2011年11月18日金曜日

百万語の言葉より~Jimmy Webb


Artist:ジミー・ウェッブ
Song:Didn't We
Album:Ten Easy Pieces

ビートでジャンプ(Up Up and Away)"という曲をご存じでしょうか。フィフス・ディメンションで大ヒットしたこの曲は、1967年のグラミー賞の最優秀レコード賞、最優秀コンテポラリー・シングル賞、最優秀ポップ・グループ賞の3部門を受賞し、また最優秀男性ボーカルにはグレン・キャンベルの”By the Time I Get to Phoenix(恋はフェニックス)が選ばれています。この2曲を提供したのが当時、弱冠まだ21才だったジミー・ウェッブ(Jim Webbとも表記される)です。また、次年度の1968年のグラミー賞ではグレンキャベルのアルバム「By the Time I Get to Phoenix(恋はフェニックス)」が最優秀アルバム賞、リチャード・ハリスに書いた”“MacArthur Park” では最優秀歌曲編曲賞を受賞しており、2年連続してグラミー賞を受賞するという快挙をやってのけています。
バート・バカラックを初め、ほとんどのメロディー・メイカーが作曲と作詞を分業しているのに対し、ジミー・ウェッブはほとんど、一人で詞と曲を書き、アレンジまでこなしています。いわゆるマルチの才能をもった特異なアーティストなんです。バカラックの凝ったメロディーラインに比べ、ジミーの曲はコードの流れに沿った自然なメロディーという印象を受けます。弾き語りのヴァージョンを聞くと判りますが、あまり楽器を加えないシンプルな構成の方が、かえって歌詞とメロディーの輪郭がくっきりして、より深く胸を打ちます。

Jimmyはオクラホマ州のエルク・シティーという小さな町に生まれました。父親がバプティスト派の牧師だったため、音楽的にビートルズなどは御法度のかなり厳格な環境で育ったようです。母の薦めもあり6才からピアノを学び、12才でドビュシーやラベルを弾きこなしていました。13才から詩を書き始めそれに曲をつけるようになります。
ちなみにアート・ガーファンクルのアルバム「Water Mark」(Jimmyの作品集みたいなアルバムです。)に収録されている”Someone Else"という曲はなんと、15才の時に作った曲です!
18才の時一家は南カリフォルニアへ、そして単身ロスへ移りプロのソングライターを目指します。モータウン傘下のジョペット・ミュージックへ就職。週休40ドルでスタジオの雑用をしながら安アパートで毛布にくるまれながら来る日も来る日も曲を書き続けていたそうで、初めてシュープリームスに”My Chritmas Tree"が取り上げられソングライターとしてデビューしています。モータウン時代40曲もの曲を書き上げましたが、結局、芽が出ることはありませんでした。 
しかし20才の時に転機が訪れます、歌手、ジョニー・リヴァースと出会い、この出会いがその後のジミーの人生を大きく変えることになります。ジョニーはジミーの作品をいたく気に入り、”By the Time I Get to Phoenix(恋はフェニックス)”をアルバム「Changes」に採用することにしました。(この曲は実はジョニー・リヴァースが先に発表していたんですね。)この曲が数年後グラミー賞を獲得するのですから、人生における出会いとはほんとうに不思議なものです。そしてジョニーの紹介でフィフス・ディメンションに曲を提供することとなり、このことが成功への道を切り開くきっかけとなっていったのでした。
その後は冒頭に紹介しましたとおり、一躍、時の人なり数々の名曲を色々なアーティストに提供しながら、自らもSSWとしてソロ・アルバムをリリースしていきます。おもなアルバムは以下のとおりです。

Jim Webb sings Jim Webb (1968)
Words and Music (1970)
And So: On (1971)
Letters (1972)
Land's End (1974)
El Mirage (1977)
Angel Heart (1982)
Suspending Disbelief (1993)
Ten Easy Pieces (1996)
Twilight of the Renegades (2005)
Live and at Large (2007)
Just Across the River (2010)

