2010年2月18日木曜日

希望をのせた歌~村井邦彦&河邨文一郎

Artist:トア・エ・モア
Album:The Melody Maker~村井邦彦の世界
Song:虹と雪のバラード







 バンクーバー・冬期オリンピックもたけなわ、日本勢がんばってますね。しかし、世界の壁はやはり厚い。
 オリンピックのもう一つ楽しみにテーマ音楽があります。一番有名なのは、1968年2月6日から2月18日まで、フランスのグルノーブルで行われた冬季オリンピックの記録映画の主題歌だった”白い恋人たち”(13 Jours en France)。作曲はフランス映画音楽の巨匠、フランシス・レイ。監督は「男と女」「パリのめぐり逢い」「愛と哀しみのボレロ」などのクロード・ルルーシュ。この”白い恋人たち”はその当時、日本でも大ヒットしたのを憶えています。たしか小学校の高学年頃だったと思います。
 
それから4年後の1972年ついに、アジアで初めての札幌冬季オリッピックが開催されることになり、北の大地に日本中の目が釘付けになりました。

 その大会のメイン・テーマをつくることになり、白羽の矢が立ったのが、医師でもあり詩人でもあった河邨文一郎(かわむらぶんいちろう)と日本を代表するメロディー・メーカーだった村井邦彦でした。

  河邨文一郎(かわむらぶんいちろう)は東京帝国大学医学部を卒業後、札幌医大の整形外科教授を歴任し、一方で詩人の金子光晴に師事しやや難解な現代詩を書いていた異色のひと。いささか作詞家としては毛色の違った経歴の人で、作詞するにあたって、あたえられた課題が、誰もが口ずさめて、北海道の特色をいかし、なおかつ、わかりやすい言葉でかかれた詩という、頭を抱えるような難題だったそうで、約半年の間、その詩と格闘したそうです。

 一方、村井邦彦はGS時代に”エメラルドの伝説””白いサンゴ礁”。フォーク関係では”或る日突然””翼を下さい”など今や誰もが知っている国民的な歌を書いた人で、後にアルファ・ミュージックを設立し、荒井由美やYMOを世に送り出した、大プロデューサーでもあります。作曲についての課題は、オーケストラでも演奏できて、かつギター一本でもつま弾ける歌という、これもかなり難しい条件であったようです。

  そしてその二人が幾多の難問を乗り越えて、完成させたのが”虹と雪のバラード”という曲でした。この曲は最初は歌い手を決めない共作という形がとられたようですが、このトア・エ・モアのヴァージョンが一番、馴染みがあり、彼等の代表曲にもなっています。

 作曲については、今でこそ、少々古い感じがしますがその当時は、日本にもこんなメロディーが書ける人がいたんだと感激したおぼえがあります。本人は4年前にかかれた”白い恋人たち”に負けないぐらいの意気込みで書いたと後に回想していますので、村井邦彦を代表する、かなり力が入った作品になっていると思います。「オーケストラでも演奏できて、かつギター一本でもつま弾ける歌」という条件もクリアできていると思うのですが、いかがでしょう。
 そして歌詞。よく聞いてみるとなんとも気品のある言葉づかいで、いわゆる職業作家にはない「使い古されていない」言葉に好感がもてます。
 
 オリンピックには、各競技において、選手達のドラマがあるのは当然ですが、こういった音楽にまつわるドラマもあったようです。まさに国民の「希望をのせた歌」だったんですね。
 かんばれニッポン!

1.虹の地平をあゆみ出て
  影たちが近づく 手をとりあって
      町ができる 美しい町が
      あふれる旗、叫び、そして唄
  ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
  あの星たちのあいだに眠っている北の空に
      きみの名を呼ぶ オリンピックと

     2. 雪の炎にゆらめいて
       影たちが飛び去る ナイフのように
           空がのこる まっ青な空が
           あれは夢? 力? それとも恋
       ぼくらは書く いのちのかぎり
       いま太陽の真下に
           生まれかわるサッポロの地に
           きみの名を書く オリンピックと
           生まれかわるサッポロの地に
           きみの名を書く オリンピックと



3 件のコメント:

  1. 当時僕はまだ3歳かそこらでしたが
    北海道全体にオリンピックの空気があったのは覚えています。
    グルノーブルの例の歌と同じ様な匂いを持ったこの歌も大好きですね。

    中学ではスキー部(ジャンプ)でしたが、
    先輩が全日本の合宿で覚えて来た
    『オリンピック体操』と云うのがあって毎日のルーチンでしたね。
    そしてこの歌の『オリンピックと〜』の『と〜』の部分で身体を伸ばしてストレッチと云うのが定番でした。

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  2. Shermyさんは北海道の方だったんですね。この曲の体操があったのは初めて知りました。札幌冬季オリンピックは日本にとっても一代事業だったんですね。村井さんは作曲家としてもたくさんの曲を残していますが、プロデューサーとしての仕事もいいアルバムをたくさん残していますね。

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  3. いつもお邪魔しています。

    いや、この曲に体操を付けていたわけではないんですよ。
    オリンピック体操自体は。
    ただ、この歌の『と〜』の部分が面白くて
    部内で勝手に『と〜』とストレッチやってました。

    去年の一時期これのレコードを探していました。
    結局ヤフオクに沢山ありましたけれども。

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