2011年2月21日月曜日

ミュージシャンとして生きること~Silver

Artist:シルバー
Album:Silver
Song :Musician (It's Not An Easy Life)

 いや~懐かしい、CD棚整理してたら、こんなものが出てきました。あの”シルバー”です。1976年に”Wham Bam (Shang-A-Lang)”(邦題:「恋のバンシャガラン」)というワケのわからない邦題のついた曲がヒットしたあのシルバーです。邦題のいい加減さはともかくとして、イントロのスライドギターが印象的に使われていて、とてもポップな仕上がりになっていました。その年のビルーボードでは最高16位までランクされて、ラジオなんかでもよく流れていましたので、日本でも、そこそこヒットしたように記憶してます。
 メンバーは John Batdorf - guitar, vocals / Greg Collier - guitar, vocals / Tom Leadon - bass, vocals / Brent Mydland - keyboards, vocals / Harry Stinson - drums, vocalsという5人編成。その中のTom Leadonがイーグルスの初期のメンバーBernie Leadonと兄弟だったため、イーグルスの弟バンドみたいな紹介をされていたようです。ジャケをみてもわかるように長髪、髭ズラという70年代のウエスト・コーストロックバンドの王道みたいな風貌ですが、今回は、その中の一人キーボードを担当していた ブレント・ミッドランドというミュージシャンについてのお話。

 私毎で恐縮ですが、同時代にこの「恋のバンシャガラン」が聞きたいがためにLPを購入。A面に針を落とし、流れてきたのがこの”Musician”という曲でした。
オーボエ(?)のメロディーに導かれるように、切ない声で歌がはじまります。歌ってる内容はよくわかりませんでしたが、多分、とっても深刻な歌なんだろうという想像はつきました。
”Musician”という単語と”it's not an easy life it's not an easy life to live”という美しいコーラスの部分だけは、意味がなんとかわかりましたので「生きて行くのは容易なことじゃない」つまり、「ミュージシャンとして生きて行くのは簡単なことじゃないってことなんだろう」と勝手に解釈して、何時しかポップな”恋のバンシャガラン”よりこの”Musician”という曲に惹かれていくようになりました。この美しいバラードの作者がブレント・ミッドランドだったワケです。たぶんリード・ヴォーカルも彼と思われます。

こんなことを歌っています。

"Musician" byBrent Mydland

家賃の期日は明日に迫ってる
今の名前じゃ、小銭も稼げなかったんだ
自分なりに身を立てようと頑張ってはいるけど
新しい職に就いた方がいいとも思ってる

そして自分に問いかけてみる
ミュージシャンになるってことは何なのかってことを
そうわかってはいるんだ
それは気楽な人生でないってことが
ミュージシャンとして生きていくことは簡単なことじゃないってことを

敢えて険しい道を選んだと思うよ
なぜかって思い悩む必要はないさ
昔はチャンスをものにするっていう希望を持ってたさ
高望みをし過ぎたのかもしれないな

そして自分に問いかけてみる
ミュージシャンになるってことは何なのかってことを
そうわかってはいるんだ
それは気楽な人生でないってことが
ミュージシャンとして生きていくことは簡単なことじゃないさ

微笑み続けよう
笑顔で
痛みを忘れるために微笑むんだ
心の中では泣いているけど
そう泣きたいこともある
説明するのはとてもとても難しいけど

そして自分に問いかけてみる
ミュージシャンになるってことは何なのかってことを
そうわかってはいるんだ
それは気楽な人生でないってことが
ミュージシャンとして生きていくことは簡単なことじゃないさ

この歌が暗示するかの様に、バンドはたった一枚のLPを残して解散、メンバーもそれぞれの道を歩みはじめることになります。元々、バドロフ&ロドニーとして何枚かのアルバムをリリースしていたJohn Batdorf はソングライティングスタッフとして、アメリカやイングランド・ダンやキム・カーンズへ曲を提供していきます。

この切ないバラードの作者だったブレント・ミッドランドは80年にジェリー・ガルシア率いるグレイトフル・デッドのメンバーとして迎えられました。
それからは80年代すべてを通してグレイトフル・デッドのキーボード、そして個性的なボーカリストとして、グレイトフル・デッドにはなくてはならないメンバーとなります。
ミュージシャンとして、自信、喜びにあふれていた、そんな、1990年7月26日に彼の人生は、突然終わりを告げてしまいました。享年38才、死因はドラッグの過剰摂取と言われています。そこにしか安住の地はなかったのでしょうか。
 音楽から離れて暮らすことは、つらいことでしょうが、音楽を生業として生きていくことは、さらにつらく、厳しい道だったのかもしれません。