曲についてはここに列挙できないくらい多くの名曲を残しています。興味のある方はここをご覧下さい→ 

残念なことの他人に書いた曲は大ヒットするのに、自分のアルバムの方はセールス的にも芳しくありません。おそらく、作った時の感情を大事にするあまり、凝ったアレンジなどを極力避け、このこだわりが、名前同様、地味(Jimmy)な印象を与えていたためかもしれません。
今回取り上げたアルバム「Ten Easy Pieces」もヒット曲をセルフ・カヴァーしたもので、ピアノの弾き語りというシンプルな形になっています。個人的にはこの静かな、しっとりとしたアレンジが気に入っています。特に”Didn't We”は美しいメロディーを持っている大好きな曲です。
最近リリースされた「Just Across the River」も同様のセルフ・カヴァー集で、こちらはビリー・ジョエル、ウィリー・ネルソン、ジャクソン・ブラウン、グレン・キャベル、マーク・ノップラー、J.Dサウザー、リンダ・ロンシュタットなど豪華なゲストとのデュエットが楽しめる好盤です。
アメリカという国を理解したいなら small townを訪れてみるといい、と何かの本で読んだことがあります。そこには時代に翻弄されながらも、自分の生き方を頑固に守り、慎ましく生きている普通のアメリカ人の姿があり、アメリカの良心はそんな小さな町に支えられているからだと。
ジミーの音楽には、small townに息づく、アメリカの良心が残されているような気がします。そこで語られる美しくけれど哀しい物語には、人生を生きてきた確かな証のようなものを感じずにはいられません。
Wichita Lineman”では荒涼たるウィチタで休まず修繕工事をしながら、別れてしまった恋人への想いを電話線にのせるという、電話の架線工事人が主人公ですし、
Galveton"ではベトナムの戦場から生まれ故郷とそこに残してきた恋人のことを想い、こんな所では死ねないと語る若者のことを歌っています。
沢山の言葉を費やすよりも、どんなに正論をならべるよりも、ある歌の方がより深く胸をうつことがある。Jimmy Webbを聞く度にそんなことを思います。

(15才の時に作った曲。すごいとしかいいようがありません。”Someone Else"by Art Gerfunkel )

("Adios"by Linda Ronstadt。Brian Wilsonもコーラスで参加。90年代、JimmyもBrianも低迷の時期でした。じゃ〜とばかりに、二人に手をさしのべてくれた、リンダ姉御に感謝。)

(今回取り上げた曲。人生には勝つときもあれば負ける時もある。負けてもまたチャンスはまたやってくるよと優しく歌いかける、私の人生の応援歌です。”Didn't We”by Jimmy Webb)

4 件のコメント:

  1. のっぽのサリー2011年11月24日 0:39

    ソフトバンク日本一おめでとう!!\(^o^)/
    やったね!!
    秋山監督の涙は美しかったですね~。
    そしてこの方の歌もとても美しいですね~。
    もっと聴いてみたいので、今度調べてみますね。

    週末から秋の京都に行ってきました。
    素晴らしかったです。
    子供たちが京都にいて、良かった~(^^)

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  2. のっぽのサリー さん
    ありがとうございます。悲願だった日本一、色々なドラマがありましたね。
    JIMMY WEBBはこの他にも沢山、いい歌書いています。手始めにArt GarfunkelのJimmy作品なんかいいと思います。
    秋の京都はいいでしょうね。生きてる間におとずれてみたいです。

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  3. のっぽのサリー2011年11月29日 11:43

    言われて見てみたら、アート・ガーファンクルの「天使の歌声」と「SCISSORS CUT」を持ってるんですが、きれいだなあと思っていた曲は、ほとんどJimmy Webbでびっくりしました!
    こういう美しい曲は、アート・ガーファンクルの歌声にぴったりはまるんでしょうねぇ。

    ところで、アジア戦、ちっともTVでやらないんですねー。孫さんの力で、ネット中継とかすればいいのにー…。
    決勝戦くらいは見たいなぁ(,,)

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  4. "All I Know"はArt のJimmy作品の中でも特にお気に入りです。
    アルバム「Watermark」はほとんどがJimmy 作品でしたね、今でも良く聞いています。
    SBは残念でした。日本Sから休む間もなく、ちょっとハードスケジュールだったかもしれません。来年に向けてゆっくり休養してもらいたいと思います。

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