Artist:高浪慶太郎とながさきふぁいぶ
Album:龍馬のハナ唄
Song:みぃ・じゃぱんにぃず・ぼうい
ワールド・カップの決勝トーナメント本当に残念でした。日本はベスト8には進めませんでしたが、世界を相手に戦う勇姿はまさに「サムライ・ブルー」という名にふさわしいものでした。「日本人でよかった」と若い人がインタビューで答えてましたが、日本が失っていた自信を取り戻してくれたようで、その効果は計り知れない気がします。「サムライ」といえば、「龍馬」がもしこのワールド・カップでの日本の活躍を体験出来たら、だぶん手をたたいて喜んでいたにちがいありません。「おまんらは、まっこと、日本人の鏡ぜよ。」と・・・・・・。
そんなわけで、当地、長崎では今、「龍馬」一色。観光地、イベント、お土産、グッズなどなど、「龍馬のなになに」とネーミングされたものがあふれておりまして、まさに何でも有り状態なんです。そのうち「龍馬が愛した蹴球(しゅうきゅう)」などと称したサッカー・ボールなど売り出し兼ねない状況です。
そんな中で、最近見つけた素敵なCDを紹介いたします。「龍馬のハナ唄」と題されたこのCDは「幕末のラウンジ・ミュージック」という何ともおしゃれな副題がついております。それだけでどんな音なのか聞きたくなり早速、「アマゾン」から取り寄せてみました。(このCD、長崎ではCDショップだけでなく、お土産店とか喫茶店などにもおいてあるようですが、他の地域で入手するには「アマゾン」が便利です。)
肝心な中身はというと、幕末の頃、長崎で一代ブームを巻き起こした「月琴」という楽器がメインとなっています。この月琴はたった2本の弦からなっており、奏法としては1弦を開放弦、2弦目でメロディーを奏でることが多いようです。音によってはオープン・チューニングのブルースにも近いような響きがあります。
何でも龍馬とその妻「お龍さん」は寺田屋で負傷したキズを癒すべく、薩摩に日本初の新婚旅行へ赴いた後、長崎で短い新婚生活をおくったそうで、一説によるとお龍さんが月琴を習いたいと言ったことで、長崎へ連れてきたようです。
その当時「全国指名手配中」の龍馬でしたので、名前を変え、長崎の豪商「小曽根乾堂」の屋敷に匿われるようにして二人は暮らしていました。「小曽根乾堂」は月琴の名手でもあり、その娘キクもまだ子供ながら、お龍さんに月琴の手ほどきをするほどの腕前だったようです。その小曽根キクさんのお弟子さんだったのが「中村キラ」という方でその孫にあたる方が、このCDで月琴と唄を奏でている長崎検番の「琴音」さんだそうです。検番とは芸者屋の取締りをする事務所という意味で、いまでいう芸能プロダクションですね、現在でも十数名の芸者さん達がいらっしゃるようです。有名な「長崎ぶらぶら節」や唐から伝わった唄なども興味深いのですが、龍馬作詞の唄があるとはいままで知りませんでした。それをどの節で唄うのかかなり苦労されたようですが、土佐の「よさこい節」にのせて唄うのが一番ぴったりきたそうで、実際、後に調査研究したところ、「よさこい節」で唄っていたという文献があったことなども記されています。幕末の丸山界隈から聞こえてきそうな月琴の音色と唄を「龍馬もお龍さんのそばで聞いていたんだろうな」などの想像すると、感慨深いものがあります。
このアルバムの中で、特によかったのが、バート・バカラック&ハル・デヴィッドの「Me,Japanese Boy」の長崎弁ヴァージョンです。(ハーパース・ビザールのヴァージョンもオススメですが)長崎弁のやわらかなイントネーションとこのちょっとエキゾチックなメロディーがなんとも言えない雰囲気を醸し出していてまさに「幕末のラウンジ・ミュージック」に相応しい作品になっております。
このCDの仕掛け人は、あのピチカート・ファイブの初期のメンバーだった高浪敬太郎さん。現在、ふるさとの長崎に帰ってきて高浪慶太郎と名を改め音楽活動を再開されています。もちろん「みぃ・じゃぱんにぃず・ぼうい」のデュオは高浪さんと琴音さんです。(宝クジでもあたったら、一度お座敷で琴音さんの唄を聞いてみたいものです。)
(みぃ・じゃぱんにぃず・ぼうい〜長崎弁バージョン)
(高浪さんが在籍していたピチカート・ファイブのヴァージョン)
あ~、コレ良いですねぇ~
返信削除ピチカートバージョンですが、映像を見て改めて判るのは野宮マキは小西さんの要求に相当な度合いで応えることの出来る人なのですね。
ながさきふぁいぶバージョンは、弦の音がいい、アレンジが好き、途中で2度入るブレイクがいい、方便がいい。
アレンジも歌詞もピチカート・バージョンが元になっているみたいですが、ながさきふぁいぶバージョンは月琴の音を活かそうとしてるので、すっきりしてますよね。それにしても「好いとっとよ」という長崎弁がこんなにハマルといいですね〜。
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