Album:Dream Boy Vol.2
Song:Sunny Winter
朝晩の冷え込みが本格的な冬の到来を告げています。9月のブログで取りあげました”Woderful Summer”が「夏の終わり」の歌なら、それに対をなす「冬の始まり」の歌がこの”Sunny Winter"ということになります。どちらも60’sの極上のガールズ・ティーン・ポップです。
Carol & Cherylについて、すこしお付き合い下さい。昔々、アメリカはLAにアネット・クレインバードというイタリア系の女の子がおりました。1958年、LAの郊外にあるフェアファックス・ハイスクールという高校で、その女の子は、ある男子生徒と出会います。男の子は音楽が好きで、その頃からレコーディングなどをやっておりましたが、ピアノがあまり弾けません、彼女はピアノが弾けてその上楽譜が読めたので、レコーディングを手伝うことになりました。彼女がリード・ボーカルを取ることとなったその曲は”To Know Him Is To Love Him”(邦題:逢ったとたんに一目惚れ)。あと二人を加えて4人で結成したテディ・ベアーズというグループ名で最初はインデーズ・レーベルからデビューすることになります。そしてたちまち大ヒット、全米No.1を獲得しました。
彼女の運命を変えた、男子学生の名はフィル・スペクター。後に”ウォール・オブ・サウンド”というエコーを効かせた独特のサウンドで60’sのポップスを牽引して行くことになる伝説のプロデュサーです。
彼女の運命を変えた、男子学生の名はフィル・スペクター。後に”ウォール・オブ・サウンド”というエコーを効かせた独特のサウンドで60’sのポップスを牽引して行くことになる伝説のプロデュサーです。
しかし幸運は長く続きませんでした。その後、大手のレコード・レーベル、インペリアルに移籍し、3枚のシングルとアルバム『The Teddy Bears Sing』を残しましたが、鳴かず飛ばずの状態で、更にトレイ・レコードに移籍した彼らはスペクター・スリーと改名して2枚のシングルを発表しました。しかし、これらはいずれもセールス的に不発で、彼らは1959年にあえなく解散してしまいます。
その後スペクターは本格的な、レコーディング技術を勉強するため、ニューヨークへ旅立つことになります。残されたアネット・クレインバードはキャロル・コナーズ(Carol Connors)と名前を改名し、作曲家兼シンガーとして活動することになります。そして65年、Colpix・レーベルから妹のシェリルと吹き込んだこのシングル(A面は”Go Go G・T・O”)です。時は、サーフィン・ホッド・ロッドブーム。後にビーチ・ボーイズのメンバーとなる、ブルース・ジョンストン(ブログ”Disney Girls”を参照)とテリー・メルチャー(ドリス・デイの息子でビーチ・ボーイズとも親交が深く、後に設立する「イクイノックス」レーベルも有名です。また、このシングルのプロデューサーでもあります。)のリップ・コーズというバンドへ”ヘイ・リトル・コブラ”を提供したりしてますが大きなヒットとはなりませんでした。70年代に入って一念発起した彼女はニューヨークへ進出。ビル・コンティーと組み「ロッキーのテーマ」という大ヒットを生みます。
フィル・スペクターのその後の活躍については、ご存じでしょうから省略いたしますが、1970年発表のアルバム「レット・イット・ビー」のプロデュース。ポール・マッカートニーとの確執、ジョージ・ハリスンとジョン・レノンのソロアルバムのプロデュース。1989年、ロックの殿堂入りを果たすものの、2003年2月、自宅で女優ラナ・クラークソンを殺害した容疑で逮捕された。現在は保釈中。とその奇行も伝説となっています。
話がそれてしまいましたが、そんなキャロル・コナーズのこのシングルは、長い間CD化されるされることがなく、60’sのポップスファンの間ではまさに、垂涎の的だったのですが、日本のM&Mというレーベルが貴重なティーン・ポップスのシングルをまとめてCD化してくれました。M&Mはその後、無くなり、現在すべて廃盤となっていますが、この「Dream Boy」のシリーズは私の宝物となっています。
(Sunny Winter by Carol & Cheryl このDreamyなメロディーは今でも色褪せることがありません。)
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