2010年1月30日土曜日

イノセンス~Beach Boys


Artist:ビーチ・ボーイズ
Album:Pet Sounds
Song:Caroline No








J.D.サリンジャーが1月27日亡くなりました。91歳。自然死だったそうです。65年の「ハプワース16、1924」を最後に、その後、隠遁生活に入り、いっさい文壇とはかかわりがなかったので、実質的には、すでに亡くなっていたような気がしていましたが、この訃報を知った時はかなりショックでした。

 二十歳かそこいらの年に、”The Catcher In The Rye"(ライ麦畑でつかまえて)に出会いました。私にとって、思春期に誰もが体験する、モヤモヤとした漠然な悩みにひとすじの光を与えてくれた特別な一冊でした。
 1951年に出版され全米でベスト・セラーになったこの小説は、主人公の「ホールデン・コールフィールド」のその攻撃的な言葉や屈折した感情が、その当時の”社会に反抗する少年の物語”として話題となり、悩める若者たちの代名詞となったとされていますが、その当時そんなことは露知らず、ただその感受性に共感し、その言葉が自分を代弁してくれていると感じていました。
 ホールデン・コールフィールドは私と一緒に”セントラルパークのアヒルはどうなったんだろう”と本気で心配しながら、「自分探しの旅」をしてくれたのだと思います。
 そんな、旅のなかで、キーワードになったのが「イノセンス(innocence)」という言葉でした。人生の中で何が価値のあるものか、唯一、信じれるものは何かという問いに対して、サリンジャーはフィービーという妹を「イノセンス(innocence)」(すでに死んでしまったアリーも同じだと思いますが)として登場させ、迷える魂の安住の地としての役割を与えていました。そしてかなりムラッ気のある、多少分裂した感情のあるホールデンは、フィービーに対して自分の理想をこう語ります。

 「だっだぴろいライ麦みたいなところで、小さな子供たちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、僕は思い浮かべちまうんだ。何千人もの子どもたちがいるんだけど、ほかに誰もいない。つまり、ちゃんとした大人みたいないたのは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前をみないで崖の方に走っていく子供なんかがいたら、どっかからともなく現れて、その子供をさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやってる。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。」(村上春樹訳)

 「イノセンス(innocence)」を守る「ライ麦畑のキャッチャー」ーこの言葉はその当時の私にとって、大きな命題となりました。

 そして、30年がたち、結局「ライ麦畑のキャッチャー」の命題は果たせないまま現在に至っています。今はそれでいいんだと思っています。ホールデンとジタバタしたあの時が、自分には必要だったんだと・・・。
 
 この命題を探し続けている間、ひとつの音楽に会うことができました。Brian Wilson。、私の中では、「イノセンス(innocence)」を唯一、音楽で示してくれた人でした。それは、人生のなかで、一番、大切にしたい音楽でもありました。
この曲はある意味、私の「ライ麦畑のキャッチャー」でもあります。(精神の危うい均衡を保ちながら、ピュアな作品を生み出していった点など、この二人には共通点が多いと思います。J.D.サリンジャーがもし「ぺット・サウンズ」を聞いていたとしたら、どう思ったでしょうか。)
 今はただ、この曲に身をゆだね、J.D.サリンジャーに「ありがとう」と感謝したいと思います。

Caroline No

あの長い髪はどうしちゃんたんだい
僕の知っていた女の子は
どこに消えちゃったのかな
幸せでいっぱい輝いていたのに
いったいどうなっちゃったの?
ああ、キャロライン、こんなことってないよ

君をこんなにしてしまったのは誰
君はいつも言っていたじゃないか
私は絶対変わらないって、でもそうじゃなかった
ああキャロライン、君は僕の心を引き裂く
僕はどこかに行ってしまって泣きたいよ
あんなにも素晴らしかったのに
何もかもだめになっちゃうなんて
あまりにもひどすぎる
ああキャロライン,どうしてなの

昔僕をあんなにも夢中にさせたもの
もう一度君の中に見つけだせるんだろうか?
消え去ってしまったものを
僕らは再び取り戻すことができるんだろうか?
ああキャロライン、だめだよ

2010年1月28日木曜日

キュート~Valerie Carter

Artist:ヴァレリー・カーター
Album:Just A Stone's Throw Away(愛はすぐそばに)
Song:Ooh Child









 キュート(Cute)という言葉があります。文字通り「可愛らしい」の意味のほかに「りこうな, 気のきいた」とか「ちょっとお転婆な」という意味合いもあるようで、ヴァレリー・カーターのこのアルバムを一言で表すとしたら、まさに「キュート(Cute)なアルバム」という一言につきます。まずはなんといっても可憐なジャケに惹かれます。特に「女性の帽子ジャケ」に弱い私はなおさらです。男子だったらこれがレコード屋のエサ箱のなかにあったらとりあえず、手にとってみるでしょう。
「どれどれ」クレジットを眺めてみましょう。”ロウェル・ジョージ、ビル・ペイン、ポール・バレル(ほほう~リトル・フィートね)、ジョン・ホール(オーリアンズも?)ジェフ・ポカロ、フレッド・タケット(渋いとこ参加してるね)、アル・マッケイ、フレッド&ヴァーダイン・ホワイトにラリー・ダン(おお、EW&F(アース・ウィンド&ファイヤー)まで?)チャックレイニー、アニーワッツ(Jazz畑の人も?このあたりからちょっと動揺)、「なになに」、ジョン・セバスチャン、ジャクソン・ブラウンにリンダ・ロンシュタット(いったいこの可憐な少女はいったい何者?)”ということになります。
 このヴァレリー・カーターのファースト・アルバムは1977年、22才の頃にリリースされていますが、ヴァレリーの実質的なデビューはそれより三年前、19才の時に逆戻ります。ジョン・リンドとリチャード・ホーベイと三人で組んだ、「ハウディー・ムーン」が実質的なデビューで、1974年。A&Mから同名のアルバムを一枚だけ残しています。まだ初々しさが残る、ヴァレリーのボーカルでしたが、このアルバムですでにロウェル・ジョージやジョン・セバスチャン、アンドリュー・ゴールド、ヴァン・ダイン・パークスなどがサポートしていましたのでそれなりの評価はされましたが、大きなヒットには至りませんでした。メンバーのジョン・リンドはこのプログでも何回か取り上げています。”フィフス・アヴェニュー・バンド”の主要メンバーで、その後、全米ナンバー・ワン・ヒットとなったEW&F(アース・ウィンド&ファイヤー)の”ブギー・ワンダーランド”やマドンナの”クレイジー・フォー・ユー”など、ソング・ライターとして、その後、華々しく活躍するようになります。そのあたりの交友関係がこのアルバムにも反映されていたのかもしれません。

 この”Ooh Child"という曲はThe Five Stairstepsが1970年にヒットさせたのがオリジナルですが、ヴァレリーの他にもNina Simone,The Spinners,NewBirth,Richie Havens,
Lenny Williams,Leotis,Hall&Oates,Wondermints,Beth Orton,Destiny's Childなど数々のカバーがあります。しかし、声といいアレンジといい,このヴァレリーのヴァージョンをさしおいては語れないぐらい素晴らしい出来です。
  1年後には「ワイルド・チャイルド」という2枚目のアルバムを残し、しばらく僕らの前から消えてしまったヴァレリーですが、1990年頃に復活。何枚かソロアルバムもリリースし、現在もジェイムス・テイラーや色々のミュージシャンのライヴのバック・コーラスなどで元気な姿をみることができます。
この可憐なジャケットは是非、アナログ・レコードで・・・・。
いつもそばにおいておきたい「キュート(Cute)」な一枚です。

(The Five Stairstepsのオリジナル曲はここ)

(映像が超カワユイです、必見)

