を埋めるべく、ブルース・ジョンストンの”ディズニー・ガール”(→ディズニー・ガール~Bruce Johnston)などの秀作もあったものの、時代の雰囲気もあったのだろうが、この暗く、沈んだトーンのアルバムジャケットは、キャピトル時代の燦々と輝く太陽の光を浴びた彼等のアルバムとは、かなりかけ離れた所に行ってしまったという印象がぬぐえなかった。だが、そんな中でもブライアンの才能は光を放ち続けていた。「スマイル」の断片(かけら)ではあったものの、このアルバムの中にはBeach Boysを語る上で絶対に外せない2曲”Surf's Up"と”Til I Die"とが含まれていたからだ。そしてこのジャケットのイラストの由来を調べていくうちに、なぜこのジャケットではならなかったのか、おぼろげながらではあるが見えてくるような気がする。

このジャケットにはモチーフとなった作品が存在する。ジェームズ・アール・フレーザーの1915年の”エンド・オブ・ザ・トレイル(End of the Trail)という彫刻である。
作者であるフレーザーは先住民であり、かつての5セント硬貨「Buffalo Nickel 」を手掛けたことでも有名な彫刻家であり、高さ10メートルもあるその像はオクラホマの国立カウボーイ博物館にあるという。
(クリックで拡大)
西部開拓時代においてカウボーイ達がアメリカの領土を拡大していった。その功績を讃える一方で、先住民にとっては、祖先から脈々と受け継がれた大事な土地から追われることを意味していた。白人達に土地を追われ、いつ果てるともない想像を絶する過酷な旅路の果てに彼等を待っていたものは、おそらく「絶望」だったのではないだろうか。私が悪魔の角と思っていた頭の2本の突起は悲しみと絶望にうち拉がれ、こうべをたれた瞬間に垂れ下がってきた三つ編みにした髪だった。
この像はいわばアメリカ先住民に対する「鎮魂」なのだと思う。言い方を変えれば,文明の為に犠牲になった、「声なき声を」代弁したとも言えるのではないだろうか

  Surf's Up Words by Van Dyke Parks Music by Brian Wilson

 ダイヤのネックレスを首にかけた女がポーンを指した。
オーケストラの団員たちがドラムを打ち鳴らす。
壮麗な顔立ちの男性が指揮棒と共に現われ、盲いた貴族階級にかしずく。
オペラグラスを通して君はオーケストラピットにて振られた指揮棒を見る。
眼下には荒廃した文明社会が広がる、無数の高層ビルが崩れて倒れている。
街をキャンバスで覆って、ブラシで派手に色を塗れ。
君はまだ眠ってるのか?

吊るされたヴェルヴェットの幕が僕を不安にさせる。
シャンデリアのほの暗い灯りの下で僕の意識が覚醒する。
次第に薄れていく夜明けの中で歌が歌われる。
ミュージックホールでは喝采を受けてカーテンコールが繰り返された。
全ての音楽が今、失われた。
ミュートをかけたトランペットが美しい旋律を鳴らす。
眼下には荒廃した文明社会が広がる、無数の高層ビルが崩れて倒れている。
街をキャンバスで覆って、ブラシで派手に色を塗れ。
君はまだ眠ってるのか、ブラザー・ジョン?

鳩が巣をかけた時計台から
時を告げる鐘が水銀の月で照らされた通りに響き渡る。
馬車が霧の中、現われては通り過ぎる。
暗闇の中でランプの火が揺らめく。
「蛍の光(オールド・ラング・サイン)」が歌われて、そこら中に笑い声が巻き起こった。

オペラグラスは持ち上げられ、バラは火にくべられる。
ワインがなみなみと注がれ、僕らは乾杯のためにグラスをぶつけ合った。
束の間の急速を求めて僕らは、別れの挨拶か、死を待つことにした。

この僕の悲しみ。息ができなくなるぐらいの。そして僕の心は失われた。
泣くことができないぐらい強い心を持ってる人間?そんなの嘘だろ?

波が来た・・・
寄せては返す波にサーフボードを浮かべて、身を任せる。
さあ飛び込んで、加わるんだ。
そして若者たちに混じって、君も波の間から顔を出せ。
僕はその言葉を聞いた。
素晴らしい言葉。
子供たちの歌。

子供たちは、人類の父である。(訳詞 岡村豊彦氏)

 ”Surf's Up"の歌詞は確かに難解ではあるが、文明という名の下に、何かを失っていく現代の社会がテーマになっていると思う。それはジェームズ・アール・フレーザーがエンド・オブ・ザ・トレイル(End of the Trail)の像で語りたかったことと同じであって、さらに言えば、現代の文明が行き着く「旅路の果て」の私達の姿なのかもしれない。

このジャケットの先住民の悲しみや絶望が、「福島原発事故」(きっかけは天災かもしれないが、その後のことは人災によるものだと思う)により住むべき土地をおわれ、避難生活を余儀なくされている方々の姿とオーバーラップして見えてしまうのは、私だけなのだろうか。

("Surf's Up”by Beach Boys)

(”Surf's Up" by Brian Wilson from the Brian Wilson album "SMiLE" from 2004)