ブレントの眠るお墓には、彼の愛したピアノが彫刻されているそうですが、ピアノの上には、こう彫ってあるそうです。

"He Loved His Family, His Music and His Friends"

この曲の最後に一行付け加えたいですね。

「ミュージシャンとして生きていくことは簡単なことじゃないけど、」
「誰かの心の中にはずっと生き続けるってこと・・・。」と

("Musician" by Silver)

2011年2月15日火曜日

酒場放浪記〜Amos Milburn

Artist:エイモス・ミルバーン
Album:Amos Milbuen:Thinking & Drinking
Song :Bad Bad Wihskey


寒い日が続きます。皆様、お仕事お疲れ様です。今日も一日色々あったなと思いつつ、帰りにちょっと一杯やっていくかってのもいいですね。残念ながら仕事場が自宅で、酒場に行くのもかなり距離がある田舎なもので、食後の一杯でガマンです。
そんな時に、いい感じの酒場に訪れた気分にさせてくれるのが、BSーTBSで毎週月曜日に放送されております「吉田類の酒場放浪記」です。
すでに、ハマッてしまっている方(?)にはあえて説明は不要ですが、まだ見たことがないという方に、ちと紹介を。

ハンチング帽がトレードマークのちょっとダンディーな、吉田類さんが、最寄りの駅を出て、そこの街の紹介と気になる酒場の情報を話したあと、夕方の商店街を散策しながら、目的の酒場へ、というイントロから始まります。
すでにここで常連(?)は、期待とともに「さあ飲むぞモード」にスイッチが入ります。誰でもそうだと思いますが、ひとりで始めての酒場に入るのは、ちょっと緊張するもの。どんな常連さんがいて、どんな雰囲気なのか、その微妙な緊張感がこの番組にはあるんです。たぶん吉田さんというちょっとシャイな普通人のキャラクターそうさせるのでしょうが、この”微妙な間”が画面から伝わってきます。
まず店主と一言、二言言葉を交わし、ではということで、お酒を注文。(この最初のお酒もその店の雰囲気で変わります。)その最初の一杯をほんとうに美味しそうに飲むんです。思わずこちらもご相伴にあずかりたくなります。そして、そのお酒に合う、アテを注文。これもその酒場のオススメに合わせて・・うまそう。
なるほど店の雰囲気が徐々に伝わってきます。2杯目からは、日本酒など、本格モードへ、それに合わせアテもその店独特の目玉料理が登場してきます。その間、店主のひととなりなどをナレーションで紹介しつつ、酒もすすみほろ酔いモードになると、隣のお客さんの席へ。常連さんとの会話も弾み、「ここはこれがうまいですよ」との情報を聞けることも。最後はその店にすっかり溶け込んでしまうのは、酒場という独特の空間のなせる技なのかもしれません。
「いかがでした。」と店を出て一言。「このまま帰るの何なので、もう1軒寄って行きます。」と言って、後ろ手のまま、路地の中に消えていく。その後ろ姿を追いながら、俳人でもある吉田さんの一句が添えられるという、ちょっと哀愁もあるエンディングで終わります。1軒の酒場に約10分。毎回4軒の酒場を放浪するという趣向です。どうです。ちょっとハマリそうでしょう?

この番組のテーマ曲が、エイモス・ミルバーンの”Bad Bad Wihskey”という曲。どなたが選曲されたのか、わかりませんが、かなりセンスのある方とお見受けします。”俺の人生、酒のせいで、家族もなにも台無にしてしまった。”という内容の歌詞ですが、暗い感じがないんですよね。「別によ。俺は悪くねぇんだよ。この酒がいけねぇんだ。この酒がよぅ。」って、開き直ったような、この屈託のなさがいいんですね。