2010年1月27日水曜日

サザン・ソウルの断片~Dan Penn

Artist:ダン・ペン&スプーナー・オーダム
Album:Moments From This Theatre
Song:Sweet Inspiration









1960年初頭、南部アラバマ州にマッスル・ショールズという小さな町がありました。すべての音楽が、カントリーミュージック一色だった、この町の一角に、リック・ホールという青年が小さなスタジオを取り仕切るようになりました。Florence Alabama Music Enterprises(FAME:通称フェイム)と名付けられたこのスタジオはその後、サザン・ソウルの歴史に大きな足跡を刻むことになります。新しいスタジオには才能のあるスタッフ・ライターが集まってきました。ダン・ペンもその一人でした。
 そして66年アラバマ州のこの片田舎で録音された、パーシー・スレッジの”When A Man Love A Woman"(男が女を愛する時)が大ヒットし、一挙、マッスルショールズの名前が音楽関係者の間で注目されることになります。(実はこの曲、フェイム・スタジオの録音ではなく、別のスタジオでフェイムのスタッフを借りて録音されたといわれています。)67年、アトランティック・レコードはこのフェイムにいち早く目を付け、敏腕プロデューサーのジェリー・ウェクスラーがここに、一人の女性アーティスを連れてやってきます。その名はアレサ・フランクリン、”I Never Love A Man"(貴方だけを愛して)はそこで完成された曲です。そして、ダン・ペン達にも次々と仕事が、舞い込みはじめました。ダン・ペンは素晴らしいキーボードプレーヤーでもあるスプーナー・オーダムとコンビをくみR&B、ソウルの名曲を多数、残すことになります。
 マッスル・ショールズはその後、スタックスと並んで、サザンソウルのメッカとなりました。オーティス・レディング、ウィルソン・ピケット、ジャイムス・カー、アーサー・アレキサンダー、などの黒人アーティスだけなく、オールマン・ブラザーズ・バンドをはじめスティーヴ・ミラー・バンド、そこに在籍していた、ボズ・スキャッグスなど、ロックミュージックシャンのあこがれの地でもありました。70年代になると、大挙して、この地に、色々なミュージシャンが訪れます、いわゆる、「マッスル・ショールズ詣で 」です。
  それから、30年の歳月が経ち、ダン・ペンは朋友のスプーナー・オーダムと二人だけのライヴ・アルバムを作りました。自分達の書いた名曲を、セルフカヴァーしたものですが、至ってシンプルな作りですが、一曲一曲を愛おしむように歌っており、しみじみと胸にしみこんでいきます。ダン・ペンの歌声を聞くと、力強く、暖かい「男の背中」を連想します。

以下に、このアルバムに収められた曲と歌ったアーティストを挙げて起きます。
1. I'm Your Puppet(James & Bobby Purify,Elton John & Paul Young)
2. Sweet Inspiration(The Sweet Inspilations)
3. Cry Like a Baby(The Box Tops)
4. Do Right Woman, Do Right Man(Aretha Franklin)
5. I Met Her in Church(The Box Tops)
6. Lonely Women Make Good Lovers(Bob Luman)
7. It Tears Me Up(Percy Sledge)
8. Dark End of the Street(James Carr,Aretha Franklin,Ry Cooder)
9. You Left the Water Running(Otis Redding)
10. Out of Left Field(Percy Sledge)
11. Memphis Women and Chicken(T Graham Brown)
12. Woman Left Lonely(Scott Walker,Janis Joplin)
13. I'm Living Good(Louis Williams)
14. Ol' Folks(新曲)

 サザン・ソウルには黒人と白人が協調しながら、作りあげた音楽という側面があると今でも思っています。(スタックスもそうです。)一方、「いやそれは、元々、黒人がそれまで培ってきたソウルを白人達が、一時期商売のために利用しただけだ。70年代にそれが黒人の手に戻ってきた、当たり前のこと」という意見もあります。そのためか、いままで、Dan Pennなどの白人ライターはブラック・ミュージックの歴史のなかでは軽視されていました。

 最近、「スウィート・ソウル・ミュージック―リズム・アンド・ブルースと南部の自由への夢 」(ピーター ギュラルニック (著))が刊行されやっと、このあたりのサザン・ソウルの歴史が詳細に書かれるようになりました。今後、正当に評価がされてくることを期待したいと思います。ほんのサワリではございますが、「サザンソウルの断片(Dan Penn)」でございました。お後がよろしいようで。
 
(Song:”Sweet Inspiration”のオリジナル・バージョンです)

(ダン・ペンがこの曲を歌っている映像は)

(ダン・ペン&スプーナー・オーダムさんのデュオによる渋いライブ映像)


2010年1月25日月曜日

Tokyoの奇跡~Peter Gallway


Artist:ピーター・ゴールウェイ
Album:Tokyo Sessions July 11,1989
Song:Decidedly Fun









2010年1月14日の記事、「グリニッジ・ヴィレッジの奇跡~The Fifth Avenue Band」の続編になります。”フィフス・アヴェニュー・バンド”の中心メンバーであったピーター・ゴールウェイはその後もソロでマイ・ペースな音楽活動を続けていました。
1976年頃のある日、小さな町のコンサートを終えたピーターの元に一通のエアーメールが日本から届きます。その中にはアルバム「Peter Gallway」を携えた日本人の青年の写真が同封され、「東京で多感な時期を過ごした自分にとって、あなたの音楽がどれだけ大きな意味を持ち、自分の人生にどれほど重要か」が熱く手紙に綴られていました。 彼の誠実さと思い入れに感銘を受けたピーターは、取り急ぎ、日本の彼に返事を書き、当時バンドと共に録音した何曲かのデモ音源と共に発送しました。「パイドー・パイパー・ハウス」という、今では伝説となってしまったレコードショップの店長だった長門芳郎さんとピーター・ゴールウェイの交流は、こうしてはじまったのでした。その後、長門さんの熱意で日本で「On The Bandstand」と銘打たれた、ピーターのアルバムがリリースされ、ジャパン・ツアーも組まれました。ピーターはこう述べています。「親友であり、非凡なソングライターであったラリー・ジョン・マクナリーと成田に降り立った私達は、その後の数々の素晴らしい展開など予想すらしていなかった」と。
 
 こうして、そのファースト・ジャパン・ツアーで出会った、ブレッド&バター、細野晴臣、大貫妙子など以後、ピーターを何度も日本へ呼びもどしてくれることになります、そして1989年東京で、ピーターを敬愛してやまないアーティストたちと、待望のセッションがおこなわれることになります。1969年”フィフス・アヴェニュー・バンド”のアルバムが発表されて、20年目の出来事でした。そして今回この音源とその当時に名古屋のボトムラインでおこなったステージを収めたDVD(今までこんなものが眠っていたんですね!)がめでたくリリースされました。このセッションがおこなわれてさらに20年、”フィフス・アヴェニュー・バンド”のアルバムから40年目、私にとっては、まさに「Tokyoの奇跡」というべきアルバムです。
 フィフス・アヴェニュー・バンドのメンバーだったマレイ・ウェインストック(Key)に加え、日本から参加したのは今や日本で一番忙しいギタリスト佐橋佳幸(g)、シュガー・ベイブやセンチメンタル・シティ・ロマンスのドラマー、野口明彦、オリジナル・ラブの田島貴男(B.vocal),ソロで活躍中の鈴木祥子(B.vocal)、湯川トーベン(b)、そして後にピーターとアルバム「Missing Link」を作ることになる、ブレッド&バター(B.vocal)など今でこそ錚々たる顔ぶれですが、その当時は、まだ駆け出しの頃の人もいて、ライナーに書かれている当時の思い出話が、ほほえましくもあり、そして皆が口をそろえて、自分の人生の中で「何より素晴らしい、体験だった」と語っているのが、印象的でした。
DVDなども、発売を前提にとられた映像ではないため、画質もよくありませんが、そんなことはどうでもいいぐらい、感激したアルバムです。

