Artist:ジュディ・シル
Song:Kiss
Album:Heart Food
うつむきがちな顔がどこか憂いを含んでいて、ちょっと謎めいていて神秘的。
このアルバムをレコード屋で見つけたとき、そんな印象をもった。おさげ髪のせいか、まだ高校生だった私とあまり年齢が変わらないように思え、オーケストラの指揮をしている姿に「早熟で才能あふれるアーティスト」というイメージがして、好きだったローラ・ニーロと重なった。そして日本盤の帯に「グラハム・ナッシュがプロデュース・・云々」というコピーを見つけ、迷わずレコード抜き取り、レジへ向かった。ジュディ・シルとの出会いは確か72~73年頃だったと思う。
これは後に知ることになったが、ローラ・ニーロの敏腕マネージャーだったデビッド・ゲフィンがNYを離れ、自分の理想とするレコードレーベル”アサイラム(Asylum)をカリフォルニアで立ち上げ、初めてリリースした第1号アーティストがジュディ・シルだった。このレコードにローラ・ニーロの匂いを感じたのは偶然ではなかったのだ。
透明感のある地味ではあるが、聞く度にじわじわ染みてくるヴォーカル。そしていくつかの曲のメロディーとコーラスには中世の教会音楽のような重厚さと、荘厳さがあった。そのわけは彼女の波瀾万丈の人生にあることをライナーで読んだ気がする、というのも、何度か引っ越しを繰り返すうちこのレコードが行方不明になってしまった。お気に入りだったアルバム。ジャケットと内容の素晴らしさだけが心に残ってはいたが、30年の間に、いつしか、ジュディ・シルという名前さえも思い出せなくなっていた。
ジュディ・シルは1944年10月7日カリフォルニア州ロスアンジェルスに生まれた。父母が経営するバーに置いてあったピアノに幼き頃から親しみ、その後もウクレレやギターの演奏を覚えて作曲を始めるようになる。やがて父が亡くなり、母は「トムとジェリー」の制作をしていたアニメーターと再婚するが、その養父が極度のアルコール中毒で、ジュディは虐待をうけるようになる。そんな日々に嫌気をさしたジュディは両親に反抗的な態度を取るようになり、10代で家出。次第に犯罪とドラッグに手を染めて行く。そしてついに、年上の恋人とガスリン・スタンドを襲い、感化院送りとなる。
そこで、教会音楽と出会い、オルガンを弾くようになる、一から音楽理論を学び、バッハの音楽に惹かれていく。彼女の曲の賛美歌のような穏やかで、美しい旋律は、この頃に学んだことが色濃く反映されている。
その後、ソング・ライティング・コンテストで優勝。音楽の才能を開花させて行く。地元のバーで歌い始めこのままシンガー・ソング・ライターへの道へと進むかに思われたのも束の間、またもドラッグの地獄へとはまってしまい、ジャンキーとなりクスリを買うために身を売ったり、不渡りの手形詐欺に手を染める。再び逮捕されたジュディはやっと中毒症状から脱する。そうした荒んだ体験の癒しとして宗教にますます惹かれるようになる。この頃には母と兄が他界し、結婚と離婚を経験するなど、彼女に取って人生の不幸が一気に押し寄せていたかのような時期だった。
音楽活動を再開したジュディは”Lady-O”という曲を書き上げ、タートルズのベーシストであるジム・ポンスがジュディと友人だったことで、この曲がタートルズに取り上げられ、その名前が徐々に知られるようになる、この頃、グラハム・ナッシュと出会い、クロスビー&ナッシュのツアーで前座をつとめるまでになり。めでたくデビッド・ゲフィンが立ち上げた、アサイラム・レコードと契約することになる。また、一時期、J.D.サウザーと恋に落ち、それを元に書いた”Jesus Was A Crossmaker"をグラハム・ナッシュのプロデュースでシングルとしてリリースする。