エイモス・ミルバーンはロックン・ロール産声をあげる前の戦前・戦後に活躍したピアニストで、ジャズの影響を受けて、ブルースがスイングなどリズムのシンコペーションをさらに発展して出来たJump Bluesを代表するシンガーです。
この人の真骨頂は、燃えるようなブギウギ・ピアノにあるのですが、スロー・ブルースやカントリー・ブルースなど幅広いジャンルをやっています。第二次世界大戦での軍歴に対して、勲章もらっているというブルーズ・マンと思えない経歴の持ち主でもあるので、おそらく実際は酔いどれ人生とは無縁の人だったのかもしれません。”Bad Bad Wihskey”の他に”Thinking & Drinking"や"Let Me Go Home Whiskey","One Scotch,One Bourbun,One Beer"などお酒に纏わる歌が多く、どの曲にもどこか懐かしい響きがあります。昔のブルースもいいですね。

「酒場放浪記」毎週楽しみにしているんですが、気になることがひとつ。美味しい酒と料理に囲まれながら、段々メートルが上がっていく吉田さんがうらやましくもあるんですが、仕事とはいえちょっと肝臓の方が心配になったりします。吉田さんくれぐれも、体だけには気をつけて下さいね。体調不良のため番組打ち切りとかになったら、全国の酒飲み達が寂しい思いをしますので・・・・。

(”Bad Bad Wihskey” by Amos Milburn、ほとんどピアノの方は見てません。)

("One Scotch,One Bourbun,One Beer" by Amos Milburnこれも番組の中で時々流れます。)

(「酒場放浪記」 吉祥寺”いせや”編、この店、確か高田渡さんの行きつけのみせだったような。昼間のロケで、あまりに有名な店なのでしっとりした番組特有の雰囲気がちょっとないのが残念です。)


2011年2月9日水曜日

魂のキャッチ・ボール~Donny Hathaway

Artist:ダニー・ハサウェイ
Album:Donny Hathaway Live
Song :You've Got A Friend

 食についても言えることですが、音楽の趣向も年を取るにつれて、変わってくるようです。若かりし頃は、Liveアルバムというのがどうも好きになれませんでした。スタジオ録音の方が、Liveよりアレンジなどや演奏がより練られており、曲の完成度が高いと思っていました。そんな偏見を一変させたのが、Donny Hathawayのアルバム「Donny Hathaway Live」でした。このアルバムに出会うことがなかったらLiveアルバムの素晴らしさを実感することがなかったかもしれません。そんなわけで、今回は「Liveという音楽」についてのお話です。

1960年末のアメリカでは、ベトナム戦争への反戦運動と共に、黒人たちの人種差別の撤廃を求める、公民権運動が盛り上がっていました。しかし、70年になって、多くの若者が目指した、根本的な社会変革は、現実のものとはならず、キング牧師やケネディー大統領の暗殺が示すように、時代は決して明るい方向には向かっていきませんでした。しかし、少しずつではありますが、黒人達に対する、公共の場所や乗り物での差別、高学歴の学校への入学、職場での待遇は改善されるようになってきました。そんな中、有名なゴスペル・シンガーを祖母にもち、名門のハワード大学でクラシックなど音楽を学び、主席で卒業した黒人中産階級出のエリートであったダニー・ハサウェイは時代の舞台に登場しました。

1969年、メジャーレーベルである名門アトランティックから新しい黒人世代のシンボル的存在として、鳴り物入りでデビューします。クラッシクやジャズなどの音楽的な素養のある彼の音楽には、洗練されたコードの響きと、白人の曲も自分ものとして消化し、人種の垣根にとらわれない、その歌詞とメロディーのもつ普遍的な音楽性を主張していく、それまでのブラック・ミュージンクにはない知的なセンスがありました。今回取り上げたジェイムス・テイラーで有名になったキャロル・キングの70年代の代表曲でもある”You've Got A Friend(君の友達)”やジョン・レノンの”Jealous Guy”、レオン・ラッセルの”A Song For You"などの白人の曲を自ら進んで、レパトリーに加えることは、それまでのソウル・シンガーにはまずあり得ないことでした。彼や、後にタッグを組むことになるロバータ・フラックやモータウンで新しいサウンドを作っていたマーヴィン・ゲイやカーティス・メイフィールドなどの革新的なブラック・ミュージンクは後に「ニューソウル」と呼ばれるようになります。