 一通の手紙が出会いを生み、一つの出会いがさらなる出会いを生み、一つの音楽が生まれる。
そんな、奇跡がおこるからこそ、音楽から一生離れられないのだと思います。

(Song:Decidedly Funのオリジナル・ヴァージョン)

2010年1月22日金曜日

星、墜つ~Teddy Pendergrass

Artist:ハロルド・メルビン&ザ・ブルーノーツ
Album:Harold Melvin & the Blue Notes
Song:If You Don't Me By Now









再度の追悼ネタで申し訳ありせん。1月13日にテディ・ペンダーグラスが死去していました。結腸癌の手術後の合併症によるものらしいです。享年59歳。若すぎる死でした。TP(Teddy Pendergrass)は1970年代に絶頂期を迎えたフィラデルフィア・ソウル(フィリー・ソウル)の最後の輝ける星でありました。ちょっと長くなりますが、フィリー・ソウルについて簡素にまとめたサイトがありますのでそこからの引用です。「1970年代に入り、アメリカにおける黒人音楽の勢力地図は少しずつ変化し始めていました。1960年代後半に一大ブームを巻き起こしたスタックスは、オーティス・レディングの死や社内における白人、黒人経営陣の対立により、内部分裂を起こし急激にその勢いを失いつつありました。(1976年、スタックスは倒産に追い込まれます)
 同じく1960年代に黄金時代を迎えていたモータウンもまたその栄光に陰りが見え始めていました。スティービー・ワンダーやジャクソン5など、大物アーティストたちの移籍などで、しだいに勢いを失いつつあったうえに、ワンマン社長ベリー・ゴーディーが映画界進出を目指したことから1972年にデトロイトからロスアンゼルスへとその本拠地を移したことで、いよいよその凋落は避けられない状況になります。(この時、多くの優秀なスタッフが彼の元を去ってゆきました)
 そんな1970年代前半、ソウル界で一際輝きを放っていたのがフィラデルフィア発のフィリー・ソウルをブレイクさせたPIRことフィラデルフィア・インターナショナル・レコードでした。1970年代も半ばを過ぎるとディスコのブームによってソウルの黄金時代はいっきに終わりを迎えるだけに、このPIRの活躍はR&B、ソウルの時代にとって最後の輝きだったといえるかもしれません。しかし、モータウンやスタックスに比べるとPIRへの評価は明らかに低く、その詳細についてもあまり知られていません。それはもしかするとPIRが生み出したフィリー・ソウルの特徴がゴージャスなストリングスや美しいコーラスにあったことから「黒っぽさ」に欠けると思われていたからかもしれません。多くの黒人音楽ファンにとって、ソウル、R&Bの「黒っぽさ」はその魅力度を測る鍵です。それだけに、ヨーロッパ的で華麗なストリングスや美しいスタイリスティックスのファルセット・ヴォイスなどは、「黒人音楽らしいソウルっぽさ」が感じられないと思われがちだったように思います。」(鈴木創(すずきはじめ)さんのサイトからの引用)

 フィリー・ソウルはギャンブル&ハフ(ケニー・ギャンブル&レオン・ハフ)という敏腕プロデューサーとドム・ベルという才能あふれるアレンジャーの三人の出会いから、始まりました。そしてシグマ・スタジオを根城に数々の名曲を生み出していきます。バックバンドはMFSB(Mother,Father,Sister,Brother)という鉄壁のミュージシャン達が控えていましたし、所属するアーティストもデルフォニックス 、オージェイズ、ビリー・ポール 、スリー・ディグリーズ やそして、テディ・ペンダーグラスがリードヴォーカルとして在籍していたハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツ などきら星の如くでした。解説にありますようにソウルファンから汗の飛び散る音楽とはほど遠いスタイルのため、「軟弱だ」とか「あれにはソウルがない」など言われていますが、私個人は、黒人の社会的地位の向上にともなった、時代の要請と捕らえると、こういう都会的な、洗練された音楽が生まれたのも当然だったと思います。けっしてソウルの精神が忘れられたわけではありません。

その後、テディ・ペンダーグラスは70年代後半ハロルド・メルビン&ザ・ブルーノーツをぬけ、ソロに転向、男性的な骨太のヴォーカルが多くの女性ファンを酔わせ、コンサート中に熱いラブソングに興奮した女性ファンの、パンツが飛んで来たという逸話まであるようです。
ちなみに、志村けんのヒゲダンスのバックの音楽は彼の「Do Me」というのは有名な話です。しかし、1982年に交通事故で下半身が麻痺。その後、車椅子生活を余儀なくされ、その半生は過酷な試練の連続でした。つつしんで、その冥福をお祈りいたします。


2010年1月20日水曜日

サウダージ~Stephen Bishop

Artist:スティーヴン・ビショップ
Album:Saudade
Song1:Un Baile Del Corazon
Song2:Save It For A Rainy Day









サウダージ~よくボサ・ノバのアルバムで耳にする言葉です。ものブログによると、「サウダージ(Saudade)とは、郷愁、憧憬、思慕、切なさ、などの意味合いを持ち、他の言語では一つの単語で言い表しづらい複雑なニュアンスを持つ。」とあります。さらに、「単なる郷愁(nostalgie、ノスタルジー)でなく、温かい家庭や両親に守られ、無邪気に楽しい日々を過ごせた過去の自分への郷愁や、大人に成長した事でもう得られない懐かしい感情を意味する言葉と言われる。だが、それ以外にも、追い求めても叶わぬもの、いわゆる『憧れ』といったニュアンスも含んでおり、簡単に説明することはできない。ポルトガルに生まれた民俗歌謡のファド (Fado) に歌われる感情表現の主要なものである」とあります。ボサノヴァを理解するにはこの”サウダージ”という、説明しにくい感情が重要なようで、ちょうど、日本の演歌を外国人にどう説明するかに似ているような気がします。
ポルトガルに生まれた民俗歌謡のファド (Fado) に歌われたこのサウダージという感情は、ボルトガル語圏のブラジルにそのまま根付いたものと考えられます。ボサノヴァの第1号は、ブラジルの大歌手であったエリゼッチ・カルドーゾが歌い、まだ新進気鋭であったジョアン・ジルベルトがバックでヴィオラゥン(ギター)を弾いたChega de Saudade(シェガ・ヂ・サウダージ、日本題:想いあふれて)と言われていますが、この題名にもサウダージという言葉が使われていて、ボサノヴァという音楽を理解するには”コラソン(心、魂)と同様、大事なキーワードだと思っています。このあたりの、ボサノヴァ誕生に興味のある方はぜひ、ルイ カストロ著「ボサノヴァの歴史 」を御一読を。

サウダージ(Saudade)とタイトルをあえて付けた、Stephen Bishopのアルバムは最近はやりのセルフ・カヴァーアルバムです。Stephen Bishopは1976年から活躍したAOR系のSSWで、メロディー・メイカーとしても個人的にとても大好きでした。このアルバムはジャズやポップスを含め沢山のミュージシャンを魅了し続けた、このボサノヴァという音楽に対する尊敬と愛情にあふれています。特にSong1:”Un Baile Del Corazon (A Dance Of The Heart)”という曲のメロディーやギターはこの”郷愁”や”望郷”を音で感じることができます。ちなみにギター&プロデュースはブラジルの名ギタリストOscar Castro-Neves(オスカー・カストロ・ネヴィス)が担当。このひと調べてみると、創生期から~現在までボサノヴァの生き証人みたいな人なんです。Song2はStephen Bishopを代表する、その当時にヒットした”Save It For A Rainy Day”。ここで控えめなソロを弾いているのが誰あろうあのスローハンド”エリック・クラプトン”さんです。このアルバムは全曲良くて、是非オススメしたいのですが、米国の大手スーパーチェーン(ジャスコみたいなもの?)独自に作ったTargetというレーベルからリリースため、国内での入手が難しく、今のところ、USAのamazonからの入手が比較的簡単なようです。
(Save It For A Rainy Day by Stephen Bishop 間奏のソロはクラプトンさんです。)

