Album:Sings Blossom's Own Treasures
Song :Hey John
昨年の1月に”キュート”と題して、ヴァレリー・カーターを取りあげましたが、ロック界のキュートな声がヴァレリーとすれば、ジャズ界のキュート・ヴォイスの代表はブロッサム・ディアリーではないでしょうか。一度その歌を聞けば、わかりますが、まるで幼女がそのまま大人になったような声です。「ビ・バップのベティ・プープ」と呼ばれていたのも納得できます。
ブロッサム・ディアリーについて簡単に紹介いたしますと、1926年の4月28日、ニューヨークの郊外に生まれています。驚くべきことにBlossom Dearieという名前は本名だそうで、Blossomは「花のような」、Dearieは「愛おしい」というような意味がありますので、声と名前がこれほど一致する人も珍しい。(ほんとかどうかわかりませんが、生まれた時、彼女の兄が父親の元へ満開の桃の枝を持ってきたのが名前の由来という説があるそうです。)
20才代後半にフランスのパリに渡り、そこで知り合ったアニー・ロスやミッシェル・ルグランの実姉であるクリスチャン・ルグランらとコーラスグループの「ブルー・スターズ」を結成。この時代にヨーロッパ的なセンスを身につけたようです。
レコードレーベルVerveのプロデューサーがたまたま、グラブで歌っていた彼女の声に一目惚れし、アメリカでのソロレコーディングを持ちかけ、アメリカへ帰国、1957年、アルバム「Blossom Dearie」でデビューします。この時31才。(その前にジャズピアニストとしてのアルバムをリリースしてますが歌ってはいなかったようです。)
Verveで5枚のアルバムを制作、その声が評判になり人気を博するようになり、アメリカとヨーロッパを行き来しながらCapitol,Fontanaとレーベルを渡り歩き、アルバムを発表していきます。
1974年には自らのレーベル、Daffodilを立ち上げ、兄が社長となり、その後は、このレーベルからマイペースでアルバムをリリースするようになります。Verve時代のスタンダードなジャズとちがい、Fontana、Daffodil時代はどちらかというとポップス寄りの曲を取りあげていて、Daffodil時代のブロッサム・ディアリーを評価するファンも多いようです。2006年まで、現役の歌手としてニューヨークのクラブで歌っていたそうで70才を過ぎても、このキュートな声は衰えていなかったそうです。
(一度、Liveで生の歌を聞きたかったですね。)
残念なことに、2009年2月7日老衰のために死去。享年83才でした。
ややもすると、この手の声は、女性には嫌われることもあるのですが、ブロッサムの歌い方には凜とした気品があり、男に阿るようなベタベタした感じがありません。そのためか、女性ファンも結構多いようで、時々日本の女性アーティストがフェイバリット・アルバムとしてブロッサム・ディアリーを取りあげています。キュートな声ばかりが取りあげられますが、ジャズ・ピアニストとしてもなかなかのものです。念のため。
ちなみに、村上春樹さんが、秘蔵のアルバムとして、ビール会社”ルートビア”が大口の顧客だけに景品として配った彼女の限定アルバム「Sings Rootin' Songs」を挙げていたという話は、ファンの間では有名です。(オリジナルは確かに激レアですので、ちょっと自慢したくなる気持ちはよくわかります。このエピソードに関しても村上さんには、なぜか親近感を感じます。)
ブロッサム・ディアリーのアルバムは2000年あたりから、だいぶCD化がすすみ、ありがたいことに、苦労してオリジナルを探さなくとも、現在のところ、容易に入手できるようになりました。今回取り上げましたCDは日本独自にDaffodil時代のアルバムから編集したもので、ブロッサム・ディアリーをもっと聞いてみたい方には、オススメです。この”Hey John"はジョン・レノンに捧げた曲で、ブロッサム・ディアリーの代表的なオリジナル・ソングです。最初は、このDaffodil時代のアルバムが好きだったのですが、年を取るにしたがって、スタンダード・ナンバーを歌っていた若き頃のVerve時代もいいなあと思うようになりました。
「花のように愛おしい人」という名前をもつ、「妖精のような」声のシンガー、ブロッサム・ディアリー。
まさに、芸術の神が造った奇跡でした。
(残念ながら音源はありません)
(「音のコラム2」で取りあげました”I Wish You Love"のブロッサム・デュアリーさんヴァージョン)
(1985年、60才の頃のLive 映像、はめ込み不可なのでYou-Tubeへ飛んでご覧下さい)
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