ただ単に、”Soul”に新しい解釈を持ち込んだだけではなく、彼の書くオリジナル曲例えば"Ghetto","Little Ghetto Boy"や最高傑作である(と個人的に思っています)””Someday we'll all be free”(いつか自由に)などには、黒人社会が抱えている問題も取りあげつつ、憎悪や、暴力によって勝ち得た権利ではなく、社会的にも経済的にも自立し、生きていく強さが必要なんだというメッセージがあると思います。ちょうどそれは、キング牧師の有名な演説「I have a dream」(私には夢がある)と共通する力強さでもあります。

 そして、1972年に一枚のLiveアルバムがリリースされます。「Donny Hathaway Live」おそらく100人も満たないホールでのLive。ほとんどの聴衆は黒人だったのでしょう。マーヴィン・ゲイの”What's Going On"でそのアルバムは幕が開きます。まず、エレピの軽やかなドライブ感、バンド全体のグルーブに耳がうばわれますが、よく聞くとすでに、聴衆の熱気がびしびしと伝わってきます。バックを支えるのはG:Cornell Dupree/Mike Howard、B:Willie Weeks、Ds:Fred White、Perc:Earl Derpuenの強者達。10分を越える”The Ghetto"や”Voice Inside(Everything is Everythig)"ではそれぞれのパートのいぶし銀的な名演に圧倒されますが、なんといっても「Liveの音楽」の神髄を教えてくれたのが”You've Got A Friend”(君の友達)でした。
イントロから悲鳴にもにた女性の絶叫から、すでにこの曲が、白人の作った曲としてではなくDanny Hathawayという人の中で、咀嚼され、彼の曲として歌われ、聴衆に支持されていたということが伺えます。歌詞の意味を噛みしめるように聴衆へ投げかけると、それに答えるように、会場全体が歌い、大きな輪になっていきます。歌を投げかけ、それに心が共鳴し、答え、そしてまた表現者としての新たな意欲をかき立てる。”コール&レスポンス”と一言で表現することは簡単ですが、そこには、言葉では表現できない深い共感と連帯。もっというなら魂の繋がりみたいなもの感じます。思えばLiveの演奏とは「一期一会」ということ。毎回の演奏で、放たれた音には決して同じ響きはありません。我々アマチュアでさえ、あの時の演奏は2度とできないかもしれないと思う時があります。それは、その場にいる聴衆も含めてひとつの音楽であるということなんだと、このアルバムは私に教えてくれました。「あなたがいままで聞いたLiveアルバムの中で名盤は?」との質問にこのアルバムを挙げる人は多いようです。その所以は、きっとそんなところにあるような気がします。

新たな時代の寵児として期待されていたダニーでしたが、1979年宿泊してホテルの15階から飛び降り、わずか34年の短い生涯を閉じます。極度の鬱病が原因だとも言われていますが、彼の本当の苦悩が何だったのかは、永遠に知らされることはありませんでした。
 70年代の半ばになると、黒人社会における中産階級の社会進出が顕著となり富裕層と低所得者層の2極化が進むことになります。皮肉なことに音楽の世界でもディスコ・サウンドやブラック・コンテンポラリーと呼ばれる白人向けポップスと黒人社会の中で受け入れられることを目指す、より黒っぽいサウンド「ファンク」へと別れていきました。
白人黒人両方の聴衆に受け入れられる彼のような音楽の居場所は、ラジオにもビルボードのヒット・チャートにも存在しなくなっていました。もはや、時代は彼の存在自体を、否定するようになっていた。という見方もあるようです。

 彼の死後、新たなLive音源が発見され、1980年にアルバム「 In Performance」としてリリースされました。「Donny Hathaway Live」にも引けを取らないクオリティをもった素晴らしいLiveアルバムです。そして昨年、彼の残した音源のほとんどを網羅した「Someday Well All Be Free」という4枚組のBox(デジタルリマスターされていますので格段に音もよくなっています。)がなんとフランスから発売されました。もしよければ体験してみて下さい。彼と聴衆との「魂のキャッチ・ボール」を・・・。

("You've Got A Friend" by Donny Hathaway )

(”Someday we'll all be free”byDonny Hathaway アルバム「愛と自由を求めて」より、オリジナル曲の傑作)

(”For All We Know” by Donny Hathaway,アルバム「Roberta Flack & Donny Hathaway」から、その素晴らしさに言葉を失います)