2010年1月18日月曜日

永遠の犬ジャケ~Bobby Charles


















Artist:ボビー・チャールズ
Album:Last Train To Memphis
Song:But I Do

ボビー・チャールズ死去のニュースが、朝からネットで駆け巡っています。享年71歳。また一人、大好きなSSWが旅立ってしまいました。櫛の歯が折れていくように、棚に並んだレコードがまた一枚二枚とその主を失っていきます。
レコードコレクターの間には昔から「犬ジャケに駄作なし」という格言があります。
思いつくままに挙げてみますとNeil Young/Everybody Knows This Is Nowhere,James Taylor/One Man Dog ,CSN&Y/Deja Vu , Van Morrison/Veedon Fleece , Nitty Gritty Dirt Band/Uncle Charie And His Dog Trddy , Phill Evely/Star Spangled Springer , Barry Mann/Survivor, Eric Clapton/There's One in Every Crowd(安息を求めて)ちょっとマイナーですがLeonard Schaeffer/A Boy And His Dog Paul Levinson/Twice Upon A Time, Stan Moeller/Thin Tiesなどなど、確かに、格言どおり、不思議ですが、犬ジャケには駄作がありません。そして犬ジャケの名盤といえば、まず最初に頭に浮かぶのがボビー・チャールズのアルバム<Bobby Charles>です。
このレコードについては”ウッド・ストック系ミュージック”について少し説明しなければなりません。ウッド・ストックといってもあの"ウッド・ストック・フェスティバル"のことではなく、ニューヨーク近郊の小さな町であったウッド・ストックのことです。ことの起こりはボブ・ディランのマネージャーだったアルバート・グロスマンの別荘がウッド・ストックあったことに始まりでます。1966年、バイク事故で隠遁を余儀なくされたディランはこの別荘の地下室でザ・バンドのメンバーと録音をはじめます。世に名高い”ベースメント・テープ”(地下室)の誕生です。その音楽を聞き、グロスマンはこの町から新しい時代の音楽を生み出すことを決意し1969年にベアズヴィル・レコードを設立します。そして、そこから数々の名盤を生み出すことになります。主なミュージシャンはザ・バンド、オーリアンズ、前に紹介しましたトッド・ラングレン、ハッピー&アーティー・トラウム、ジェシ・ウィンチェスターそしてボビー・チャールズなどです。アメリンカン・ルーツ・ミュージックに根ざした、その音楽はウッドストックの自然をそのままレコードと一緒にパックしてくれたような、大らかさと、安らぎを僕らに与えてくれました。ウッドストックに来る以前のボビー・チャールズは地元ルイジアナでファッツ・ドミノに”Walking to New Orleans”などを書いていてそれなりの経歴を積んでいたのですが、やはり大きな転機になったのはこのウッドストック移住後だったと思います。アルバム<Bobby Charles>にはザ・バンドのリヴォン・ヘルムやDr.ジョンがバックをつとめる名曲”Small Town Talk”や大好きなエイモス・ギャレットの渋いギターが聞ける”Tennessee Blues”など取り上げたい曲もあり、このアルバムを紹介しようかと考えたのですが、これは是非、一家に一枚常備していただきたく、あえて、75年以降の音源(レアなものも含めて)を集めた編集アルバム(ジャケも渋いです。)からボビー・チャールズの作品の中で一番好きなこの曲を紹介することにします。
ちょっとくぐもった、暖かいヴォーカルがもう聞けないと思うと残念でなりません。今晩はこの「永遠の犬ジャケ」レコードも聴きながら、冥福を祈りたいと思います。合掌。(追伸:浅川マキさんも亡くなられたそうです。時は無情に流れて行きます。)

2010年1月17日日曜日

黄昏ドライブ~Glenn Frey


Artist:グレン・フライ
Album:No Fun Aloud
Song:The One You Love








グレン・フライといえばご存じ”イーグルス”の創生期からのメンバー。
”Take It Easy”や”New Kid In Town”は彼の作品で、どちらかというとカントリーロック寄りの曲を得意としていました。因みにドン・ヘンリーや,5人目のメンバーとして参加するドン・フェルダーとの共作で、イーグルスを代表する誰もが知っている”Hotel California”も書いていました。実はイーグルス結成する前に、ロサンゼルスで知り合ったあのJ.D.サウザーとジャクソン・ブラウンと共同生活していた時代がありまして、J.D.サウザーとのコンビで”ロングブランチ・ペニーウィッスル”というデュオを組み、1969年に1枚だけアルバムを作っていました。このアルバム入手するのにかなり苦労しましたが、苦労の割には内容があまりぱっとせず、実際もあまり売れず、下積み生活を余儀なくされています。その後リンダ・ロンシュタットのバックの仕事が舞い込み、その仲間とイーグルスを結成。ドン・ヘンリーとソングライティング・コンビを組み、イーグルスの大部分の楽曲を手がけるようになります。しかし彼等は商業主義的な、活動の在り方に疑問を抱き、”ホテル・カリフォルニア”では主人公がホテルの支配人の男に対して注文した「自分の(好みの銘柄の)ワイン」がなく、We haven't had that spirit here since nineteen sixty nine …(そのような酒(精神)はこちらにはご用意しておりません、1969年以来…)と歌い、”ウッド・ストック”以降のミュージシャンや音楽業界にはあるspirit(精神)が失われてしまったと表現し、ウエストコースト・ロックばかりでなく、ロック全般の終焉を宣言しました。そして1976年、解散。その後それぞれソロ活動へ入ることになります。1982年グレン・フライのソロアルバムとして発表されたのがこのが「No Fun Aloud」です。1980年代といえば、AOR(Adult Oriented Rock:大人に向けたロックの略)の全盛期、ご多分にもれず、個人的にも一時期、この辺のアルバムばかり聞いていました。とくにこの曲はサックスのイントロから、ぐっときます。いまでも夕暮れ時のドライブにはかかせない1曲。「黄昏ドライブ」にどうぞ連れていってやって下さい。

2010年1月14日木曜日

グリニッジ・ヴィレッジの奇跡~The Fifth Avenue Band


Artist:フィフス・アヴェニュー・バンド
Album:The Fifth Avenue Band
Song1:One Way Or The Other
Song2:Nice Folks








時は1960年代後半のニューヨークはグリニッジ・ヴィレジ界隈に「ナイト・アウル・カフェ(Night Owl Cafe)」というライブハウスがありました。夜通しのジャムセッション、モクモクの煙、酔っぱらってそこらに寝ているジャンキー。芸術と音楽と自由を求め集まったNice Folks・・・。
日本でいうと庄司薫の「僕の大好きな青髭」に描かれている時代。
新しい音楽を求めて、自分達のアイデンティティを求めて、理想の社会を求めて、理由の違いこそあれ、ある種の連帯感がそこにはありました。何かを求めるエネルギーに満ちあふれ、混沌の中にみんなほんの少しの希望を抱くことができる時代でもありました。
「ナイト・アウル」の夜通しのジャムセッションの中から、数々のミュージシャンが巣立っていきました。ジョン・セバスチャン率いるラヴィン・スプーンフルを筆頭に、ジェイムス・テイラー、ダニー・クーチマーのオリジナル・フライング・マシーン、後にヒットメーカー、ゲリー&ボナーとして活躍するアラン・ゴードン、ゲリー・ボナーやこれまた、バンキー&ジェイクとして後に、名作アルバムをつくったアラン・”ジェイク”・ジャコブスを擁するマジシャンズ。
そして1969年に一つのグループが生まれ、僕らにたった1枚のアルバムを残してくれました。その名は”フィフス・アヴェニュー・バンド”。
メンバーの中心だったピーター・ゴールウェイは後に「Ohio Knox」、「Peter Gallway」というソロアルバムを発表。かつて青山から、素敵な音楽を発信し続けてくれたレコード店「パイド・パイパー・ハウス」では、このアルバムを含め三種の神器とまで言われていました。特にこのアルバムは当時、細野晴臣、シュガー・ベイブやブレッド&バター、センチメンタル・シティー・ロマンス、鈴木慶一(初期のムーン・ライダース)などに大きな影響を与えたと言われています。1969年にどうしてこんな洗練された音楽が作れたのか、まさに「グリニッジ・ヴィレッジの奇跡」としかいいようがありません。