1971年、ファーストアルバム「Judee Sill」をアサイラムの第一号レコードとしてリリース。フォークと宗教音楽が合体したかのようなこのアルバムは、評論家からは絶賛されたが、一般的なセールスには結びつかなかった。彼女は、さらに壮大なオーケストラの音などを加え、長い時間をかけて、制作されたのがセカンド・アルバム「Heart Food」だった。この発売を待つ間に、ジュディがインタビューで、デヴィッド・ゲフィンがホモセクシャルであることを暴露してしまい。ゲフィンは激怒、『Heart Food』に対する宣伝を行われず、1973年にリリースされた本作はデビュー作を下回る売上となってしまった。彼はその後ゲイであることを公言するが、その頃まだ同性愛が受け入れられる社会ではなかった。
彼女は自費でサード・アルバムを制作するが、アサイラムとの契約は切られ、結局、この作品はお蔵入りとなる。後に没後25年経ってから『Dreams Come True』として発売。
さらに、不幸は彼女を襲う。ジュディは交通事故に遭い、脊椎を損傷、手術をうけるも。後々まで痛みに苦しむことになり、その痛みを和らげる為に、再びドラッグ手を出してしまう。その後5年近く彼女の行方は知れなかった。1979年。ドラッグの過剰摂取によりジュディ・シル、他界。彼女の人生の終わりを知ったのは、誰も気づかない短いニュースだった。
皮肉なことに、没後、24年を経た、2003年に少量生産でCD化された彼女の2枚のアルバムがあっという間に売り切れた頃から彼女は再評価され始めた。幻だったサードアルバム「Dreams Come True」や彼女の数少ないライヴ演奏の模様を収めた「Live in London: The BBC Recordings 1972-1973」など、空白を埋めるように次々とリリースされた。
行方不明になり、私にとっても失われたアルバム「Heart Food」。何処かに埋めて忘れていたアルバム。そのCDは、あの時代に引き戻し、迷いこんだその時代の自分と対面したかのような不思議な感覚に襲われた。
音楽は誰かの癒しや喜びとなる。それを意図した作品も多い。しかし、彼女の音楽は彼女自身の為にあったような気がする。たぶん、それは、自分に対する「贖罪」や「救済」だったかも知れない。命をつなぐ「糧」、Heart Food・・・。
だからこそ、彼女の音楽はやりきれないくらい純粋で美しく、こんなにも胸を打つ。
(”Jesus Was A Crossmaker" J.D.サウザーのことを歌ったとされる代表作。)
(”Kiss"アルバム「ハート・フード」に収録された大好きな1曲。荘厳で穏やかだけど何処か悲しい彼女のためいき。歌っている彼女の姿はどこかジョン・レノンを思わせます。)
(”Til Dream Come True"彼女の遺作。白鳥の歌。唯々美しい。)
ソフトバンク、おめでとうございまーす!(^o^)/
返信削除セリーグのほうも実力どおりに決まって、なんだか一安心です(?)(うちの息子はSC撤廃論者で、小久保のファンです) 12日からが楽しみ!応援してますよ~!(^^)v
Moonlight Surferさん、精力的にブログの更新していますね!このかたは全く知りませんでした。きれいな曲をいっぱい作っているのにね~。このホームページを見なければ、一生知らないところでしたね。
いつもながら、感謝です!
ところで、新曲(といっても30年前の曲なんですね)の「Moonlight Lady」いいじゃないですか!
ギターがきれいですね~♪
高校生のときが一番感性が豊かですものね。
私も高校の時友達が作った曲を思い出しました。
また新譜を期待していますよ~!
訂正です。SC撤廃論者じゃなくて、CS撤廃論者でした。(^^;
返信削除のっぽのサリーさん
返信削除コメントありがとうございます。優勝が決まった日、福岡はかなり盛り上がっていたようです。日本シリーズ楽しみです。Judee sillは近年の再評価がなかったら、あまり知られることはなかったかもしれません。あまりにも急ぎすぎた生き方と共に彼女の音楽も沢山の人達へ伝えられることを願っています。”Moonlight Lady"の評価嬉しいです。バンドでのアレンジが出来上がったのは最近です。初めはアコギ2本のデュオだったんです。新譜の方も待ってて下さいね。