("One Way Or The Other" by The Fifth Avenue Band)


夜明けの宅録〜Todd Rundren


Artist:トッド・ラングレン
Album:Something/Anything
Song:Hello It's Me











至上最強の宅録アルバムといえばこれ。
箒のマイクスタンド。テーブルに散乱する楽譜や雑誌。徹夜の苦悩の末、やっと完成に漕ぎ着け、迎える朝日。(内ジャケクリックすると拡大します。)


この内ジャケは、音楽を創作するすべての人へのメッセージであふれています。
トッド・ラングレンに関する”ちょっといい話”を見つけましたので、しばらくお付き合いを、リヴ・タイラーって女優さんご存じでしょうか。「アルマデドン」や「ロード・オブ・ザ・リング」に出演してましたとても綺麗な女優さんです。プロフィールをみると父はロックバンド、エアロスミスのスティブン・タイラー、母は70年代の売れっ子モデル、ベベ・ビュエルである。14歳でモデルとなる。94年のエアロスミスのクレイジーのミュージック・ビデオにアリシア・シルバーストーンと出演し注目される。17歳の時「精神分析医J」で映画デビューする。
彼女はモデルの母親を持つだけあって、美しさは天性のものがあり魅力的である。そして父親はエアロスミスのメンバーということで知名度は抜群である。さらに演技のすばらしさ、愛くるしい笑顔、明るい性格によって人気も出てきている。今もっとも注目されている女優の1人であり今後の成長がとても楽しみである。
とあります。しかし実は彼女には育ての父がいるのです。

母のベベ・ビュエルは元プレイメイト。某ロックミュージシャンの恋人との同棲中に、スティーヴン・タイラーと8ヶ月間交際し、妊娠。その頃極度の薬物依存症だったスティーヴン・タイラーは暴力をふるうこともあり身の危険を感じた母のベベ・ビュエルは元恋人だった某ロックミュージシャンへ戻り子供を出産。そして自分の子供でないことを承知の上で、我が子としてリヴ・タイラーを育てるのです。そしてリヴの異母きょうだいである妹のミア・タイラーに出会い、ミアがあまりにも自分とそっくりなことに驚いたリヴは母親のビビを問い詰め、スティーヴンが自分の本当の父親であることを知る。
その後、リヴ・タイラーと父親の姓を名乗るようになったそうです。
で、その前の名前はというとリヴ・ラングレンと名乗っていました。ラングレン?そうです。自分の子供でないことを承知の上で、我が子として立派に育てたロック・ミュージシャンがトッド・ラングレンその人だったのです。
(”母親のベベ・ビュエルと”)
















「アンタはエライ!」
("Hello It's Me" by Todd Rundren)

2010年1月13日水曜日

雪のレコード〜Bruce Cockburn












Artist:ブルース・コバーン
Album:High Winds White Sky(冬の世界)
Song:Happy Good Morning Blues


朝起きると、一面の雪景色。長崎ではこんな朝は数年に一度のこと。窓から外を眺めていたらこのジャケをつい連想してしまいました。


この小さな写真ではこのジャケの壮大さと凜とした静寂感を伝えるのはむずかしいですが(ジャケをクリックするとちょっと拡大します。)
一面の銀世界のなかにポツンと一人佇んでいる旅人。ブルース・コバーンはカナダのSSW。1970年あたりからこのジャケのようにカナダのあちこちを放浪しながら書きためた曲は、弾き語りのシンプルなつくりですがギターピッキングの音色が多彩で、曲毎にかなり違った表情を見せます。ヴォーカルもお世辞にもうまいとは言えない、でも朴訥な感じがかえって、この雪景色のなかの”ひとり感”をきわだたせています。まさに「雪のレコード」です。

("Happy Good Morning Blues" by Bruce Cockburn)


追伸;午後からは、晴天。雪景色も一変してしまいました。→こういう時は2010年1月4日の「冬麗(ふゆうらら)



















2010年1月12日火曜日

名パティシエ〜Roger Nichols & Paul Wiliams

Artist:ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ
Album:Roger Nichols & the Small Circle of Friend(コンプリート盤)
Song:The Drifter







2010年1月6日の「歌職人」の続きです。60年代の終わり〜70年代になりますと、<ブリル・ビルディング系ポップス>以外のヒット・メーカーも活躍するようになります。ざっと挙げますと、レノン=マッカートニー、バカラック=デヴィッドちょっと渋めなところではピーター・アンダース&ヴィニ・ポンシア、トミー・ボイス&ボビー・ハート、ロジャー・クック&ロジャー・グリーナウェ,P・F・スローン&スティーヴ・バリ、ゲイリー・ボナー&アラン・ゴードン,デニス・ランバート&ブライアン・ポターわすれちゃいけないブライアン・ウィルソン&マイク・ラヴ(このコンビはほとんどブランアンの才能によるものが大きかったと思いますますが)満腹で〜す。でももうちょっと。
ブラックミュージックの世界ではリーバー&ストーラー、エディ・ホーランド&ラモント・ロジャー(&ブライアン・ホーランド)、ダンペン&スプーナー・オールドハム、ケニー・ギャンブル&レオン・ハフん〜きりがありませんね。もう名前聞いただけでおなか一杯って感じです。
メインディッシュが終わって、シメのデザートとして今回お届けいたしますのが
とっておきの名パティシエ、ロジャー・ニコルズ&ボール・ウィリアム作の"The Drifters”ございます。この曲は68年にシングルとして発表され、当時この曲の存在を知っている人はほとんどいませんでした。90年代になってこのアルバム”Roger Nichols & the Small Circle of Friend”が再評価され、このシングルのみで発売されたこの曲も知られるようになりました。後にコンプリート盤が発売され、ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズのほとんどの曲がCDで聞けるようになりました。日本だけの呼び名ではありますが”ソフトロック”というジャンルを代表する名曲です。70年代が青春だった私にとって、パティシエなどというしゃれた職人がいるなど知るよしもなく、そういう意味では”ソフトロック”というおしゃれな音楽の名職人(パティシエ)を教えてもらった曲でもあります。



2010年1月10日日曜日

休日の朝〜Jesse Colin Young


Artist: ジェシ・コリン・ヤング
Album:Song Bird
Song1:Song Bird
Song2:Sun Light








本日は休日。休日の朝、今度こそは早起きして、レコードの整理しようとかなどと考えるんですがなかなか実行できない・・。そこで「爽やかな目覚めをお約束する」音楽っていうのをセレクトしてみました。まずはこの曲から、どうでしょう。朝食のお伴にも最適!素敵な一日がスタートできることウケアイです。
70年代の半ばとにかくこの人のアルバムを良く聞いてました。ジェシ・コリン・ヤング1941年11月22日ニューヨーク、クィーンズに生まれ、1960年代にNYのグリニッジ・ヴィレッジのフォークシーンで活動を始め下積み生活の後、Youngbloodsを結成。69年、「ゲット・トゥギャザー」が、ビルボードのチャート5位まで昇り、フラワー・ムーヴメントの代表曲となります。その後、西海岸へ移住。70年代の初頭からソロ活動を始め、名作アルバムを次々と発表してくれまました。

まずは「Light Shine」このアルバムの裏ジャケをご覧下さい。この裏ジャケの微笑ましさに、まず、僕らは完全に虜にされてしまいました。次が名盤の呼び名も高い「Song for Juli」。この裏ジャケの娘さんのために書いた”Song for Juli”は今でもエヴァー・グリーンな1曲です。そして、この「Song Bird」。特にJim Rothermelさんのフルートが最高。こんなフルートが吹ける人、何処かにいません?。是非一度、セッションをお願いしたいものです。当時、福岡でこのメンバーでのライヴを見に行ったことがあるんですが、言葉にならないぐらい素晴らしいライヴでした。そしてそのライヴさながらのアルバム「On the Road 」。マービン・ゲイの”What's Going On/Mercy Mercy Me (The Ecology)”のメドレーは数あるカヴァーの中でも最高の部類に入るのではと今でも信じております。すべて木のぬくもりと、家族への愛と、音楽をやることの楽しさがじわ〜と伝わってくるアルバム達でした。後のアウトドア・ブームを先取りしたような自然の中で暮らすというライフ・スタイルから生まれたからこそ、その爽やかさが「休日の朝」には相応しいのかもしれません。
同じタイプも”Sun Light"もヨロシク。


2010年1月9日土曜日

癒し〜The Innocence Mission

Artist:イノセンス・ミッション
Album:Now The Day Is Over
Song:What a Wonderful World








不況の風が荒れ狂い、未来に、対する漠然とした不安を抱く昨今。誰もが「癒し」を求めています。もし世の中に「癒される声」というものがあるのなら、私はイノセンス・ミッションのカレン・ペリス(Karen Peris)の声を挙げたいと思います。
Innocence Mission(純粋な伝道?)という宗教と関係ありそうな名前をもったこのグループは、ペンシルヴァニア州のランカスターという片田舎の高校で知り合った友人同士で結成されました。ペンシルヴァニア州のランカスターには戦争を拒否し、電気や自動車などいっさいの近代文明を否定して生きるカトリック系のArmish(アーミッシュ)と呼ばれる人びとが生活していることで有名です。このへんのことはハリソン・フォード主演の映画「目撃者、ジョンブック」をごらんになった方はご存じでしょう。そういう、信仰の厚い土地柄もあってか、最初にバンドで演奏したのがカトリック・スクールの制作による舞台劇「Godspell」だったそうです。その後、ヴォーカルのKaren とギターのDon Peris は夫婦となりベースを加えた 三人で活動するようになります。ペンシルヴァニア州のランカスターからはなれず、手作りの感覚で、そしてゆっくりと時間をかけ、等身大のアルバムを作り続ける姿勢は、まるでArmish(アーミッシュ)の人たちのように、商業主義的な音楽環境を頑なに拒んでいるーそんな気がします。そして出会ったのがこの”Now The Day Is Over”でした。このアルバムはジャケからもわかるように、子供に向けられた子守歌として制作されたものです。誰もが知っているスタンダードナンバーがまるで清らかな水の流れのように体中にしみこみ、日常に取り込まれた不純物を全部洗い流してくれるような感覚にさせてくれます。いつもお世話になっている”音の魔術師”ことT.M氏はこの声の「癒し」について「胎内回帰」〜母性との本能的な意識の繋がりを求めること〜、と表現されました。確かに男子の場合「癒し」の要素の中で「母性なるもの」の存在は大きいと思います。
今回取り上げる”what a wonderful world”(この素晴らしき世界)ですが、サッチモの名唱で有名なこの曲は、宇宙飛行士をおこす”ウェイクアップコール”(地球からの目覚めの音楽)のリクエストのなかで、常にトップの曲だそうです。この曲を聞きながら宇宙から地球を眺めたら、きっと地球と地上に暮らす、すべての物達が今以上に愛おしくなるような気がします。

I see trees of green, red roses too
I see them bloom, for me and you
木々は緑色に、赤いバラはまた、わたしやあなたのために花を咲かせ
And I think to myself, what a wonderful world
そして、わたしの心に沁みてゆく。何と素晴らしい世界でしょう。

I see skies of blue, and clouds of white
The bright blessed day, the dark sacred night
空は青く、雪は白く、輝かしい祝福の日には、神聖な夜と
And I think to myself, what a wonderful world
そして、わたしの心に沁みてゆく。何と素晴らしい世界でしょう。

The colors of the rainbow, so pretty in the sky
Are also on the faces, of people going by
空にはとてもきれいな虹がかかり,また人々は通り過ぎながら、
I see friends shaking hands, sayin' "how do you do?"
They're really sayin' "I love you"
はじめましてと言ったり
友達が握手したりしているのを見かけます。

I hear babies cryin', I watch them grow
They'll learn much more, than I'll ever know
わたしは赤ん坊が泣くのを聞いたり、成長してゆくのを見ています。
彼らはわたしよりも遥かに多くのことを学び、知ってゆくでしょう。
And I think to myself, what a wonderful world
そして、わたしは心の中で思っています。何と素晴らしい世界

Yes I think to myself, what a wonderful world
ええ、わたしは心の中で願っています。何と素晴らしい世界なんでしょう。



2010年1月8日金曜日

夜をさすらう者たち~Tom Waits


Artist:トム・ウェイツAlbum:Small ChangeSong:Tom Traubert's Blues









Tom Waits~酔いどれ詩人。かつては知る人ぞ知る、孤高のSSWだった彼ですが最近、某テレビドラマのエンディング・テーマでこの曲が流れるようになって、徐々に注目されるようになりました。もののブログによれば(最近はものの本というよりはブログになってきましたね。)、かつて彼はこう述べています。「ストリートは色々な文化が混ざり合ってて、アメリカ文化の重要な部分。僕はそれをロマンチックにドラマ化してるだけなんだ・・・」。1949年12月7日生、ホントかどうかわかりませんが、病院に向かう、タクシーの中で生まれたとのこと、この人、生まれた時からすでにドラマになっています。
トム・ウェイツの最高傑作とされているこの”Tom Traubert's Blues”にはオーストラリアの第二の国歌といわれる、"Waltzing Matilda"の旋律が引用されています。
"Waltzing Matilda"は文字通り訳せば、「マチルダ(女性の名)とワルツを踊る」という意味なのですが”Matilda”には、もうひとつ「放浪者が身の回りの品物を持ち運びに便利なようにまとめて入れる頭陀袋」という意味があり、つまり「さまよい歩く彼の背中で頭陀袋が踊るように揺れている(waltzing)」とも訳されるそうです。この"Waltzing Matilda"にまつわる哀しい話がオーストラリアには残っているそうで、ちょっと長くなりますが、吉永小百合さんが書かれた本から、引用してみます。
『ワルツィング・マチルダ』
 オーストラリアは、先住民アポリジニの国でした。18世紀後半、イギリスがこの大陸を犯罪者の流刑地としたときから、オーストラリアの歴史は大きく変わります。それから約一世紀後の19世紀半ばのころの、こんな伝説が残っています。
 大平原の牧場に、スコットランドから美しい花嫁がやって来ました。ところが、新婚わずか3ヶ月ほどで夫の牧場主は急死してしまいます。悲しみにくれた彼女は、祖国へ帰ってしまおうかとも思いますが、夫の遺志を継いで、女ひとりここに踏み止まって牧場経営をはじめます。
 当時のオーストラリアは、スワッグマンと呼ばれる放浪の男達が、マチルダと呼ばれる野宿用の毛布を背負って、牧場から牧場へと渡り歩いていました。スワッグマンのなかは、そうして気に入った牧場にそのまま居ついて働くものもいました。そんなスワッグマン達の間に、あの女牧場主は、母親のように優しい、という評判が立ちます。
 そんなある日、大男のスワッグマンが現れました。女主人は、いつものように彼をもてなしました。男は女主人の優しさにふれて、ふるさとのスコットランドから、苦労してここまで流れてきたことを問わず語りに語ります。女手ひとつで自分を育ててくれた母が亡くなって、悲しみを断ち切るために、この新大陸へきたこと、などを。
 そして彼は、この牧場で働かせてほしいと頼み、昼は力仕事を精一杯やり、夜になると、なつかしいスコットランドの歌を歌う毎日が続きました。
 その歌の最後は決まって、「マチルダを背負って旅をしよう・・」というのでした。
 ところが、十日ほどしたとき大男は突然、また旅に出るといい、朝もやのなかを去っていきました。
 それから、数日後、騎馬警官が牧場にやって来ました。
 「この先の牧場で大男のスワッグマンに羊を盗まれましてね。そいつは騎馬警官に追われて、この先の沼に身を投げて死んだのですけど、こちらは大丈夫でしたか」
 女主人は信じられません。
 「あの大男がそんな。羊泥棒だなんて、何かの間違いですわ」
 女主人はそういうと、大男が死んだという沼のほとりへ急ぎます。ユーカリの木に囲まれた深い沼は、何事もなかったかのように静まりかえっています。風がユーカリの木の葉をゆらし、その音が、彼女には大男の歌のように聞こえました。
 「マチルダを背負って旅をしよう・・」
 マチルダを背負って旅をしよう、と歌う『ワルツィング・マチルダ』は、オーストラリアの国歌以上に、人々に親しまれている歌であり、オーストラリアを代表する歌として、百年以上も歌い継がれています。
オーストラリアに行って、初めてこの歌を聴いたとき、私は胸がいっぱいになりました。オーストラリアの人たちが明るく歌っているのになぜか哀しいのです。昔、過去をひきずってこの大陸にやってきた男達のせつない思いが、歌の中から静かに伝わってきました。(街ものがたり:吉永小百合著、講談社)

過去をひきずってきた男達の哀しみ、トム・ウェイツはそこに共感してこのメロディーを引用したのかもしれません。

Tom Traubert's Blues
(Tom Waits 1976)

Wasted and wounded, it ain't what the moon did
Got what I paid for now
骨折り損のくたびれ儲けってわけだけど、月のせいじゃねぇ
身から出た錆ってことよ。
See ya tomorrow, hey Frank can I borrow
A couple of bucks from you?
じゃまた明日な、フランク
ところで、2、3ドルかしてくれねぇかな、
To go waltzing Matilda, waltzing Matilda
You'll go a waltzing Matilda with me
もうちょっとブラブラしてぇからよ
おまえも俺と一緒にブラブラするかい

I'm an innocent victim of a blinded alley
And tired of all these soldiers here
俺は袋小路の無垢な犠牲者ってわけよ
しかし、ここにいる兵隊たちにゃ飽き飽きしたぜ
No one speaks English and everything's broken
And my Stacys are soaking wet
まともに英語も話せねえし、何もかもイカレてる
おれのスニーカーはぐっしょり濡れちまって
To go waltzing Matilda, waltzing Matilda
You'll go a waltzing Matilda with me
ブラブラするってわけにも、いかねぇか・・
おまえも俺と一緒にブラブラしてぇかい

Now the dogs are barking and the taxi cab's parking
A lot they can do for me
犬どもは吠えたてる。タクシーは道に端っこに止まってるぜ
もっとましなことができそうなもんだがなあ
I begged you to stab me, you tore my shirt open
And I'm down on my knees tonight
俺を刺してくれと頼んだら、お前は俺のシャツを引き裂きやがった、俺は膝まずいてお前にたのんでるんだぜ
Old Bushmill's I staggered, you buried the dagger
Your silhouette window light
オールド・ブッシュミル(北アイルランドのウィスキー)を飲み干して、俺は千鳥足だ。
お前はナイフをどっかに捨てちまっただろう。その姿が影になって薄明るい窓に映ってるぜ
To go waltzing Matilda, waltzing Matilda
You'll go a waltzing Matilda with me
そろそろ、この街ともおさらばかな
お前も一緒に来るかい

Now I lost my Saint Christopher now that I've kissed her
And the one-armed bandit knows
俺はお守りの十字架を無くしちまい、あの娘( Matilda)にキスしたのさ
片腕のゲイの奴に見られたよ
And the maverick Chinaman and the cold-blooded signs
And the girls down by the strip-tease shows
一匹狼の中国人、冷酷で汚ねえ看板、ストリップ劇場の女達にも、知られちまった
Go, waltzing Matilda, waltzing Matilda
You'll go a waltzing Matilda with me
そろそろここらで潮時ってことかい、旅に出るけど
お前も一緒に来るかい

No, I don't want your sympathy
The fugitives say that the streets aren't for dreaming now
お前の同情なんてほしくもねぇよ、
ずらかった奴等は、街にぁ夢なんてもんはありゃしねぇっていうぜ
Manslaughter dragnets and the ghosts that sell memories
They want a piece of the action anyhow
殺人犯を追い回す捜査網、想い出を売る亡霊
みんなとにかく何かしたがってるのさ、
Go, waltzing Matilda, waltzing Matilda
You'll go a waltzing Matilda with me
ダラダラした生活に飽き飽きして
何かすげえことが起こるのを待っているってわけよ。

And you can ask any sailor and the keys from the jailor
And the old men in wheelchairs know
水兵にかたっぱしから聞いてみな、看守の奴からぶんどった鍵のこと
車いすに乗った爺さんは知ってるぜ
That Matilda's the defendant, she killed about a hundred
And she follows wherever you may go
マチルダが被告だってことこともな
あいつ、百人ぐらいやっちまった(殺っちまった)んだからな
Waltzing Matilda, waltzing Matilda
You'll go a waltzing Matilda with me
マチルダに追いまわされる、マチルダに捕まっちまうぜ
お前もマチルダから逃げれなくなっちまうんだ。
(注;いつまでたっても、夜の街をさすらい続けるという意味ともとれます)

And it's a battered old suitcase to a hotel someplace
And a wound that will never heal
どっかの安ホテルへ届けらる使い古してボロボロのスーツ・ケースとこの傷は二度と直りゃしねえのさ
No prima donna, the perfume is on
An old shirt that is stained with blood and whiskey
気のきいた香水をつけた女もいねぇ
着古したシャツにゃ、血と酒のシミがある
And goodnight to the street sweepers
The night watchman flame keepers and goodnight to Matilda too
街の掃除人さんよ、おやすみ
夜警のおっさん、街灯をつけてあるくおっさん
それにマチルダよ、おやすみ


この歌は夜を放浪する人達の歌。そう「夜をさすらう者たち」への挽歌なんですね。


   

2010年1月7日木曜日

とまどい〜Fairground Attraction


Artist:フェアグラウンド・アトラクション
Album:The First of A Miliion Kisses
Song:The Moon Is Mine










バックミラー越しのKiss。車での逢い引き(死語?)でしょうか。アルバム名”The First of A Miliion Kisses:(2人がこれからする、百万回のキスのうちの、最初のキス)なんともセンスのあるジャケと表題はエリオット・アーウィットという写真家の作品だそうですが、その中身を聞いてみて、ジャケ写真と同様に素敵な音楽だったのを覚えてます。1980年代に突然、彗星の如くあらわれた、Fairground Attraction(移動式遊園地)という、これまたセンスのある名前をもったグループはスコットランドのグラスゴーからひょこりやってきました。素朴で、暖かい曲達は、1980年代としては少々、時代遅れだったかもしれませんが誰もが惹かれたのは、Vocal、エディ・リーダー(Eddie Reader)の圧倒的な歌唱力とその表現力でした。私にとって1980年代は聞きたい音楽があまりなかった「不毛の時代」だったので、すぐにお気に入りのバンドとなりました。代表曲である”Perfect”やこの”The Moon Is Mine”のリズムは、彼らの中に”スキッフル”というイギリス独特の音楽が継承されていたからではないかと思われます。”スキッフル”とはアメリカの”ジャグ”(南部の黒人たちがギター、ハーモニカを中心に洗濯たらいを利用したベース、洗濯板、ジャグ(大きな瓶の口を拭いて独特な音を出すこと)などを使って演奏した音楽)にフォークやブリティッシュ・トラッドの要素を混ぜ合わせ、ロックンロールやリズム・アンド・ブルースのリズムで演奏した音楽で、さらに彼等はそれを消化し、スイング・ジャズなどの要素を加わえ、オリジナルな音へ育てていきました。”Perfect”の大ヒットにより、ストリート・ミュージシャンから一躍、世界が注目するバンドとなった彼等ですが、それ故、商業主義へ走る周りの環境や、自分達の原点を忘れてしまうかもしれない人気に「とまどい」を覚え、わずか、1年半でその活動を終え、今や伝説のバンドとなってしまいました。もし彼等に、この「とまどい」が無かったら、商業主義の音楽業界で伝説のバンドとなり得たでしょうか?。数年前、エディ・リーダーはスコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズ(日本人ならだれで知っている”蛍の光”や”故郷の空”の作者)の作品集をだしました。ひょっとしたらスコットランドへの頑なまでの愛情とプライドが彼等にこの「とまどい」を感じさせたのかもしれません。

("The Moon Is Mine" by Fairground Attraction)




2010年1月6日水曜日

歌職人〜Barry Mann

Artist:B.J. Thomas
Album:Billy Joe Thomas
Song:Rock And Roll Lullaby












昔々、ニューヨークはタムズスクエア周辺に大手の音楽出版会社が一つのビルの中に軒を列ねていました。これらの出版会社と契約した、たくさんの歌職人達はそれぞれコンビを組み、作曲と作詞を完全に分業化し、一つの歌が書き上がると、色々なシンガーに歌わせ、好みのシンガーが歌ったものを客が買うというシステムを作りあげました。職人達はお互い切磋琢磨しながらよりいいものを作り上げ、いつしか完璧なプロの歌職人達へと変貌していきました。歌職人達のつくる曲は50年代〜60年代のヒット曲の多くを占めるようになり、後にその建物の名に因んで<ブリル・ビルディング系ポップス>と呼ばれようになります。
おもな歌職人達といえば、バーリー・マン(曲)&シンシア・ウェイル(詩)、キャロル・キング(曲)&ジェリー・ゴフィン(詩)、ジェフ・バリー&エリー・グリニッチ(主に共同作業)、ニールセダカ(曲)&ハワード・グリーンフィールド(詩)などなど、それぞれ、きら星の如く名曲がありますが、その中でもバーリー・マン&シンシア・ウェイルの代表曲をざっとあげるだけでも、
スティーブ・ローレンス「フットステップス」(60年・7位)パリス・シスターズ「アイ・ラブ・ハウ・ユー・ラブ・ミー」(61年・5位)ドリフターズ「オン・ブロードウェイ」(63年・9位)ライチャス・ブラザーズ「ふられた気持ち」(64年・1位)ロネッツ「ウォーキング・イン・ザ・レイン」(64年・23位)ライチャス・ブラザーズ「ソウル&インスピレーション」(66年・1位)ドリー・バートン「ヒア・ユー・カム・アゲイン」(78年・3位)ダン・ヒル「ふれあい」(78年・1位)ジェイムス・イングラム「ジャスト・ワンス」(81年・17位)リンダ・ロンシュタット&ジェイムス・イングラム「サムホェア・アウト・ゼア」(87年・2位)
(これアメリカ物語っていうアニメ映画の主題歌ですがアカデミー音楽賞を受賞してます。)リンダ・ロンシュタット&アーロン・ネヴィル「ドント・ノウ・マッチ」(89年・2位)
などなど数え上げたらきりがありません。
しかしバーリー・マン&シンシア・ウェイルの中でも屈指の名曲といえばやはり”ロックンロール・ララバイ”でしょう、なかでもB.J. Thomasのヴァージョンが群を抜いています。特に後半のコーラスはBeach Boysそのもの(なんでもコーラス・アレンジをBrian Wilsonに依頼して断られたと逸話があるといいますが、ホントなんでしょうか?)訳詞はのせれませんでしたが、歌詞も素晴らしいですね。
She was just sixteen and all alone When I came to be
So we grew up together My mama child and me
Now things were bad and she was scared But whenever I would cry
She'd calm my fears and dry my tears With a rock and roll lullaby

And she would sing sha na na na na na na na ...It will be all right sha na na na na na....Sha na na na na na na na ...Now just hold on tight

Sing it to me mama (mama mama ma) Sing it sweet and clear, oh!
Mama let me hear that old rock and roll lullaby

We made it through the lonely days But Lord the nights were long
And we dreamed of better moments When mama sang her song
Now I can't recall the words at all It don't make sense to try
'Cause I just knew lots of love came thru In that rock and roll lullaby

And she'd sing Sha-na-na-na-na, na-na-na-na It'll be all right
Sha-na-na-na-na, na-na-na-na Just hold on tight I can hear ya, mama
My, my, my, my mama Nothin' moves my soul
Like the sound of the good old Rock and roll lullaby
当時、ブロンクスの冬の街角。たき火にあたりながら、数人があつまるとアカペラのこの曲が聞こえてきたのではないでしょうか。


ふたりだけのうた〜Joni Mitchell & James Taylor

Artist:Joni Mitchell & James Taylor
Album:The Circle Game
Song:You Can Close Your Eyes









ジョニ・ミッチェルとジェイムス・テイラーといえば、1970年代を代表するSSW(シンガーソングライター)です。この辺をお好きな人なら愛聴盤をかならずお持ちのはず、私の場合JTは2枚目のアルバム(正確にはアップル盤がありますので3枚目)の「Mud Slide Slim and the Blue Horizon 」、JMの方はやはりJTが参加していました「Blue」あたりですね。特にJTは、その独特のフィンガー・ピッキングに魅了されギターを弾き始めたようなものなので、いまでも師匠と崇めております。そしてこの二人のライヴ・アルバムが何年か前に発売されました。
1970年10月28日、ロンドンはロイヤル・アルバートホールで行われたライヴ音源なのですが、なんといってもデュエットで歌ったテイクが何曲あり、70年代のSSWフリークにとっては夢のようなデュエットなのです。感無量です。あ~生きててよかった。しかしこんな音源どこに隠れていたのでしょう。
特に”You Can Close Your Eyes”です。まさに、この時期にJTがジョニ・ミッチェルのためにつくった曲。歌詞の中にあるようにI don't know no love songs And I can't sing the blues any more But I can sing this song(もう僕は愛の歌を知らないし、ブルースも歌えない、でもこの歌は歌えるよ)と二人ですごす幸せな時間をこんな風に表現している、いわば、ふたりだけの歌なのです。その後ふたりは別れることになりますが、さらに歌詞にはこうあります。And you can sing this song When I'm gone(僕がいなくなるまでは、君も歌えるよ)その後、ジョニ・ミッチェルがこの曲を歌うことはありませんでした。